冬の夜は赤海鼠がおいしいなあ。摺り大根をたっぷりいれる。レモンをかける。醤油1滴2滴。舌の上にのせる。奥歯で噛み砕く。ごっくんと呑み込む。こりゃあ、たまらないなあ。でも高価だからなかなか喰えない。今夜はこれがある。少量を食べておこう。
くしゃみくしゃみくしゃみ。寒いわけではないが、くしゃみが連続する。世はインフルエンザが流行しているらしい。かかったのかもしれない。だが熱もない。知らぬふりをしておくか。それとも大事を取って、さぶろう式風邪発散治癒呼吸法を工夫実践して乗り切るとするか。
1)暫時、腹式呼吸をする。2)身(姿勢)と心(胆力)と息を調える。3)深呼吸をする。4)腹の底に息を溜める。5)これを長く吐く。6)できるだけ長く長く吐く。7)吐き切る。8)息を止める。9)ここで一気に勝負手に出る。10)すなわち全身で力む。11)全身がはち切れるまで力を込める。12)ううううう~んと唸る。13)全身が火玉の如く熱くなる。14)これを宇宙へ向けて発散放射する。15)両手を借りて(円を回して)鎮める。16)息を大きく大きく吸いこむ。
さぶろうはこれで治癒している。コツは息を止めたまま全身が熱くなるまで唸ることかなあ。
1
わたしは仏陀の表現者である。仏陀を表現する者である。
2
その位置づけにあるので、仏陀を表現する者でありたい。
3
この世に於いて仏陀を表現する者でありたい。
4
わたしは大宇宙の根源にある愛の意思の代弁者である。
5
愛の意思を代弁する者である。
6
この世にあって代弁するために生きている者である。
7
その意図を汲む者であるから、そのように生きていたい。
8
願わくば、仏陀を語り、宇宙根源の愛の意思を語りたい。
9
等しくその条件を満たしている者、阿僧祇劫の衆生とともに。不可量の衆生とともに。
10
仏陀のよろこびをよろこび、大宇宙根源の愛の意思の、よろこびをよろこぶ者でありたい。
「身已に私(わたくし)に非ず、命は光陰に移されて暫くも停め難し」 曹洞宗経典「修証義」第一章より
さぶろうの受領を記す。狭く浅いので読者諸氏で広大とされよ、深められよ。
*
1
肉体はわたしのものか。わたしのものであったが、もはやわたしのものでなくなっている。
わたしのものであったら、自由にできるはずである。病まないでいられるはずである。老いずにすむはずである。
自由にはならない。我が身と思っていたのに、自由にはならない。
病む。老いる。壊れる。崩れる。死ぬ。そういう事実ががしみじみと分かって来る。
2
では、問う。わたしは肉体か。
肉体である。肉体を生きている。肉体が伴わなければわたしは生きて行くことは出来ない。
いのちの場所は肉体か。いのちはここを住み処としている。
3
いのちの時間(光陰)は肉体の時間か。そうか。ぴったり一致しているか。
肉体が病めばいのちが病む。肉体が老いたらいのちが老いる。抵抗は出来ない。
では、肉体が死ねばいのちも死ぬのか。
4
それだけならば、そこに仏は無用である。
5
肉体はわたしのものであったか、ほんとうに。いのちはわたしのいのちであったのか。
6
仏のおいのちを生きていたのではなかったのか。
わたしの肉体を生きていると見せて、実は仏のお命を生きていたのではなかったのか。
生死の中に仏あれば生死なし。
わたしの生死を生きていたのではなかったのだ。仏のおいのちを追体験していたのだ。
7
生まれて老いて病んで死ぬ。肉体はこれを体験する。四苦を嘗める。嘗めて学ぶ。仏を学ぶ。仏のおいのちを学ぶ。四苦の法を学ぶ。四苦を解脱する道を学ぶ。
8
「身已に私に非ず、命は光陰に移されて暫くも停め難し」この真実を学んだのはわたしの中の仏のおいのちであった。
9
摩擦して火を起こして輝くものがある。あかあかと輝くものがある。わたしの中にあかあかと輝きだしたものがある。
10
仏法聞き難し。聞き難けれどいま已に聞く。われはこれを聞く。道元禅師の説かれた仏法を聞く。
午前9時に出発をして親戚筋の三回忌の供養に、唐津まで行って来ました。凍り付いていないか心配しながら七山峠を越えて行きました。法会では曹洞宗の経典が読経されました。道元禅師の教えをまとめた「修証義」の第一章二章、それと法華経観世音菩薩普門品偈とを。説法はありませんでした。短時間ですみました。ご馳走が振る舞われました。一族の親戚の方々とお酒を飲みました。故人を偲ぶ話で盛り上がりました。帰りは家内の運転でした。助手席を倒しているうちに眠りこけていました。4時には帰宅しました。