<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

風や光なんかも そういう体質ですよね 透明で自由自在な

2019年05月29日 16時15分44秒 | Weblog

おっはようございます。だと、若者流になりますかね。わたしの弟がよくこんなふうな挨拶言葉を発しながら、現れていました。その後に「おすおすおす」などと、付け加えながら。その弟はもうかれこれ5年も前に他界してしまいました。肉体を幽体や霊体など透明で自由自在な体質に替えているだけかもしれません。風や光なんかもそういう体質ですよね。兄のわたしの夢の中にはちょくちょく姿を見せています。あ、これは弟だということはすぐに分かります。人間には其の人一流の癖というものが具わっていますからね。見抜かれてしまいます。

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するべき畑仕事が こうして わたしを待っていてくれる

2019年05月29日 16時04分05秒 | Weblog

気温は29℃まで上がっている。だが、風があって、そうまで暑さを感じないですんでいる。午後4時を回ったので、日射しもいくらかはやわらいできているはずだ。そろそろ外に出てもいいだろう。昨日夕方植え付けたコスモスやマリーゴールドや綿の花が、しょんぼりしている。水撒きをしてあげたい。それから裏の畑にオクラ苗を移植しよう。畑はすでに耕してあるので、有機石灰、窒素リン酸カリ888の化学肥料と有機肥料牛糞を土に混ぜ込んであげればいいだろう。する仕事が、こうして、待っていてくれる。有り難いことだ。

 

 

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佐賀の近代日本画展を見に行って来た ひとりで

2019年05月29日 11時45分14秒 | Weblog

午後から一人で、佐賀大学美術館に「佐賀の近代日本画展」を見に行って来た。この美術館へは初めて行った。幕末・明治期から近代、現在までの日本画が展示されていた。来場者がわたしの他に一人おられるだけで、車椅子に乗ってゆっくり見て回った。展示されている作品は多くなかった。唐津市恵日寺所蔵の作品、長井智寛画の「佐用姫」を美しいと思った。わたしの寸分大の創作意欲が刺激を受けた。

佐用姫は松浦佐用姫(まつらさよひめ)のこと。万葉集、肥前風土記にその名が見える美女。弟日姫子(おとひひめこ)。辞書を紐解くとこうある。大伴の金村の子である狭手比古(さでひこ)が朝命により任那(みまな)救援に赴く途次に、姫と恋に落ちた。離別に当たり、領巾(ひれ)振りの峯(=鏡山)に登って領巾を振って別れを惜しんだ。

 

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相性が悪いのかなあ オクラさんとは

2019年05月29日 11時23分26秒 | Weblog

11時を過ぎたところ。畑に出て、しばらく、草取りをしていた。日照りはそう強くはない。雨の日の後は、草の勢いが増し加わる。休憩時間を過ごして、この後オクラ苗を一列植え付ける。種から蒔いて育てているが、どうもうまくいかない。育ちが悪い。相性が悪いのかなあ。植えても枯れてしまうことが多い。

オクラの料理は大好きだ。とろりとろりする。おいしい。花も可愛らしい。いったんしっかり根付いたら、割合に長く実をつけてくれる。朝ごとの収穫も楽しい。うまく育ってくれないかなあ。

 

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それはそれでまた落ち着かないだろう 漱石の俳句を読む

2019年05月29日 08時04分52秒 | Weblog

菫ほどに小さき人に生まれたし      夏目漱石

菫が野に咲いていたのだろう。作者も野山を歩いていたのだろう。そこで両者の出遭いがあった。春の朝の光がそこに溢れていた。濃紫の小さな花が生き生きとして光を浴びて、青空を仰いでいる。この生き方で十分なのだ。そういうことが理解されて来る。「生まれたし」だから、「次章は」ということか。次に生まれるときには、ということか。人間は図体が大きい。それだけ多くものを喰う。身心のどちらも喰う。こころの方が余計喰う。雑食性だから何でも喰うが、毒が残る。大小様々な煩悩が残る。寂しくもある。悲しくもある。

