<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

二十日恵比寿が明後日

2016年01月18日 23時30分29秒 | Weblog

ドラマがないとね、読んでて面白くないよ。そう言われそうである。汝が書くブログはストーリー・テラーたるべし、と。お伽草紙には夜伽の面白話が満載である。

お婆様は千夜一夜、怪しい物語を語って聞かせるので孫っ子らは眠るまでのひとときを手に汗を握る。昔昔あるところに・・・・さあさあ始まり始ままり・・・・

一月のタンスの中には青い山があって、山には洞があって、洞には親子の狐が棲んでいて、子の狐が親狐に甘い饅頭をねだっておったとさ。饅頭は毎日毎日あるわけではない。親狐は困っておった。子狐は泣いてねだる。

これを見かねた恵比寿神様は鯛焼きの鯛をかかえて洞を訪ねて来たんだと。二十日恵比寿があさってになった。佐賀市の辻々には恵比寿像が430余体も祀られている。

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外は大荒れ

2016年01月18日 20時36分51秒 | Weblog

外は大荒れ。ごうごう大風が窓を打ちつける。夜空が弓弦のように鳴っている。明朝は大雪かもしれぬ。さぶろうは老人。早いとこ布団の中。電気アンカで足元をぽかぽかにしている。不安をおぼえた隣家の犬が幾度か遠吠える。外にいるみなさんは早く帰宅されよ。

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雷のようなマザー・テレサの言葉

2016年01月18日 17時59分56秒 | Weblog

「死は悲しいことではありません。わたしたちが悲しむべき唯一のことは、自分が聖人になっていないという事実だけです」    マザー・テレサ「愛と祈りの言葉」より

マザー・テレサ(1910~1997)はそう言っている。死は悲しむべきことではない、と。死は抗えない。必ず死を迎えねばならない。それまでに自分に差し向けられた神の愛に従順であったか、それが問われている。神の愛に従順な行動がとれたのであれば、神の領域の聖人である。それができていないということが、死を前にしての唯一の悲しみである、と彼女は言っている。神の愛に従順な行動が取れるようになれば、死を克服することが出来る、と教えている。彼女は死後、はたして聖人に列せられた。彼女は神の愛に従順な行動をしてなくなったのであった。凄まじい信仰の人であった。信仰を行動に生かし得た人であった。雷(らい)のような言葉だ。

「わたしはすべての人、特に苦しんでいる人たちの中に神を見ています」とも語っている。すべての人の中に神を見いだせるものこそ聖人と言えよう。

 

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わたしをよろこばせるのが仏の仏業

2016年01月18日 16時39分31秒 | Weblog

わたしをよろこばせるのが仏の仏業である。よろこばされたわたしが、調子づいてよろこんでいると、仏がこれを見てよろこぶのだ。仏業が成った、と。泣き止まない赤ん坊を泣き止ませるのは親業。これに類似している。仏の仏智見がわたしに伝わったら、わたしはこの仏智見をわたしの力量にして活動する。この活動がよろこびを彷彿とさせるのだ。

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サイクリングには行かない

2016年01月18日 16時13分47秒 | Weblog

サイクリングには行かない。寒い。運動になるから行けばいいのに、行かない。チューリップの球根35球を植えたらいいのに、植えない。風の畑に出て青首大根を抜いた。夕食に摺って食べようと思って。それから、ベランダに置いている鉢物に急いで水掛けをすまして家の中に逃げ戻って来た。家の中でも首にマフラーを巻いた。さっそく、大相撲初場所のテレビ観戦をする。10年ぶりに日本人力士が優勝を争うかもしれない。今日まで8戦全勝だ。期待が膨らんで目が離せなくなってしまった。

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無罪放免で安堵した

2016年01月18日 15時48分28秒 | Weblog

無罪放免であった。今日は3ヶ月の一回の通院日だった。さまざまな血液検査と腹部エコー検査をしてもらった。前回との変化はなかった。異常値を示すものはなかった。ほっとした。朝ご飯抜きだったので空腹を覚えていた。すぐさま近くでお昼ご飯を食べた。そこからスーパーへ回り、大型本屋さんに寄り3冊の本を買い込んだ。それからいそいそとして戻って来た。

長い長い待ち時間だった。予約の時間は大幅に遅れた。ずっと本を読んで過ごした。ここは内科、整形外科共通の待合室。待合室は患者さんで溢れていた。インフルエンザが流行っているのでみなさん一斉にマスクをしておられた。窓口の事務職員、看護婦、検査技師、ドクターも一様に。もちろんさぶろうも。後ろの席の方がごほんごほんと咳をされる度にひやひやした。

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頼もし

2016年01月18日 02時52分25秒 | Weblog

頼もし。我が内に仏陀います。いまして我を動かす。頼もし頼もし。我が内の一挙手一投足の仏陀。一意一思の仏陀。

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広大な宇宙を内包しておきながら

2016年01月18日 02時36分37秒 | Weblog

我が事を思う者には悲しみあり。我が事を思わざる者には悲しみなし。我が事を思う者には苦しみあり。我が事を思わざる者には苦しみなし。我はひたすらに我を思って悲しみ、我はひたすらに我を思って苦しむ。我は我にのみ執着す。広大の宇宙を我に内包しておきながら宇宙をおもんぱからず、我は我のみに小さく執着す。

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そはなんぴとぞ

2016年01月18日 02時19分32秒 | Weblog

なんぴとぞ。そはなんぴとぞ。そは姿を現さず。現さずして我を守らんとす。かと思へば、現して我が60兆個の細胞となる。60兆個の意識体の鉄壁の守りを為す。獅子奮迅の働きを為す。意識体を意識体たらしめている者はなんぴとぞ。そはなんぴとぞ。

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外は嵐

2016年01月18日 02時12分48秒 | Weblog

目が涙になる。守られている者の目が涙になる。守ろうとする者のひたむきな姿を思って涙になる。外は嵐のようだ。

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