11日のカタカムナ勉強会に始まり、昨日18日の“二戸依里さんの「新しいわたし」出版記念のお話会“まで、怒涛の1週間余り、夕幻さん一家が新庄を去り、台風と入れ替わるように新庄の場が静かになりました。
この期間を通して、初めておいで下さった皆さんを始め多くの皆さんが、この場を後にされる時の表情が最初とまるで変ったように感じたのですが、、、
新庄の役割って、それかなあ?
感性の深淵を垣間見たような
夕幻さんの“「祈りの新月満月展in出雲」オープニング対談&書作品揮毫LIVE“での揮毫LIVEのテーマ、ゲストの二戸さんとの対談で着想したものをテーマにとのことでしたが、いざ、紙に向かっても書くテーマが出てこないと。
揮毫する際には必ずテーマが決まっているのになあと、意識を整え祈りを捧げて、筆を紙の上に置いたら出てくるんだろうと。
筆を置いて書き始めたのは「家族」、オープニング対談でも参加した皆さんとの空気感でも、何より、亡くされたばかりの肉親の方と一緒に来てくれたとしか思えない二戸さんとも、これ以上のテーマはないと感じました。
ここで浮かんだのは村上春樹、彼は小説を書く時にはまっさらな状態で原稿用紙に向かい、岩盤に鑿を穿つように書くのだとか、そして豊かな地下水脈を掘り当てる。
村上春樹にも相通じる、深い感性の世界を垣間見せていただいたような、、、
家族を見守る「家族」に
もう一つ、ある考古学者の方が、全てを共有できる最大の人数は150人までだった、それは狩猟コミュニティでのMAX、農耕定住社会はもっと多くの人が養えるが、余剰のものは特定の人が独占するのだと。
新庄が目指したいのは共有のコミュニティ、それはまさに「家族」。
記念の揮毫「家族」は、軸装にしてカムの宿を見守っていただくことにしています。
二戸さんのお話会、別の機会にブログに書けるかなあ?