<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

映画の一場面を見ているようではないか。

2024年01月04日 21時11分02秒 | Weblog

みじろぎに軋む木椅子や秋日和

芝 不器男(ふきお)

木でできている木椅子が、みじろぎをして、ギギギギギと軋んでいる。

無論、みじろぎをしたのは、此処に座っていた人間である。突然襲ってきた悲しみに、どうして対処していいか分からなくて、うろたえて、我が座を軋ませたのである。

木椅子とそれに座していた人間が、瞬間、凍り付く。

それをいたわるように、秋日和がやわらかく木椅子を包んでいる。

映画の一場面を見ているようではないか。

芝 不器男は、いい俳句を書く。実にいい俳句を書く人だ。

でも、もう寝よう。1月4日の夜も更けた。

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俳人にはそれがそうは見えない。

2024年01月04日 20時53分42秒 | Weblog

寒鴉(かんがらす)己(し)が影の上(へ)に降り立ちぬ

芝 不器男

日が上から鴉を照らすと、鴉の影は真下に落ちる。それが普通であるが、俳人にはそれがそう見えない。逆に見える。影が先に下りて、鴉を待ち受けているように見えている。

影が先に降り立っているのではない。そうであるのに、影が先に下りたっているような錯覚。それがもくろまれていて、読者は一瞬どぎまぎしてしまう。

冬の日の日脚は淡い。己の影を目指して冬の鴉が、覚悟をしたかのようにしずかに降り立った。これでやっと元の1に戻れたのである。己の黒い影を、己の中に吸収し終えたのである。

寒鴉が羽を休めて動かなくなった。

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固いことばかりを書いていても、

2024年01月04日 20時35分19秒 | Weblog

固いことばかりだと、飽きられてしまう。

で、ときおり、やわらかいこと、いろっぽいこと、体温が感じられることを混ぜることにしている。

それでも、買いが付かない。読者がつかない。

呼子の朝市に、品がそのまま残っている。仕方がないから、売り手のおばば様が、それをそのまま持ち帰って来ることになる。ブログも、それに似ている。

二つ垂るおっぱい此処では三つ四つ瓢箪棚を秋風の吹く

釈 応帰

おんなの人の、おっかあのおっぱいはいつもは二つである。瓢箪棚の下に立って見上げると、それがまあ三つも四つも垂れていた。秋風がそれをぷうらんぷうらん揺らす。おっかあが恋しいや。おんなの人が恋しいや。

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いきなりファンになりそう。

2024年01月04日 19時48分15秒 | Weblog

人入って門のこりたる暮春かな

芝 不器男  

山本健吉著 定本「現代俳句」より

人ではなく、此処では門が主人公。此処にボーダーライトが注がれている。

門は、人が出入りするところである。人が出入りをしなければ、門はそこにあるだけで何の用にも立っていない。だから、門は、人を恋しがっているはずである。

恋しいその人影は、門を入っていって、もうない。戻って来ない。暮春のうっすらした光が、門のあたりに残っている。

写実の写生句であって、人がいないのに、人の気配がする。人影が消えないで、抒情になっている。

いい句だなと思った。ファンになりそう。

芝 不器男(ふきお)(1903~1930)は愛媛県の人。高浜虚子の門人。26才で夭折した。

「不器男」は、論語の「子曰く、君子は器ならず」に根拠がある。もの(器)ではなく、ものを使いこなせるのが君子である、と。

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友人がやって来た。無花果苗を届けに。

2024年01月04日 16時58分39秒 | Weblog

「おおい、おおい、おっこう(おりますか)?」の声がして、友人がぬっと顔を出した。「おっぼう(おります)、あがらんこう」で対応した。

昼寝が中途に終わった。無花果の苗を届けてくれた。頼んでいたのではなかったが。おいしい無花果苗が複数、手に入ったらしい。それを分けたくなったのだろう。

無花果は木がどんどん大きくなる広がる。どうしよう。その分、畑が狭くなってしまう。

上がってもらって、お喋りをした。わははわははと大声で笑い合った。

我が家でつくった干し柿と焼き芋と数種類の大根漬けを食べてもらった。うまいうまいと食べてもらった。彼はお茶好きだから、お茶も何度もお代わりした。

5時近くになった。「だ、かえっぼう」「そいぎない」と言って、彼は帰って行った。お歳暮に頂いて食べきれずに居た上等蓮根、我が家で作った大根の酢漬けなどをお土産に差し上げた。

新年の挨拶に来てくれたのだろう。有り難い。

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蝶の羽根のように。

2024年01月04日 15時03分11秒 | Weblog

3時のお茶タイム。香りのいい紅茶を飲む。C・ア・ワ・セ感に浸る。

ABCのC。CCCすると、ウッシシシになる。(駄じゃれてみる)

客人からもらった長崎土産の、枇杷ゼリーを、スプーンに掬って食べてみる。おいCCCになる。

おやつを食べたら眠たくなった。とろとろして来た。快感ホルモンが1秒に10グラムずつ増えて来る。もうまもなくだろう、耐えられなくなった目蓋が、蝶の羽根のように、静かに閉じるだろう。

