新聞投稿する詩分野の作品を書き始めている。月初めに投稿をする。
今日午前中いっぱい掛かって、うんうん唸って、やっと1作品を書き上げたが、満足できていない。
詩の神が、宇宙銀河からわたし目掛けて飛んで来て、乗り移って、力を貸し与えないと、書けない。だからそれまで待つことになる。待つ間が長い。長いが待つ。
神は憑依する。見えない神は、見えるものに憑依することで、力を発揮することができる。詩を書いていないときでも、それは同じだ。多かれ少なかれ、パワーをもらっている。誰もが支援を受けているのだ。
で、書き上がった作品を見て、「こんなものおれには書けない」と実感するときに、いい作品が仕上がっている。50~90%は神の力が注入されているから、まあ一種の「神がかり」作品のようなものだ。
いや、おれはおれの力で書く。などと強がることもあるが、失敗作になることが多い。傲慢になるだけだ。
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詩を書くときに限らない。すべてがそうかもしれない。大いなるものの、大いなる力を、分けてもらって、それを我が物顔して、生きているのかもしれない、我我は誰もが。