そう言われれば、そうだよなあ・・・
高給を取っている職業、マーケティングや広告、コンサルティング、金融業や保険業などあるが、こうした仕事は重要そうに見えて、実は社会の再生産そのものにはほとんど役に立っていない。
そして、これらの仕事に従事している本人さえも、多くは自分の仕事がなくなっても社会に何の問題もないと感じているんだとか。
世の中には、無意味な「ブルシット・ジョブ(クソくだらない仕事)」が溢れているようですね。
もう一つ、世界では26人が世界の富の半分以上を握っていて、持たない人から持つ人さらに集まる構造になっている。
それは、グローバル・サウスや自然環境からの収奪によって成り立っているが、発展途上国が成長を遂げようとすると、もう収奪の対象は残っていない。
その収奪の構造って、外部化されていて見えないけれど、私たちの“豊かな”生活は、成長ありきのそうした構造の上に成り立っているんですね。
歴史の終わりを回避する
「人新生の『資本論』」(斎藤幸平著)では、“豊かな”(と信じている)生活が気候変動を誘発し、その勢いは加速しているとしています。
また、考えられている気候変動を抑えるための様々な策では、資本を肯定し成長を求める現状(今の共産主義も含め)にある限り、早晩私たちは「歴史の終わり」「文明の終わり」を避けることはできないだろうとデータを示しながら論じています。
そして、環境危機を乗り切り、終焉を回避し、「持続可能で公正な社会」を実現するための選択肢は、「脱成長コミュニズム」だとしています。
3.5%
恐らく僕が今の暮らし方を選択してきたのは、まさにそこなんだろうなあ?
終焉を回避し「持続可能で公正な社会」の実現のアプローチとして、脱成長、自然とともにある生き方をまず自分からと。
ただ、3.5%の人が非暴力的な方法で本気で立ち上がると、社会が大きく変わるとの研究があるそうですが、僕はまだそこまでは行っていない?
バルセロナは「気候非常事態宣言」を行うなど、市民の力で脱成長に向けて大きく歩みだしているという事例などが書かれています。
「気候非常事態宣言」に向けて動き出すとか、3.5%の一人になるべく、一歩を踏み出すことも必要かなあ。