阿弥陀来迎図。山越えの阿弥陀来迎図。それを思い浮かべています。
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来迎(らいごう)は、文字通り、来て迎えること。迎えに来て下さることです。
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極楽浄土がどこだか、どうやって行き着くのか死者には分からないのです。
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そこで、阿弥陀如来が多くの多くの菩薩衆といっしょに、死者のもとまでお迎えに上がられます。
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この阿弥陀如来の乗り物に乗ればもう安心です。死者はなにもすることがあありません。すべてをお任せしていればいいのです。すると、そこで、死者のほっぺたが安堵の林檎の色に染まります。
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もちろん、行く先は、阿弥陀如来が建設された仏国土=極楽浄土です。手取り足取りの仏さまです。
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阿弥陀様が、無明生死するわたしのために、始めから終わりまでご苦労をなさって下さいます。一切合切が謝金礼金なしです。
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ほんとうは、わたしたちは、死ぬことなんてできないんです。死なされるのです。「死ぬ」は自動詞にしてありますが、他動詞です。わたしたちの死を主宰するのは仏さまです。次のスタート(浄土往生・畢竟成仏)を促せて下さるのです。
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山里の老い耄れお爺さんは暇だから、そんなことこんなことを考えています。さっき窓のすぐ傍まで、さもさも親しげな表情をして、紋付き鳥のジョウビタキが飛んで来ました。
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