<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

此の岸を美しく飾る彼の岸の花 彼岸花

2006年09月28日 19時57分58秒 | Weblog
 此の岸を彼の岸と見て誉むるべしあかあかやあか野の彼岸花   釈 応帰

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 彼岸花が咲いています。咲き乱れています。先日棚田に行きました。棚田の畦道という畦道がどこも真っ赤でした。これほどに此の岸を赤く染めて美しくしようとする花の心を汲みたいと思いました。

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 ここは彼岸ではありません。彼岸は仏の国土のことです。仏が建設された理想の浄土を彼岸といいます。ここはわたしたちの娑婆世界です。仏国土の彼岸を美しく荘厳しているのが彼岸花です。であるのに、娑婆世界を荘厳(しょうごん)せんとして真っ赤な真っ赤な彼岸花がわたしたちの住むここに咲き誇っています。

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 仏国土を美しく荘厳することにも意義があります。でも汚れに満ちた娑婆世界を美しく荘厳しようとすることにも意義があります。彼岸花は、はたしてどちらに高い意義を見つけたのでしょう?  
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冷えたからだをあたためるブログの風呂

2006年09月28日 10時12分46秒 | Weblog
 山頭火の自由律俳句を幾つか味わうということで、このブログを立ち上げたけれど、さて、なかなか続かない。読者が見えてこないことが辛い。なあんだ、独り相撲なのかと思って力が湧かないのだ。メモをするくらいなら、わざわざブログで発表する必要はない。まるで宙を掴むようだ。こちらが面白いことを書いていない、表現も上手くない、それもたしかに読者がつかない理由だが。

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 雀が鳴いている軒下に来て雀と遊ぶ    釈 応帰

 雀の方では人間と遊ぶ気は毛頭なかろうが、遊び相手のいない当方では、雀を相手にするほかにない。遊ぶと行っても踊るわけではない。ままごとをするではない。こちらが勝手に親近感を抱いて見ているだけである。さみしい。寂しさを慰めねばならぬ。ちょうど冷えた体を日当たりにきてあたためるように。

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 冷えたからだとこころをあたためるには、ブログの風呂は効き目があることくらいは分かっているのだが・・・  
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