小田原周辺のマイナースポットや些細な出来事を少しずつ
小田原の端々



明治9年に小田原市の前身である小田原町に警察署が設置されてから昭和60年までの間に殉職した警察官は6名。その中の明治時代に殉職した巡査の墓碑が本町の寺にあると知って先日出かけた。明治から昭和にかけての約100年間に小田原署の6名の警官が殉職しているが、そのうち4名が明治時代に殉職している。その中の明治15年に殉職した巡査の墓碑が御幸の浜近くの福田寺にある。御幸の浜近くの路地を入り福田寺へ。小田原市内には福田寺が2つあって、飯田岡にある福田寺は東寺真言宗のお寺で、今回訪れた本町の福田寺は時宗のお寺。門を入るとすぐ右手に古い墓碑や石塔がまとめられて供養されている一画がある。多くのお寺には境内に無縁になった墓碑を集め供養する無縁墓があって、この一画もおそらく無縁になった墓碑を整理したもののようだ。苔むした墓碑に刻まれている年号を見ると江戸時代のものが多いが、一番端に置かれている墓碑は明治時代のもので正面には二宮元五郎と刻まれている。この二宮元五郎という人物は明治時代に殉職した小田原署の巡査で明治15年に亡くなっている。二宮巡査の墓碑の右側面には殉職までの経緯が刻まれている。それによると二宮巡査は明治15年に足柄上郡吉田嶋村(現開成町吉田島地区)検疫局出張所で勤務中、疫病の患者と接した際に自分も病気にかかり同年9月6日に22歳の若さで亡くなっている。当時の警察の業務は現在の保健所や消防署などが扱う業務も担っており、二宮巡査は保健所業務に相当する検疫業務にあたっていた。明治時代に殉職した4名の警官の中で実に3名が伝染病予防救護に携わり殉職している。明治時代の小田原町の記録を伝える明治小田原町誌によると二宮巡査が殉職した明治15年は7月にコレラが流行したとの記載があった。100年前に地域のために命がけで職務にあたり殉職した巡査の墓碑も、今は無縁墓の隅にあって時の流れの無常さを感じてしまう。二宮巡査の墓碑の前で手を合わせてから福田寺を後にした。

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