見習い百姓のつぶやき

宮仕えも一段落、半農半Ⅹを本格化。農的暮らしとさまざまなⅩを悩んで、楽しんで一歩づつ。

ジリオラ・チンクェッティ

2022-08-01 15:46:26 | 持続可能社会

凄く?古いかもしれませんね、ジリオラ・チンクェッティってご存じでしょうか?
「夢見る想い」や「雨」など、我が国でもカンツォーネが空前とも言っていいほどヒットした時代がありましたが、その火付け役、“オーラ”の愛称で親しまれた歌姫。
僕も彼女の曲が大好きで、良く口ずさんでいたものでした。

最近、YouTubeで懐かしい歌を聞きながら本を読むことが多いのですが、昨夜は、そうだ!とジリオラ・チンクェッティを、続けてシルヴィ・バルタン。
チンクェッティの最後の方に「花咲く丘に戻して」、あまり聞いた覚えなかったのですが、歌の題名を見て強く響くものがありました。
「下り坂のニッポンの幸福論」(内田樹と想田和弘の対談)の今読んでいる箇所に“戻して”が見事にリンクしたのです。

僕の中でリンクした個所は、

里山が急激に過疎化し放置すれば無住地化が進行する。
そのリスクを感じた人たちが地方移住している。彼らが、自然の侵略から人間の領域を守る『歩哨』の役割を担う。
一方、「地方創生」の本音は、過疎化・無住地化を前提に、人の住まなくなった広大な土地をビジネスで再利用しようとする話。

人口減少が急激に進む局面で、広大な空き地を占拠するソーラーパネルであったり、工業的な大規模農業だったりって、鳴り物入りで地方に進出した工場などが、いつの間にか撤退している現実がそこここにあるのに、眉につば不要ですか?
そんな思い、この「戻して」って、
ソーラーパネルで覆われたり荒廃した土地を緑優しい土地に戻して!と思ったのです。

ところが、この歌、まだその後の顛末があり、先ほどこの曲のレコードジャケットを探したら、その曲がない(><
よく見たら「花咲く丘に涙して」、60年代のサンレモ音楽祭での入賞曲が「戻して」じゃないですよね、我ながらそそっかしいったらありゃしない(^^;;

最後に、ジリオラ・チンクェッティ、とても素敵な名曲ばかり。
機会があったら、ぜひお聞きくださいね。

コメント (2)
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頂いたコメントにあれこれと

2022-06-21 16:34:28 | 持続可能社会

蒸し暑いですね💦💦
午睡を終えましたが、外仕事は熱中症のもと、で、ブログに向かうことに。

「こんなもの食うな!」
一昨日のブログに、中山間地に住むいさやんがコメントをくださいました。
2年位い前からスベリヒユを醬油漬けにしてお料理に使っているけれど、畑がないので花壇の隅っこで養殖栽培?意外と量の確保に苦労しますと。
近くの野菜を作る畑に沢山のスベリヒユ「これ食べれるから下さい!」「こんなもの食うな!」長靴で踏み踏み(涙)我が国の食用事情はどうなってるのでしょうか?
というものでしたが、、、

さて、我が国の2100年の人口予測は中位推計で4771万人、低位推計では3770万人(総務省HP)となっています。
明治40年代の日露戦争前後の水準になる予測ですが、この80年間に7000万人以上減少、年間90万人、毎年県がひとつづつ減る勘定。

僕は、将来のわが国の食糧事情についてはとても悲観的です。
ただ、“こんなもの”が食べられ、エネルギーに満ちているという意識転換ができ、人口推計が当たればひょっとしたら?しかし、特に気候変動、そして日本の国富(お金だけではなく)という因子を考えると、やっぱり悲観的に傾くかなあ?

政治に期待が持てない??
それにしても、我が国の国土の荒廃のスピードは想像を絶しています。
つい先日、二人のママさんが畑を探していますが貸して下さる方がいませんかと。
地方に移住して自給的暮らしをする方も増えてきましたし、安全な食べ物や山野草を食べたいという皆さんも増えてきましたが、どう見てもほんの一握りで、国土の荒廃に歯止めがかかっているようには見えません。

政治家は、均衡ある国土の形成とか、中山間地域対策とか仰っていますが、どう見たって本気だとは思えません。
経済成長や軍事力については前のめりですが、長い目で国づくりを担うべき多様な人材を育て、多様な価値観を涵養する教育には後ろ向きかなあ?

もっとも、自分の望む政策と投票行動には大きな乖離があるという内外の研究結果があるように、国民の意識も育っていないということかも。
結果、政治に期待が持てなくなって投票率も下がりっ放し。
う~~む(^^;;

そう言えば、毎日新聞の配信に「<所信演説の現場から>「守っていかにゃ」担い手不在にあえぐ中山間地農業 迫る限界」という記事がありましたが、、、


写真は、カムの宿の裏の農地、7割は不耕作地で、受益者負担ゼロの破格条件の圃場整備が進んでいますが、60代、70代が担う農業法人、いつまでできるのかなあ?

