<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

隼人瓜が林檎箱8杯分

2016年12月10日 19時26分14秒 | Weblog

九死に一生を得た。大袈裟だがそう直感した。助かったと思った。神様仏様、菩薩様権現様、明王様龍神様、守ろうとするものの多くに守ってもらったと感じた。

今日夕方、隼人瓜の収獲をした。霜が降って葉っぱや蔓は枯れてしまった。解けたようになっている。それで思い切って屋根に上って収獲を試みた。逆上せ老人の仕業だ。お金にもならないことを。

なにしろ、山茶花の大木と20畳ほどもある小屋を屋根ごと蔽っているのである。凄まじい繁殖力だ。蔓延る。蹂躙する。そして大きな実をたくさんたくさんつける。大きいのはシェパードの頭くらいはある。房なりする。これがどれも岩石のように硬い。

山茶花の木を蔽っている蔓を引っ張って実を落としていたときである。これが顔を直撃した。ガッツ~ンと当たって、瞬間、軽い脳震盪を起こした。目でなくてよかった。目だったら見えなくなるところだった。頭蓋のてっぺんでなくてよかった。陥没を免れなかったであろう。そこは高くなっている頬骨だったのである。打ち所が悪かったらそのまま卒倒していただろう。危ういところだった。

林檎箱8杯分収獲した。小屋の中に貯蔵した。来年の種にする以外はもはや使い前はないが、蔽ってしまっていては昼でもすっかり暗いのである。欲しい方にはお分けしていいが、毎年いっぱい腐らしてしまうだけだ。

助けて頂いたと思う。大事に至らなくてすんだ。これはきっと守る意思があったからだ。それだ何かは分からないが、さぶろうはともかく助けられたのである。平身低頭して感謝をしなくちゃならない。

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畑に出て薩摩芋の収穫

2016年12月10日 19時05分53秒 | Weblog

北の畑の薩摩芋畑で昼下がりのしばらくを過ごした。蔓と葉っぱはすでに霜で枯れている。椅子に座って器用にスコップを動かして芋を掘り上げた。大小の芋を掘り上げた。集めて籠2杯分になった。旨み甘味が出るまで、2週間はそのまま小屋の前で置く。それからは凍傷にかからないように一個一個新聞紙で包み、段ボール箱に入れ、日の当たるお縁側に置いておく。箱には毛布を着せる。ここが貯蔵庫だ。我が家はみんな芋好きであるである。かつがつこれを料理して食べる。家中に甘い芋のにおいが満ちる。実に単純なことに、幸せな気分も満ちる。

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完了の思想が好きだ、さぶろうは

2016年12月10日 18時59分00秒 | Weblog

「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」の孔子の言葉もあった。「道」を「幸福の道」とすれば、なるほど今日で今日の幸福が完了していいことになる。

さぶろうはこの「完了の思想」が好きだ。完了してしまえば駄目押しは不要になるからだ。一生は一生で完了する。完了はアビバッチ(不退転)だ。後戻りをしない。だから先へ進んでいける。先へ、また先へ進む。

旅は長い。真理発見の旅は長い。真理実現の旅も長い。準備のための一ケ所になど留まっていられるか。宇宙は広い。美しい水の星にばかりに留まっていられるか。もっと美しい星が次々にきらめいてさぶろうを誘っている。

完了完了をして先へ進む。これが潔い生き方だ。さぶろうはそう思う。

仏教の「解脱」とは輪廻の自転公転を離脱することを指している。次の新しい公転へ向かうのである。次の太陽系、更に次の銀河系へと向かうのである。

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今日の一日は一生に匹敵する

2016年12月10日 18時03分57秒 | Weblog

「今日を明日の日の幸福のための手段の日にするな。今日こそは今日の目的地点である」 そういう受け取りもある。

 *

また「一日一生」「今日の一日は一生に匹敵する」という金言があった。

今日が終わりの日であっていい。それでなければ毎日毎日、日々をどれだけ重ねても、一生がよそ事のように浮き上がってしまう。

 

 

 

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今日の幸福か、明日の幸福か

2016年12月10日 15時19分54秒 | Weblog

「今日幸福である」ことは、「明日幸福になる」ことよりも重大なことであるかもしれない。

幸福はいま「感じてしまう」ものなのかもしれない。

食事の時に根気よく30回噛んで噛みしめたら唾液が加勢をしてくれておいしく感じるように、いま此処でじっくり味わってみたら、なるほど幸福の味がしてくるというものかもしれない。

