小田原周辺のマイナースポットや些細な出来事を少しずつ
小田原の端々



曽我丘陵に立つ3本のアンテナ鉄塔を見るために、県道72号の脇から農道沿いを上り尾根道まで向かった。アンテナ鉄塔が立っているのは標高317mの浅間山周辺。同じアンテナ鉄塔でも今話題の東京スカイツリーは曽我丘陵を二つ重ねたくらいの高さになる。スカイツリーの半分の高さの浅間山を目指した。県道72号から農道を30分ほど上り曽我丘陵の浅間山近くの尾根道までやって来た。この写真の場所付近が小田原市と中井町と大井町の境になっている。写真手前が大井。右が小田原、左が中井。梅の里に続く尾根道を進むとすぐに鉄塔が見えてきた。
足柄平野から見て左側のアンテナ鉄塔。施設名のプレートが無かったので何のためのアンテナか不明だが、公的なアンテナ施設のようだ。尾根道の中井町側に立っていた。続いて次のアンテナ鉄塔に向かう。この尾根道が小田原と中井の境になっている。足柄平野から見て真ん中のアンテナ鉄塔。神奈川県内広域水道企業団の浅間山無線中継局。施設名のプレートによると水道の制御用のデータ通信を中継しているとの。尾根道の小田原側に立っていた。神奈川県内広域水道企業団の浅間山無線中継局から次のアンテナ鉄塔に向かう。だいたい50m間隔くらいに3本のアンテナ鉄塔が立っている。
足柄平野から見て右側のアンテナ鉄塔。財団法人移動無線センターの浅間山無線中継所。業務用MCA無線の中継をしているようだ。このアンテナ鉄塔も小田原側に立っている。それぞれのアンテナ鉄塔の周辺を探索して、再び一番最初のアンテナ鉄塔の場所に戻ってきた。この施設のフェンス沿いには細い通路が作られている。裏手に回って鉄塔の写真を撮ってから帰ることにした。フェンス沿いの通路を通り施設の裏手に出ると林の中に石塔と石仏があるのが見えた。尾根道沿いに何の案内板も無かったのでびっくり。西日が差し込む林の中に静かに佇む石仏と石塔。石塔の脇に中井町の教育委員会が設置した説明板が立っていた。その内容を要約すると「ここは、小田原市と大井町に接する浅間山で、ここに立てられている仙元塔は、元治元年(1864年)に建立。塔は高さ151cm、巾45cmで四面それぞれ異なった書体で刻まれており、これは当時、玉山という書家が数ヶ月を費やして書いたものを根府川の石工の手によって彫られたものである。当時は、幕末の動乱期に当たり仙元信仰、すなわち富士講がこの地方一帯に、いかに盛んであったかを伺い知ることができる」。また、石仏の説明はなかったが、印相から大日如来坐像のようで、湯殿山や月山を巡礼した記念に建立された石仏のようだ。150年ほど前は富士を拝し信仰の場所だった浅間山。その場所に今は鉄塔が立ち、目に見えない電波を中継している。新しいものと古いものとが隣りあった浅間山の鉄塔裏には静かな時間が流れていた。

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