漱石ほどの大の文芸作家が、己の図体の大きさを恨んだのか。大物小物の大物に拘るのが人間の性(さが)なのだが、時々それを否定したくもなる。かといって、野山に菫として小さく暮らすとなると、それはそれで落ち着かないだろう。

 

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俳句は寂しい ぽつんとして寂しい

2019年05月29日 07時58分54秒 | Weblog

そこまででいいのに、親一人子一人だと寂しそうじゃないか、と勘ぐってしまう。親は二人のはず。二人いないと子は授からない。じゃ、もう一方は何処へ行ったんだ、という勘ぐりをする。辺りは夜の漆黒の闇。幸福はいつまで続いて行けるのだろうと、不安にもなる。

蛍が舞うところには人が集まっている。どやどやどやの家族だって、わんさといただろうに、作者は親一人子一人に目を止めて見入っている。

俳句は、寂しい。ぽつんとして寂しい。575しかない。寂しさを芸にすると読める。

 

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夜の闇に 水辺の先に 声が睦み合う

2019年05月29日 07時51分00秒 | Weblog

久保田万太郎(1889~1963)に、「親一人子一人蛍光りけり」の句があった。風景が現れてくる名句だ。蛍が親一人子一人ではあるまい。此処はやはり人間の、親一人子一人だろう。一人を産んだだけの、まだ若いお母さんなのか。幼い子とそのお母さんを想定する。もちろん二人は浴衣掛けだろう。下駄の歯音もしている。周りは真っ暗だ。蛍が光ると、声がする。声の辺りがまた光る。そこで声が二つ弾む。声が睦み合う。

久保田万太郎は小説家、劇作家、俳人。俳号は傘雨。句集に「道芝」がある。東京生まれ。

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わざわざ虫の恋を 盗み見るまでもあるまいが いま蛍の頃

2019年05月29日 07時40分17秒 | Weblog

蛍の頃となっている。麦熟れる頃は蛍が舞い始める。まだ行っていない。行かなくちゃ行かなくちゃと思っていて、逸らしてしまう。夕方、晩酌をする。するともう車には乗れない。蛍は水辺の川沿いを飛ぶ。湿った草地には蝮(まむし)が潜んでいる。そうなのだ、蛍の頃は蝮の頃でもあるのだ。何度か遭遇した。噛まれずに済んだ。で、ライトを消した車の窓から見るのが安全なのである。蛍のお尻の火は、あれは恋の火の赤さ明るさ。わざわざ虫の恋を盗み見るまでもあるまいが、夜の闇を光らせる火は幻想的で甘い。

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面白い話でも 笑えるときと笑えないときとがある

2019年05月29日 07時29分40秒 | Weblog

わたしたちの班の班長さんは愉快な人だ。よく周りを笑いに誘う。ほっとする。世の中にはいい人がいるものだ。出遭ってラッキーだった。昨日は彼と3人掛けの机に座った。真ん中に彼。其の隣りの人物も好人物だ。気が合う。息が詰まらないで済む。此処は通称老人大学。昨日は研修の日。午前中に1講座、午後から1講座。

班長さんの彼が、何かの拍子に、「ノーベル賞 辞退したいが 言うて来ぬ」という川柳を紹介した。大学のゼミの先生の作らしい。これでげらげら大笑いした。面白いことでも、笑えるときと笑えないときとがある。昨日は前者だった。

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今朝は 黄色い 中っくらいの 幸福の花が 咲いている

2019年05月29日 07時16分24秒 | Weblog

西側の畑にズッキーニの苗が5株列んでいる。3月末に種を蒔いていたもの。もう随分大きくなっている。今朝はその内の3株に黄色い、幸福の花が咲いている。ズッキーニは南瓜と胡瓜の合いの子。南瓜の花に似ている。花は似ているが、蔓を伸ばさない。で、場所を取らない。株周りが厚く茂ってそれが縦に伸びる。支柱を立てて倒れないようにしてやる。人工授粉してやる方が結実し易い。朝になってその幸福の花を見つけると、何だか幼児に帰る。

ときおり施肥をしてやろう。これから一月ほど、いや、もう少しは長く、楽しめるだろう。

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