じわりじわり涙がにじんで参ります。わたくしめは単純な作りになっております。人様のように海底の深さに達する必要もございません。ほんの浜辺の砂浜の浅瀬でいいのでございます。そこでもう涙になってくるのです。読経が始まるとそこがすなわち霊山浄土で、わたくしめがそこでお釈迦様のご説法の法華経を聞いているのでございます。これ以上はございません。近所のお寺の法師さまはご信心の方々に「これ以上」というところを説き進めてくださっておりますが、わたくしめのガラスのコップはすぐにも満水してしまいますから、零れていくばかり。申し訳がないことです。床下に潜んで暮らしている蝦蟇が独り言を言っております。ぷくぷく腹を膨らませて息をしております。外は春風が吹いておりました。たんぽぽの綿毛が寺院の床下まで吹かれてきてそこに静かに落ちました。たんぽぽにも耳があるのかもしれません。
「へえ、このわたくしめが、泥田の中で法華経を聞いているのでございますよ。あり得た事じゃござんせんが、これがあり得ています。侮っちゃいけません、びっきいにも耳があるのでございますからね」びっきい(蛙)がこう言うのでございます。田圃の畦道の櫨が全身真っ赤に染まって、そこら中が明るくなっていました。びっきいはもう冬眠の穴に潜らねばなりません。しかし、法華経のどのチャプターを聞いても、聞けるというよろこびでいっぱいで、なかなか土穴へ潜っていけません。法師さまが毎朝読経をなさるのでございます。この法師さまは幾分気紛れでしょう、毎日同じチャプターではございません、するとその日その日で菩薩様、如来様が次々に登場されます。わたくしめは目を閉じます。眼の裏の世界ですが、わたくしめがこの菩薩様、如来様にお目にかかれるよろこびといったらありません。