美的センスは百人百様。そうしてある。
そうしてなければ、一極集中が起きてしまって、奪い合いが起こってしまう。
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で、あなたが美しいと思うものが美しいんです、というようにしてある。
そしてそれでいい。
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これで、痘痕(あばた)も靨(えくぼ)になる。割れ鍋に綴じ蓋で調和して安んじることができる。
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百人百様の恋が成就する。わたしの妻が日本一、わたしの夫が世界一になれる。そういう仕組みにしてある。
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美的センスが一つに限定されて一るなら、夫婦にはなれない。なっても後悔ばかりが残ってしまう。
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芸術のセンスもしかりである。文学鑑賞のセンスもしかりである。それぞれの美的センスに任せられている。
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だからまったく同じものを美の最高、芸術の最高、文学の最高としなくてすんでいるのである。
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選者はしかしこれに等級をつける。Aさんの美的センスが1位です、Bさんのが2位です。あなたのは等外です、などとして,踏ん反り返るが、おかしな話だ。自分のセンスだけが唯一の美のセンスではないはずなのに。
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美的センスや文学のセンス、芸術のセンスが一つ二つしかないとすれば、それはもう窮屈な話だ。狭っ苦しい話だ。価値観はそれぞれであっていい。自由であっていい。大空の広さであっていい。
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Aさんが美しくないとした風景を、Bさんがこよなく愛して美しく見る。そういうことだってあっていい。Cさんがツマラナイとして唾棄したものでも、Dさんが最高の価値付けをしてくれることだって起こりえる。これでいいのだ。
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百人百様。これでいい。限定はない。他者の一方的お仕着せに拘束されないでいい。自由であっていい。生き方も自由であっていい。よろこびのあり方、幸福のあり方も、自由であっていい。