窓を開けて窓いっぱいの春 山頭火
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窓というのは不思議な物体である。隔てることができる。窓の外と窓の内をそれで隔絶できるのである。しかし、窓は、横着を図ってはいけない。窓がそこへ入り込んできて、それを成し遂げたかのように錯覚をしているだけである。しかし、窓の内側二重している住人にはそれは錯覚とは映らない。やはり、窓の外と窓の内があると思い込んでしまって疑わなくなる。
窓を開けると窓の外に春が来ている。たしかに窓いっぱい全部が春になっている。しかし、その窓を取っ払ってもこの状況は変わらないのである。
窓をそこにこしらえたが為に、そこに「窓いっぱい」という錯覚が生まれたのだ。窓くらいの大きさの春なんて、そんなに魅力があろうはずはないのだけれど、あるように見えてしまう。で、感嘆の声を上げ、感歎の俳句を作って提示してみせるのである。
いやいや理屈はもう言うまい。山頭火は窓いっぱいの明るい温かい春を感じて悦に入っているのだから。彼は、それまではしっかと閉じていた窓をともかくもここで開け放ったのである。窓を以て己の障害物としていた己の小ささを破ったのである。
悟りは窓を設けないところに成立するが、ここでは窓があったので成立したのである。いやいや、そのためにこそ家々には窓がついているのだ。悟りを得る便利に供するために。
話を元に戻す。山頭火の心の窓が開いたのである。どこもかしこも春だということを感得しえたのである。目出度いではないか。暗さが売りの山頭火にしては上出来だ。ここを打ち破って明るさへ躍り出て来たのだから。