羽化を終えたシジミ蝶が、わたしを見よと言う。わたしがあなたの真理を語っています、と言う。命の変態を見せてくれている。見ないで信じることは難しい。だからわたしを見て命の新生を信じよと囁いている。死はわたしの命の羽化であるかもしれない。
死は羽化である。蛹を死んで羽化したのである。そこからは新しい命を飛べることになったのである。そういう想定をしてみた。飛ぶことになった大空は真如の大空である。無量寿と無量光の、はてしもない大空である。
そのつもりなのである。そうと決まっているわけじゃないのに、そうなるつもりなのである。だからそれは極めて独り合点でしかない。未来は未定である。まだ来ていないのが未来である。未定なのだが、そうなるものとしておかねば、目標設定ができかねる。で、そうなった場合を見積もって、己をそのつもりにさせるのである。
生きているうちに死を手に入れた者はいない。死んだときにはもう生きてはいないからだ。だから、死は最後まで未所有である。未定の未確認の、未確定事項の、未承認事項なのである。死んでいないわれわれは、死んだつもりになるほかはないのだ。どんなものか、見積もってみるだけである。事実を体験することはできない。
そう。だから、どんふうに積もってもいいということになる。だったら最上最高最良を積もるべきである。じゃないかなあ。
蝉も蜻蛉も蝶々も抜け替わる。抜け替われば、古い上着よさようならということになる。彼らはそれまでの古い殻に未練を残さない。残さないで大空に飛び立っていく。彼らは新しくなったのである。変身を遂げたのである。新しい出発を喜んで大空を舞うのである。
さぶろうの見積もりである、これが。古いカラダと新しいカラダとは一貫しているが別物である。死ののちにあるのは、一段ステップアップしたところの別物である。斬新な別物である。彼は飛翔を手に入れることになったのである。愉快に進んだのである。だから、死んだことを悲しんではいない。恨んでもいない。後悔してもいない。泣いてもらいたいという気持ちを抱いてはいない。
さぶろうは、積もり屋である。それも明るい積もり屋である。嬉しくなる積もり屋である。
お墓の掃除をしてきた。我が家のお墓はお寺の中にはない。集落の畑の真ん中にぽつんとある。集落分の戸数分ほどある。もちろん墓は石造りである。周囲をセメントで固めている。その周囲に草が生える。竹が生える。さまざまな木が生える。棘のある木が生える。ほっておくと蔓延ってしまうので、これをノコギリ鎌で切り落とす。鍬で根を掘り上げる。そうして箒の目を立てる。終わり。きれいになる。これで新年のお正月が迎えられる。父の遺骨、母の遺骨、ご先祖さまの遺骨がこの墓に葬られている。わたしに至る着くまでの多くのお命さまに敬意を払って、読経。戻って来た。
やがて近いうちにわたしもここに納まるのである。家内と一緒にお掃除をしたので、家内にも聞いてみる。「どう? やがてあなたもここに納まるのだけど」「あなたの遺骨はわたしのそばにずっといることになるのだけど」すると家内はしばらくして「ずっといるでしょうかね?」と聞いて来た。「ずっとじゃないかもしれないね」僕は返事をした。「そのうち元素統合が起こって、別のものに変身変貌するのかもしれない」「水だってあたたまれば水蒸気になって空へ昇っていきますからね」などと会話した。
その先のことは分からないのである。だから仮なのである。仮にここにしばらくを逗留するだけなのかもしれない。そんなことも思ったりした。
吹雪いている。降り積もっている。雪の荒野。そこを一人のさぶろうが歩いている。木々の根株にも幹にも枝にも雪。視界のすべてをふんわりさせてしまった雪。雪だけの白い荒野をさぶろうの孤独が歩いている。ずんずん歩いて行く。そういう夢を見てた。夢も、さぶろう一人の孤独に耐えているのかなあ。何処へ行きたいのかなあ。行き着くあて先でもあるのかなあ。
おっぱい。ふくよかなおっぱい。やわらかいおっぱい。あたたかいおっぱい。うつくしいおっぱい。刺激満載のおっぱい。健康が溢れ出るおっぱい。見たいなあ。さわりたいなあ。さわれたらいいだろうなあ。でも、ない。ないものは見られない。ないものには触れない。さぶろうがしょぼんとなる。真夜中の一人のしょぼんは、おかしい。
雨だ。さあこれで口実ができたぞ。怠けていいぞ。歳末のさぶろうの分担は外掃除。でもこれで怠けていいぞ。にたりにたりのさぶろう。一日中炬燵のお守りをしていていいぞ。怠け者は怠けられると嬉しくなる。実に単純な構造だ。
夕食にニンニクを食べた。ニンニクは嫌いじゃない。嫌いじゃないが滅多に口にしない。食べるとおいしい。おいしく食べたので、夜の三時になってもさぶろうの口が臭い。吐く息が臭い。キスをされた掛け布団が顔を背けている。
横着者のさぶろうである。阿弥陀さまのことなんか眼中にないのである。眼中にないさぶろうの眼の中に、阿弥陀さまはどうやって入って来られるというのか。さぶろうの了承を取り付けてからか。横着者のさぶろうが了承をするはずはないのである。永遠にないのである。不法侵入という道しか残っていない。不法侵入をなさる阿弥陀さま。不法を犯されるおいたわしい阿弥陀さま。
真夜中。雨が降っているようだ。雨音がしている。それに聞き耳を立てる。聞き耳を立てると雨音が聞こえて来る。聞こえて来た雨音の、音の世界に入ると、さぶろうが静かになった。