<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

午前四時起きをしました 睡眠は足りています

2019年05月22日 20時54分43秒 | Weblog

おはよううございます。「う」の字を重ねてみました。うれしいの「う」を。ことばの遊びです。午前4時起きをしました。睡眠時間は十分足りています。もちろん、まだ外は暗いけれど、5時半になれば明るくなります。6時になったら、野良着に着替えて、のそのそ外に出て行こうと思います。裏のジャガ芋畑の草取りをするつもりです。一雨降ったらそれからはもう草天下、一面茫々と茂っています。カンカン照りの昼間は、暑くて、老爺は外に出ていられません。

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エツ料理を食べに筑後川下流域の専門店に行って来ました

2019年05月22日 08時05分14秒 | Weblog

女房殿の提案で、エツ料理を食べに行って来ました。車で小一時間ほど掛かって筑後川下流域のエツ料理専門店にやって来ました。エツという魚は、麦の熟れる頃に有明海から筑後川を上ってきます。一年のうちの今の時期に限って遡ってきます。6月いっぱいが旬です。薄くほっそりして柳の葉っぱに似ています。小骨が多い魚です。唐揚げだとか天麩羅だとか、擂り身の団子揚げとか、とにかく高温でフライにすると、小骨が気にならずに済むようです。今がエツ漁の解禁とあって、料理屋さんは立て込んでいました。駐車場が満杯で、空きを待ちました。みなさんやはり季節料理を食べたいのですね。エツ料理B定食で1800円でした。エツは3種類の料理になって運ばれて来ました。酒が飲みたくてならなかったのですが、我慢しました。

 

 

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今日の僕の即興詩 「モネの絵の中のあの人は」

2019年05月22日 07時52分30秒 | Weblog

今日の僕の即興詩 「モネの絵の中のあの人は」

 

わたしは逢いたいのです/今日日(きょうび)あの人に逢いたいのです/逢えないあの人だから逢いたいのです/ずっと逢えないままなのです

ただし/わたしを/あの人もまたそう思ってくれていなければなりません/それが条件です/麦の熟れた小径を/あの人が歩いて来ます/大空は広々として澄んでいます/

わたしはロマンチックになりたいのです/そうなるにはあの人が欠かせないのです/わたしは今日を生きていることを嬉しく思っていたいのです/しきりに酔いたいのです/

そうなるにはあの人が欠かせないのです/モネの絵の中のあの人は/日除けの傘を差しています/透けて見えるほど薄物のワンピースを/歩くたびに/五月の風に揺らせています

 

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栴檀の淡紫色の五弁花は 天人たちの散華の花

2019年05月22日 07時41分17秒 | Weblog

散華(さんげ)とは天界の天人たちが大空から花を散らすことです、高貴な人がそこを通り掛かられた際に。栴檀もまた天界に咲いている花かもしれません。高貴な人とは仏陀を指しているでしょうが、其処の下に立っていると、花を散らす天人たちが姿が垣間見えてくるような錯覚に落ちることがあります。栴檀の淡紫色の五弁花は気品があります。天人たちが手に取る気持ちが分かります。

五弁花の栴檀の木は散華の木 天人あまたゐて淡紫色     薬王華蔵 

 

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この時季 野山に 栴檀の淡紫色の 五弁花が 咲いています

2019年05月22日 07時15分51秒 | Weblog

この時季、栴檀の花が咲いています。大木(たいぼく)です。華麗な花で、わわわわっと森を盛り上げています。幹には蔦がからまっています。行き帰り、綺麗だなあと思って、その木の見えるところで車を止めて見入ります。馥郁とした芳香もします。栴檀は香木です。

梵語では、candana。辞書で調べるとそう出て来ます。ビャクダンの異称。アジア各地の暖地海辺に自生。高さは8mにもなる。淡紫色の五弁の花。楕円形の核果を結ぶ。果実は生薬。樹皮は駆虫剤。古くは獄門のさらし首の木に使われた。

<栴檀は双葉より芳し>の句があるが、ここの栴檀は、白檀のことらしい。檀は別種の「まゆみ」。弓を作る材になる。もみじする。赤い実を着ける

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そのお姿を こちらが やさしい観世音菩薩に見えたらいいのである

2019年05月22日 07時11分27秒 | Weblog

「助けて!」「南無(あなたに帰依します)」と声を張り上げないと、では、御姿を見せられないか。そんなことはあるまい。「南無!」と自己の意思表明しないでも、いつもどこにでもお姿は見せておられるに違いない。そのお姿をこちらが観世音菩薩様だと見えるようになればいいのである。いつもいっしょに暮らしていてくださるというふうに観ていればいいのであろう。いな、わたしを観世音菩薩にすればいいのだ。そうなるように修行をするのが菩薩道であろうから。

(理論上はそうなっても、修行はできない、わたしは。だから口だけ男)

 

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わたしを地獄道から解放するために

2019年05月22日 07時08分15秒 | Weblog

「普門示現(ふもんじげん)」は観世音菩薩様の特技です。普門の普は、普遍の普で「あまねく」。門は入り道に立っているから、「どんな入り口にも」ということになる。示現は「そこにはっきりと姿を示して出現される」ということ。それも三十三身に、つまりさまざまな姿に変身してまでも。「Help me !」の「世俗の声=世音」を聞いて、観て、判断して、たちどころに行動実践に移られるわけです。大乗仏教はこの「実践」をとても重んじています。実際に動き出して来られるのです。

なんのために? もちろん救済のために、です。仏道にわたしを導き入れるために、わたしを成仏させるために、わたしを地獄道から解放するために、です。

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昨日 楽しいランチタイムを過ごしました 感謝しています

2019年05月22日 07時03分13秒 | Weblog

ところが昨日、それがそうではなくなりました。一緒にお昼弁当を食べたのです。すると後ろの席の、女性と男性の双方が、「胡瓜漬けいかがです?」「真竹の筍を炊いてみましたよ」「卵焼きは?」と声を掛けて来てくださいました。みんなおいしく頂きました。で、どうだったか。嬉しかったのです。素直に、苦労なくすっと、仲間に入っていけました。楽しいランチタイムになりました。感謝しています。

2年目でやっと、此処へ来て仲間の中にいることが「あっ、楽しい!」になりました。わたしはぎこちない性格の、捻れ人間なのです。

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人様からすれば、「アイツは嫌なヤツ」の部類でしょう、この老爺は

2019年05月22日 06時49分31秒 | Weblog

わたしは生来、人の中に入らない質(たち)です。ぽつんとしているのが性に合っています。人の中に入るのは面倒なのです。話にも加わらない。人様からすれば「うううん、アイツは嫌なヤツ」の部類でしょう。輪に入って行かない理由は? 人に合わせなくちゃならない。あるいは、合わせてもらわなくちゃならない。だから、それが気苦労になるようです。相手に気苦労を背負わせてはすまない、という気持ちもあります。つまり、、一人が楽なのです。で、ぽつんと青空を眺めています。

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老いた者(わたしのこと)は幼児に等しい 手を取る

2019年05月22日 06時40分40秒 | Weblog

通称「高齢者大学」の前期分納金18000円を、昨日、郵便局へ立ち寄って、ATMから支払ってきました。納付書をずっと前に配布されていたのですが、なくしてしまいました。大事な物だからなくしちゃいけないと、深なおしをしていたのですが、その深なおしの場所が分からなくなってしまいました。随分探しましたが出て来ません。再発行をしてもらいました。今度は紛失しないように、再発行の日にすぐ郵便局へ行きました。担任の先生様お手数を掛けました。老いた者は幼児に等しいですね。手を取ります。

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