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街の本屋さんを3軒訪ねたが、

2024年01月04日 14時53分13秒 | Weblog

本屋さんを3軒訪ねたが、欲しい本は見つからなかった。NHK俳句の1月号2月号が読みたくなった。ないなら、しかたがない。すごすごと帰って来た。

後で、気がついたけど、市立図書館に行けばよかったのだ。ぼんやりしてるなあ。もう家に戻って来た。

帰宅後すぐさま畑に行って、白菜を抜いて来た。虫食いの白菜を。6株も。捨てるに忍びない。喰ってやろう。

虫に喰われた外側の葉っぱを容赦なく切り捨てて、虫付かずの、中心部を残した。それでも直径15cmはありそうだ。

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もうすぐ12時。留守番をして12時。

2024年01月04日 11時30分30秒 | Weblog

1月4日。また留守番が始まったぞ。家内は家外が好き。お出かけお出かけお出かけ。お爺さんは引き籠もり。出掛けて行くところが皆無。

慰めてくれる2号さんもいない。(じゃ、一挙に3号さんを作ればいいのかもしれないね。でも世の中、そう甘くない)

昨日テレビ番組で養老孟司さんが出演してた。80才を超えた学者先生の、白髪のジェントルマンの、彼曰く「わたしは人が嫌い。人の中に入るのがイヤ」。えっっと思った。いまや引っ張りだこのスーパースターなのに! 日本中に出歩いて活躍しているのに! 虫が好きらしい。とにかく虫といっしょに居るのが好きらしい。

あ、今年はテレビドラマで光源氏物語が登場するね。モテモテ男さんが。たくさんの女性があちらでこちらで恋をしてくれる男性って、今も昔もいるんだろうね。たくさんたくさんいるんだろうね。どんな人生なんだろうね、想像もつかないけど。

光源氏だったら、こんなに年がら年中引き籠もりなんかしていられないよね。(よかった、そんなことに無関係でいられる番外男性をしていて)

気温が上がってきた。そろそろ、でも、寝間着を抜いて普段着に着替えようかな。コタツの中に座ってばかりのお尻が痛くなった。

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川柳は人情の玉手箱。開けると恋しい人が出て来る。

2024年01月04日 11時16分09秒 | Weblog

冨士山を写して欲しい水たまり

森中恵美子 (川柳選者の川柳作品)

西日本新聞正月元旦号 西日本新聞読者文芸選者正月作品集より

母はまだひとりでまたぐ水たまり

選者はこの句を30年前に作っているらしい。で、「水たまり」がいまでも「お母さん」に重なっているようだ。川柳句集「水たまり」が昭和55年に発行されている。

川柳は人情の玉手箱かもしれない。明けると恋しい人が出て来る。水煙になって出て来る。

水たまりに富士山を映してお母さんに見せてあげたい。あの雪を頂いた美しい日本の山の富士山を。水たまりに映るはずのない冨士山なんだけど、そこが川柳なんだろう。

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何数えても愉し正月は。

2024年01月04日 10時39分22秒 | Weblog

声に出しひいふうみいと数ふるは何数へても愉し正月

伊藤一彦

西日本新聞正月元旦号 読者文芸選者正月作品集より

秀歌の何処がいったい秀歌なのか、分からないでいる。無能だから、いつまでたっても分からない。

選者をされている歌人の作品だから、ぜったいぜったいもうこれは秀歌に決まっている。

数年、投稿してきたが、わたしの投稿作品はこの選者から選ばれることはただの一度もなかった。屍るいるいだった。葉書代金63円x数年分がモッタイナイので、去年から止めにした。アキラメタ。

12345ではなく日本にはひいふうみいよういむなの数え方がある。こっちが古風でみやびで、なんとなく奥ゆかしい。しかも声に出して数えてみるんだから、聞いている相手もそれにつられて奥ゆかしい雰囲気を味わえるだろう。一人で遊んでいてもいいか。お正月の雰囲気には、ひいふうみいようがぴったりするかもしれない。

ところで、何を数えたのだろう? 飲んだ酒瓶オチョウシの瓶の数か? 食べた雑煮の餅の数か? 挨拶に来た正月客の人の数か? 年賀状は、著名人の著名人だから、とても数え切れまい。正月を祝うために集まって来た親子孫子の頭数かも知れない。いやいや、何数えても愉しいんだから、当てずっぽうしない方がいいのかも。

ともかく愉しかったのである。愉しいお正月を送れたのである。読者もこれで、愉しくなれそうだ。

ユーモアを効かせてあったところが、秀歌をいよいよ秀歌にしているところなのかもしれない。

人柄が滲み出ているところが、秀歌の味わいなんだろうね。

屍が、にべもなく、選者の作品を鑑賞に及んでみました。「不届き至極!」と怒られるかもしれませんが。

あっ、大好きな良寛様の作品にも、この「ひいふうみよいむな」が登場する作品があったなあ。良寛様を声に出して偲んでおられるのだろうか、この歌で。

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