詩人の高良留美子著「花ひらく大地の女神」、読み始めて暫く、いつ閉じようかと思っていましたが、、、
縄文中期、本州中部から関東西南部に展開していた民族と文化の中心舞台、八ヶ岳南麓の井戸尻遺跡群について書かれていた内容にとても興味をそそられました。
その章は「井戸尻の遺跡を通して《大地母人の胎内》を考える」というものでした。
サグラダファミリアも凄いけど
昨日、スペインに行ってきた友人がサグラダファミリアのことを語ってくれました。
確か、建設に100年以上費やし、まだそれが続いていると聞いていますが、大聖堂の中を森の中にすべく論議されつつ工事が進められていると聞いて、その大陸的時代感覚には特に我々日本人には学ぶべきものがあるよなあ、と思うのですが、、、
井戸尻遺跡の《大地母人の胎内》が浮かんできて、やっぱりこっちが!と。
月母神の胎内
竪穴式の住居跡の形状は入口のすぼまった卵型の形態は、子宮または女性器を象った磨り臼によく似ていて、本来の住まうという以外に母胎若しくは女性器という意味が重ねられていると。
また、集落全体も〈月母神の胎内〉に見立てられているって。
富士見町史の筆を執った小林氏は、中期末葉の居平遺跡について、「この集落の形は、一戸の巨大な家として設計されている。冬至の朝、その入り口から射し入る太陽の光は、広場一杯に満ちる。すると、女性子宮に擬せられたこの空間に新霊が籠り、居平村の新しい新年の営みが始まるというのであろう」と。
住居と同じく集落もまた大地母神の胎内として造られ、住まわれていたのである、と。
この集落は10~12戸、広場の回りは墓域、その周りを高床式の建物(倉庫?)が並び、その周りを住居が取り巻く構造で、差し渡しが80~100mと。
これって、大地母神の霊とともに起居し、喜びも悲しみも含めて全てを共有しながら自然とともに生きた私たちの祖先の姿だったのかもしれません。
このエッセンス、裏の何とかって騒いでいる皆さんにも分けてあげたいものですね。
日本も少しは明るくなるかも、、、
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