 幸福になるのは準備が必要だと言う主張もあるだろう。しかし、準備なしで、まっすぐ幸福へ突入することが出来たら、それが一番効率的であるとも言えそうだ。

今日幸福を感じたらそれはもう明日には消えてしまうものなのかどうか。明日にはまた明日の新しい幸福が泉の水のように湧きだして来るものだとしたら、遠慮なしに今日は今日の幸福に浸った方がいいだろう。

さぶろうは幸福について今朝から考えている。

 藪の中の2羽の雀は手の平に掴んだ1羽の雀に勝る。

 明日へ明日へと先延ばしにしないで、頂けるも幸福は今日頂いてしまへばいいのだ。腹に収まった鯖は腐らないはずである。

 

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人間はみな偉大なる求道者である

2016年12月10日 15時11分07秒 | Weblog

人間というのがとてつもなく偉大な求道者に見えて来た。人知の限りを尽くして「人間の幸福とはいかなることか」を一生涯をかけて学ぶのである。

一生涯これを追求して惜しまない。一生涯がぼろぼろになってもまだ幸福の追求をする。

 そして人知の把握した幸福は、絶対幸福とは言えないものであることを悟る。そこを超えたものがあるはずだという結論に至り着く。

 彼は仏陀に至り着く。仏陀の智慧を通した究極の幸福を掌握する。

 だったら、それだけの価値がある旅をしたということになるのではないか。人間はな偉大なる求道者である。

 

 

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最後に大肯定に至り着くのならば

2016年12月10日 14時37分42秒 | Weblog

否定をずっとずっと繰り返して一生を閉じる。そして最後に大肯定の新しい人生に至り着くのならば、犠牲にした一生はそこで黄金に輝くであろう。

 

 

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しなやかでやわらかでふかふかして

2016年12月10日 10時44分40秒 | Weblog

xanadu-23さん、数々の受賞おめでとう。受賞の作品「しし座流星群がやって来た」「やぐるま草」「月の光」読ませていただきました。素敵な詩でした。

凄いなあ。「NIKKEI私の書いたポエムsp」賞受賞。「第36回文芸おじや現代詩の部」受賞。第37回関市新春文芸 現代詩の部」受賞。おめでとう。おめでとう。おめでとう。凄いなあ、3賞の総ナメは凄いなあ。猫のやさしい絵描きさん。虹のじゅもんをかける呪文屋さん。きっぱり天狗になった天狗さん。二つの詩集を出版した詩人さん。おめでとう。陰ながら応援しています。ふふ、どんな人なんだろう。あのしなやかな絵の猫ちゃんのような人だろうか。しなやかで、やわらかで、ふかふかしてあたたかなんだろうなあ。ブログを読ませてもらっています。ときどきさぶろうのブログにも遊びに来ていただいてありがとうございます。

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みんな嬉しそうにして立ち上がっている

2016年12月10日 10時22分10秒 | Weblog

昨日はね、いいことをしたよ。誰に? 畑の人参さんに。草取りをしてあげた。それからほくほくに耕して、土寄せをしてやった。「してあげた」とか「してやった」とか、恩着せがましいけどね。耕された畑の土に空気が流通して柔らかくなって、そこへ冬の日射しが注がれていて、そこら辺一帯がのどかでなだらかで、実にいい気持ちそうだ。でついつい、「してあげた」と「してやった」が出てしまった。これで鼻高々なんだよ、さぶろう氏は。嘘と思うなら見に来たらいいよ。ほぐれた土がみんな嬉しそうにして立ち上がっているから。勿論その中心にいるのは人参さんの列だよ。そろそろ収獲できる。年頃娘になっている4列の人参娘。葉っぱは娘さんのスカーフ。黄緑でふっくらふくらんでいる。まったく生き生きしているよ。

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公務員の冬のボーナスが支給になったそうな

2016年12月10日 08時59分47秒 | Weblog

おはようございます。昨日のニュースでは公務員の冬のボーナスが支給になったようです。ああ、もうそんな頃かと思いました。昨年を上回ったようです。平均して70万円を超えておりました。民間企業のボーナスもそろそろでしょう。予想ではこれも大幅に膨れるようです。年末商戦も酣になって来るでしょう。働いている人たち、子育てをしている人たちの懐が賑わうのはいいこといいこと。無職のわれわれ老人組は年金以外に収入もない代わりに、子育てに懸かる支出もありませんから、ボーナスがなくったっていいのです。よね。お金というのは有効なものに有効に支出してこそ、その価値が発揮です。その有効なものというのが老いた後には見つかりません。だからいいのですよね。でも、懐かしい響きです、冬のボーナスって響きは。わたしは昨日苗物屋さんに立ち寄って撫子や金盞花などの花苗を幾株か求めました。80円x8株=640円。我が収入の範囲内です。今日はお天気ですからさっそくこれを庭に移植します。

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