「広島仏壇」
Description / 特徴・産地
広島仏壇とは?
広島仏壇(ひろしまぶつだん)は、広島県広島市で主に作られている金仏壇です。広島は古来より浄土真宗の信仰が盛んな土地であり、浄土真宗が推奨する金仏壇が信者に向けて多く製造されてきました。
広島仏壇の特徴は、高度な漆塗り技法と純金細工です。産地特有の材料として広島名産の牡蠣の殻を細かく砕いたものを材料とした「胡粉下地(ごふんしたじ)」を使用しています。
漆塗りの上塗り仕上げには「立て塗」という技法が使われ、その技術の高さは各地の漆塗り職人が技術習得のため訪れるほどです。そして仏壇内部には親鸞聖人の生い立ちや仏教伝来を表す細やかな彫刻装飾が施され、表面には金箔が高い技術をもって贅沢に貼られており、その豪華絢爛な黄金の輝きは極楽浄土を表現しています。
広島仏壇の製造工程は大きく7つに分けられますが、それらは「七匠(ななしょう)」と呼ばれる専門の職人達によって分業され、部品ひとつひとつに専門の職人技が注がれています。仏壇1本に日本の伝統芸術が集約されているのです。
History / 歴史
広島は親鸞聖人の弟子が光照寺や照林坊を開いて布教した歴史のある土地です。その後も領主・毛利氏の保護を受けて信者数は増大し、仏壇作りも盛んに行われていたようです。
1619年(元和5年)に浅野 長晟(あさの ながあきら)が幕命により、領地を紀州から広島に移しました。その際に随従した職人が漆塗りなどの高度な技術を広島に持ち込み、仏壇製造の技術を大きく飛躍させました。そして1716年(享保元年)暾高という僧が京都、大阪から仏壇仏具製造の高度な技術を持ち帰り、さらに発展することとなったのです。
江戸時代末期になると城下町に、刀の鞘を塗る塗師(ぬし)、錺金具師(かざりかなぐし)などが集結し、それらの技術を生かした仏壇が製品として作られるようになります。
明治時代には瀬戸内海を利用した海上交通によって、京都、大阪方面に大量に納入されるようになりました。そして高い品質が各地で認められて需要が高まり、大正末期にその生産量は全国一となって隆盛を極めます。
その後の戦争、原爆投下により仏壇の需要や職人の数は大幅に減少しますが、生き残った技術者達によって徐々に復興され、過去の伝統技術は次世代に無事受け継がれて現在に至ります。
*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/hiroshimabutsudan/ より
浄土真宗のはぐくんだ芸術品、広島仏壇
仏壇は、先祖や亡くなった人をまつるためだけにあるのではなく、目に見えない浄土や阿弥陀如来を形にあらわし、おまつりする場であるとも言える。真宗の仏壇は浄土を表したもので金箔が張られ、これが広島仏壇の中心となっている。
安芸門徒とともに歩んできた広島仏壇
浄土真宗の盛んな広島では、古くから門徒を対象とした仏壇製造が盛んであった。しかし当初、技術はまだ発展途上の段階であったところに、1619年浅野長晟が紀州から転封された折りに、優秀な漆工職人たちを引き連れてきたことで、仏壇の製造技術が飛躍的に向上した。その後、1716年に敦高という僧が、京都、大阪で仏壇仏具の技術を学んで帰ってきたことで、広島仏壇の高度な技術は確立していった。明治になって、県外にも出荷されるようになると、大きさのかさばる仏壇を運搬する上において、瀬戸内海海運という交通の要所に恵まれたこともあり、その生産は大正末期には全国一となっていた。
原爆により壊滅的な被害に
広島という地を語る上で、やはり原爆の話は避けて通れない。仏壇職人が大勢暮らしていたところは爆心地からほど近く、多くの職人が命を落とした。戦後、出兵していた職人たちと残っていた職人が、力を合わせて広島仏壇の復興に尽力し、需要も次第に上向いていった。広島の人たちは仏壇の前で手を合わせるとき、ご先祖をおまつりするだけでなく、その先には被爆した経験があるからこその、真の世界平和というものまで願ってお参りしているのであろう。
金仏壇ならではの壮麗な美しさ
広島仏壇の特徴はなんといっても、金箔という最高の材料を使った壮麗さである。この金仏壇が広島仏壇の主流である。形式は大阪型と類似しているのも、特徴と言える。仏壇が出来上がるまでの各工程では、七匠と呼ばれる仏壇職人たちが腕を競い合っている。木地師、狭間師(さまし)、宮殿師(くうでんし)、須弥壇師(しゅみだんし)、かざり金具師、塗師(ぬし)、蒔絵師(まきえし)と呼ばれる人たちだ。蒔絵師の真志田(ますだ)氏はこの道54年という超ベテラン。「仏壇の蒔絵は、日常使いの漆器のような耐久性には乏しいが、豪華さが求められる」と、仕事の難しさでもありおもしろさでもある、その魅力を語る。「もっとも難しいのは漆つくり、ムラ乾きして均等に乾いてないと、次に蒔く金粉までムラになる」その金粉を蒔くタイミングなどは、まさに職人の長年のカンや腕が冴えるところである。
確かな仕事はよい道具と材料に支えられる
多くの用具が今では機械化されている中、広島仏壇では今でもかなりの工程が昔ながらの匠の手仕事で支えられている。「今、一番気がかりなのは、いい蒔絵筆ができなくなったこと。材料がよくないんだろう。筆はとても重要、いい筆だと仕事もはかどるから」と語るとき、温和な真志田氏の顔が一瞬、くもる。いい手仕事はまた、いい道具に支えられている。蒔絵筆の寿命は、約1カ月だそう。それを超えると毛先がだめになって、微妙な線が描けない。「思うようなものが描けたときはとてもうれしいが、よかったり悪かったりということのない、平均した仕事を常に心がけている」と話す真志田氏の表情は、本当にあたたか。仏壇の向こうで心静かに手を合わせる人たちのことを考えて、いつも描いておられるからだろうか。多くの方にこの広島仏壇の魅力をもっと知ってもらいたいと、製作工程をイベント会場で実演することもあるそうだ。しかし、この蒔絵だけは観客へのかぶれの問題もあって、なかなか難しいのが現状。漆のかわりに新しい化学塗料の開発も行われているようだが、結果が出るまでには何年もかかるもの。やはり自然の材料はやさしいし、それがベストだから昔から変わらず引き継がれているのであろう。
職人プロフィール
真志田沃
伝統工芸士、真志田沃さん、昭和22年から始めてこの道54年。細かい作業に神経を集中する。
こぼれ話
住宅事情が反映する、仏壇のサイズと色
仏壇の大きさの名称は各地によってさまざまですが、広島仏壇の場合は板内幅のサイズを号数(1号は約3センチ)で表しています。現在の売れ筋は、18号と呼ばれるもの。全体の出荷数の約3分の2を占めています。以前は24号と言われるサイズが主流でしたから、約20センチも小ぶりになりました。もっと小さいサイズや、最近では和室自体のないお宅も増えていることから、洋間に合うデザインといったものも開発されています。また色も今までは黒と金が中心でしたが、最近では色漆やシルバー、白といった色も使われて、インテリアに合う、モダンなイメージのものも人気を集めています。伝統を守りながらも、時代の流れを柔軟に受け入れる広島仏壇。けれど先祖をうやまう気持ちだけは、これからも変わらないことでしょう。
*https://kougeihin.jp/craft/0814/ より