<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

しきりに、しきりにしきりに。

2025年03月13日 08時46分49秒 | Weblog

おはようございます。曇り空が広がっています。まもなく午前9時になるところです。気温は13・9℃あります。日中は16℃まだ上がるそうです。

若(も)しこの呪(しゅ)を誦持(じゅじ)し我が名を称念せば・・・(途中略)・・・・・乃至(ないし)無上菩提を証得す。

「仏説十一面観世音菩薩随願即得経」より。

今朝ふっとこの句、「乃至無上菩提を証得す」が口をついて出て、それで嬉しかったのであります。ふふふっと浮かれたのであります。

「呪(しゅ)」とは十一面観世音菩薩のマントラ、「おんまかきゃろにきゃそわか」のことです。「我が名」とは十一面観世音菩薩のことです。

「若しもわたし(十一面観世音菩薩)といっしょにいたら」の帰結が「乃至無上菩提を証得す」になっています。

「乃至(ないし)」は「畢竟するに」「最後には」の意味合いがあります。「無上」は「この上もない」「最高の」の意。「菩提」は「仏智」「仏の悟った悟り」「菩提涅槃」「涅槃寂静」を指しています。「証得」は「実証して自得する」ことです。

(でもこれはわたしの独自の勝手な読みですから、読者諸氏は自分でひもといてくださいね)

行き行きて、行き行き、最後には仏が得られた悟りの智慧と安らぎに、わたしが到達して、仏の教え、導きの通りになったことをわたしが実感することになる、と。

で、そうなったわたし(涅槃寂静しているわたし)を想像してふふふっとなったのであります。安堵を覚えたのであります。

それまでには行き行きて行き行きます。それでいいのであります。曲がりに曲がり、落ちて落ちて、惑って惑って、紆余曲折していくけれども、ラストにはまごうことなくこの境涯に到達する。仏陀の菩提涅槃に合一する。此処が嬉しかったのであります。

「若し」だなんて、条件を持ち出してありますが、本来は無条件であります。仏は無差別、無条件であります。呪文なんか唱えなくてもいいんであります。その方が、しかし、安心を得るので、安心を得る方法を指し示してあります。

わたし(十一面観世音菩薩)がついているぞ、あなたにはわたしという後ろ盾があるんだぞ、心配は要らないぞ、安心していていいんだぞ、としきりに、しきりにしきりに、それを繰り返して下さっています。

今日はなにをしましょう。山里のお爺さんは思案しています。北の畑へ行って里芋の植え付けをする仕事が待っていますが、腰が重いです。

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