3月5日金曜日。本日の船は就航しました。東京からの「たちばな丸」は表玄関の底土港に入港。ところが、「あおがしま丸」は反対側の八重根漁港から出港しました。底土港から八重根漁港までおよそ6キロ、乗り換えはタクシーを使えばおよそ6キロ、15分で着ける。しかし、物資の移動は無理かも。いったん、八丈島でお預けになり、次回の船に搭載するかも知れません。
見える電話の機能に「下書き」があります。1度に入力できる文字は100文字まで。話が長くなるときは、あらかじめメモ帳でテキスト文字を用意して相手が出たら、コピー&ペースト。100文字以上だと途切れて、続きを入力するのも大変・・・
そんなときは、見える電話の中に「下書き機能」があるので、100文字ごとにあらかじめ文字を入力。100文字再生が終わったら、次の100文字を挿入。これで相手に言いたいことは伝わり、先方から返事があったら、文字を入力して返事。こんなやりとりをして会話は成立。
ドコモの見える電話のホームページに、100文字以上の内容を伝えるためには、こんな使い方がありますよって載せてくれれば・・・。
今からおよそ100年前の1925(大正14)年。当時の鉄道省(国鉄の前身)が山陰本線を海岸沿いに敷設する計画がありましたが、滝部の権力者なのか地元の要望により、ここで線路を内陸に入るように「く」の字に折り曲げ。
折り曲げられたため、トンネルを貫通し・・・
まもなく長門二見駅に接近。手前の道路は、二見トンネルが出来る前の旧道。2台がやっとすれ違うほどの狭い道幅です。
駅前通りの集落。その画像の中に、生家がちらっと。今は伯母はあそこで暮らしていますが、会いに行けるのはおよそ1ケ月後。今回はかなりニアミス。
まもなく、ホームに接近します。
鉄道省の長門二見として設置されたところなので、ホームの長さは非常に長い。10両や12両編成の客車が停まっても客扱いは可能な長さ。
鉄道開業時の100年前は、大勢の人が行き交い、木造の駅舎に駅長室、当直室、きっぷ売り場、鉄道小包窓口、改札口、出発の合図を送る駅員、線路のポイントを切り替える駅員さんもいた。駅前通りもかなりにぎやかで商店、饅頭屋さん、駅前旅館や食堂もあった。
あれから100年後の今。駅はもうすっかり無人駅化され、二見饅頭は現存しているが、商店、駅前旅館、食堂なども廃業。残念ながら通過してしまいましたが、ちょうどお昼時だし、ここに停車し、シーフレンズふたみ謹製の新鮮な海鮮盛りだくさんの駅弁を出張販売してくれたら・・・。昔の時刻表を開いてみると、主要駅ならほとんど「弁」マーク付き。長門市駅もありました。昔は駅弁の需要があるほど、鉄道利用者がたくさんいたそうです。今回は通過してしまいましたが・・・1ケ月後・・・
舞い戻ってしまいました(笑)。