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地球からの搾取はやめろ

2021-11-02 18:30:38 | 持続可能社会

友人の中学2年生の娘さんが、生徒会長選挙に立候補すると聞き、驚きました。
とても大人しくてシャイな娘さん、それが!
たまたま出会う機会があり、何がやりたいの?って聞くと、地球温暖化・環境問題がやりたいとキッパリ。

きょうのネットニュースにグレタ・トゥーンべリさんが、COP26開催会場近くのデモに参加し、「人々や自然、そして地球からの搾取はもうたくさんだ。搾取をやめろ。ああだ、こうだ言うのはやめろ」と叫んだと掲載されていました。
彼女は、スウェーデンの高校生(今も?2003年1月生まれ)、15歳の時に気候変動対策の活動をはじめ、今、世界で最も注目される環境活動家なのかな?
僕は、グレタの主張に100%賛同するんだけど、政治も社会も今は(!)違います。

今のお天気におかしいなと思わない方はほとんどいないと思いますが、先の衆議院選挙でも選挙民が一番望むのは経済対策・財政出動ですし、国民の8割が景気回復・経済成長を望んでいます。
しかし、グレタの「人や自然や地球からの搾取」をやめたら、経済成長はストップし、脱成長の中での生きて行かなくてはなりません。
僕には、我々の目の前に示されているのは、経済成長を追い求め近い将来の地球の終焉を待つのか、はたまた、脱成長で持続可能な自然を、地球を守るのか、その2択しかないと思えてなりません。

3,5%の人が立ち上がれば社会が変わると、ある研究者は報告しています。
グレタはたった一人で立ちあがり、今や最も期待される世界の若きリーダーの一人、たった一人でもここまでできる。
私達も、中学2年生の女の子のように、行動を起こす時なのかもしれません。

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気になるパンや~みずべのるてん

2021-10-30 20:14:27 | 持続可能社会

今まで何度か、つい最近も前を通っていたのに、全く気づきませんでした。

今日、山の方に向かって走っていると、あれ!?こんなところにパン屋!
そうか、あのパン屋さんなんだ!
旗が立っているけど、車が止まってないし、営業している感じもないとスルー。

一仕事の後、同じ道を降りて行くと、なにやら前で人が仕事?している風。
道路に止めて、いつ営業しているんですかねえと聞くと、今大丈夫ですって。
そのまま車を停めて、お店の中~お店っぽくないけど~に入ると、わずかに?パンが残っていて、僕好みのようなパンを買っていると、後ろから車(^^;;

駐車場に入れ直せばよかったけど、そのまま失礼しました。
お店の名前もよくわからないし、と思ってネットで調べると“こーぼパン みずべのるてん
何とも気になる名前ではありませんか、それに、いけずご王国で使いたい天然酵母。

お話を聞きいてみたいと連絡を取りました。

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終焉を回避する脱成長~人新生の『資本論』

2021-10-13 12:15:43 | 持続可能社会

そう言われれば、そうだよなあ・・・

高給を取っている職業、マーケティングや広告、コンサルティング、金融業や保険業などあるが、こうした仕事は重要そうに見えて、実は社会の再生産そのものにはほとんど役に立っていない。
そして、これらの仕事に従事している本人さえも、多くは自分の仕事がなくなっても社会に何の問題もないと感じているんだとか。
世の中には、無意味な「ブルシット・ジョブ(クソくだらない仕事)」が溢れているようですね。

もう一つ、世界では26人が世界の富の半分以上を握っていて、持たない人から持つ人さらに集まる構造になっている。
それは、グローバル・サウスや自然環境からの収奪によって成り立っているが、発展途上国が成長を遂げようとすると、もう収奪の対象は残っていない。
その収奪の構造って、外部化されていて見えないけれど、私たちの“豊かな”生活は、成長ありきのそうした構造の上に成り立っているんですね。

歴史の終わりを回避する
「人新生の『資本論』」(斎藤幸平著)では、“豊かな”(と信じている)生活が気候変動を誘発し、その勢いは加速しているとしています。
また、考えられている気候変動を抑えるための様々な策では、資本を肯定し成長を求める現状(今の共産主義も含め)にある限り、早晩私たちは「歴史の終わり」「文明の終わり」を避けることはできないだろうとデータを示しながら論じています。
そして、環境危機を乗り切り、終焉を回避し、「持続可能で公正な社会」を実現するための選択肢は、「脱成長コミュニズム」だとしています。

3.5%
恐らく僕が今の暮らし方を選択してきたのは、まさにそこなんだろうなあ?

終焉を回避し「持続可能で公正な社会」の実現のアプローチとして、脱成長、自然とともにある生き方をまず自分からと。
ただ、3.5%の人が非暴力的な方法で本気で立ち上がると、社会が大きく変わるとの研究があるそうですが、僕はまだそこまでは行っていない?

バルセロナは「気候非常事態宣言」を行うなど、市民の力で脱成長に向けて大きく歩みだしているという事例などが書かれています。
「気候非常事態宣言」に向けて動き出すとか、3.5%の一人になるべく、一歩を踏み出すことも必要かなあ。

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