3月17日水曜日。本日の船は海上状況不良のため、欠航になりました。明日(18日)は芝浦積み荷作業のため運休日。次回の就航予定は3月19日(金曜日)です。
阿川を出てしばらくすると、再び海岸沿いの風景が見られるようになります。
向こう側は島のように見えますが、実際は陸続きの向津具半島。読みは、むかつく。手話は「しゃくにさわる」に同じかな。
粟野川を渡ると、まもなく長門粟野駅。粟野川の名所は春先にシラウオの踊り食い、青のり。グーグルマップで踊り食いが食べられるレストランがあった場所を探してみましたが、今はもう廃業しているのか見当たらず・・・。
線路を敷設した鉄道省時代、今みたいに1両や2両編成ではなく、10両も連なった長い客車がすべてホームで乗り降りができるようにものすごく長いホームを設置。その名残なのか、山陰本線のホームはすごく長いです。
ん!?当時の長門粟野駅をよく知っている私から見れば、この風景はありえない。何だろう、違和感がする。
今、入線している線路は下り専用。クルマの左側通行と同じく、島式のホームであれば、左側の線路を通るはずです。
子どもの時から何度も使った駅舎(1930(昭和5)年建築)。今も全然変わらずです。懐かしい。長門粟野によく来ていた理由は喘息発作をよく起こし、駅から徒歩3分の真柴病院によく通院していた。学校の口話教育にかなりストレスを感じ、自家中毒症(※)をよく起こし、入院までも。
(※)自家中毒とは食中毒ではなく、1.5〜8歳位の比較的やせ型の繊細なタイプの子どもが、種々のストレス(風邪、遠足、遊びすぎなどの疲れ、親に叱られる(精神的ストレス))を受けた時や、夕食を食べずに寝た時などに一時的に陥る病態)
昔は細くて痩せ衰えていた体型だったのに、今はもう真逆。真柴病院の建物はまだ現存しており、現在は「豊北クリニック」という名称に変わりました。
線路の位置に違和感を感じ、その後、スマホで長門粟野駅のことを調べてみたら、昔は上下交換ができたのですが、現在は1線のみ。汽車の数をあまりにも減らしすぎたため、上下交換する必要性はなくなったかも知れません。豊北クリニックのとなりにあるのは後から新しくできた病床のある「豊北病院」なのですが、職員への未払い事件があり、多くの看護師さんが退職し、病院としての機能ができなくなり、2020年1月から休止中。「豊北病院」を検索すると、未払い事件の話が出ています。