小田原周辺のマイナースポットや些細な出来事を少しずつ
小田原の端々



小田原市西大友の県道小田原松田線沿いにかつてあった足柄梨業組合の跡を探しに盛泰寺門前を訪れた。残念ながら組合跡は見当たらなかったので、盛泰寺の参道にある石塔を撮影していたところ力石を発見した。小田原市西大友の宝珠山盛泰寺は曹洞宗のお寺。門から本堂までの参道にいくつの石塔や石仏が置かれている。参道の石塔の中でも目を引くのが「二十三夜大勢至」と刻まれた二十三夜供養塔。二十三夜供養とは月待の信仰のひとつで、特定の月齢の夜に集まり月を拝み念仏など唱えた民間信仰である。月待の信仰は江戸時代に全国的に流行したが、この小田原ではあまり普及しなかったようで、市内に残っている二十三夜塔はわずか6基ほど。その中でも盛泰寺参道のものが一番大きい。その二十三夜供養塔の反対側に力石が置かれているのを発見した。力石は江戸から明治時代にかけて力試しに使われていた石。当時の祭りの行事には力試しがあったようで、より重い石を持ち上げることを競っていた。力石は米俵より重い60キロ以上のものがほとんどで、試しに持ち上げようとしたがびくともしなかった。力石は自然石を利用したものが多く、文字が刻んでないと普通の石と見分けが付かないが盛泰寺参道の力石は基礎の石に力石と刻まれている。この盛泰寺の墓所には札幌を開拓した大友亀太郎が眠っている。天保5年に小田原で産まれた大友亀太郎は二宮尊徳の門下生となり、東北地方でいくつかの開墾を成功させた後、当時未開の地であった北海道札幌に渡り開墾に尽力した。小田原ではあまり知られていない大友亀太郎だが、札幌ではゆかりの物や場所は有形文化財や史跡に指定されており、銅像や名を冠した公園も整備されている。大友亀太郎の筆跡は西大友周辺の碑文に残されているようなので、近くに散策に出かけたときに探してみようと思っている。

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