いいもの見ぃ~つけた!

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<経産大臣指定伝統的工芸品> 広島 広島仏壇

2021-08-21 20:12:50 | 経済産業大臣指定伝統的工芸品

 「広島仏壇」

 Description / 特徴・産地

 広島仏壇とは?
 広島仏壇(ひろしまぶつだん)は、広島県広島市で主に作られている金仏壇です。広島は古来より浄土真宗の信仰が盛んな土地であり、浄土真宗が推奨する金仏壇が信者に向けて多く製造されてきました。
 広島仏壇の特徴は、高度な漆塗り技法と純金細工です。産地特有の材料として広島名産の牡蠣の殻を細かく砕いたものを材料とした「胡粉下地(ごふんしたじ)」を使用しています。
 漆塗りの上塗り仕上げには「立て塗」という技法が使われ、その技術の高さは各地の漆塗り職人が技術習得のため訪れるほどです。そして仏壇内部には親鸞聖人の生い立ちや仏教伝来を表す細やかな彫刻装飾が施され、表面には金箔が高い技術をもって贅沢に貼られており、その豪華絢爛な黄金の輝きは極楽浄土を表現しています。
 広島仏壇の製造工程は大きく7つに分けられますが、それらは「七匠(ななしょう)」と呼ばれる専門の職人達によって分業され、部品ひとつひとつに専門の職人技が注がれています。仏壇1本に日本の伝統芸術が集約されているのです。
 History / 歴史
 広島は親鸞聖人の弟子が光照寺や照林坊を開いて布教した歴史のある土地です。その後も領主・毛利氏の保護を受けて信者数は増大し、仏壇作りも盛んに行われていたようです。
 1619年(元和5年)に浅野 長晟(あさの ながあきら)が幕命により、領地を紀州から広島に移しました。その際に随従した職人が漆塗りなどの高度な技術を広島に持ち込み、仏壇製造の技術を大きく飛躍させました。そして1716年(享保元年)暾高という僧が京都、大阪から仏壇仏具製造の高度な技術を持ち帰り、さらに発展することとなったのです。
 江戸時代末期になると城下町に、刀の鞘を塗る塗師(ぬし)、錺金具師(かざりかなぐし)などが集結し、それらの技術を生かした仏壇が製品として作られるようになります。
 明治時代には瀬戸内海を利用した海上交通によって、京都、大阪方面に大量に納入されるようになりました。そして高い品質が各地で認められて需要が高まり、大正末期にその生産量は全国一となって隆盛を極めます。
その後の戦争、原爆投下により仏壇の需要や職人の数は大幅に減少しますが、生き残った技術者達によって徐々に復興され、過去の伝統技術は次世代に無事受け継がれて現在に至ります。

*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/hiroshimabutsudan/ より

 浄土真宗のはぐくんだ芸術品、広島仏壇
 仏壇は、先祖や亡くなった人をまつるためだけにあるのではなく、目に見えない浄土や阿弥陀如来を形にあらわし、おまつりする場であるとも言える。真宗の仏壇は浄土を表したもので金箔が張られ、これが広島仏壇の中心となっている。

 
 安芸門徒とともに歩んできた広島仏壇
 浄土真宗の盛んな広島では、古くから門徒を対象とした仏壇製造が盛んであった。しかし当初、技術はまだ発展途上の段階であったところに、1619年浅野長晟が紀州から転封された折りに、優秀な漆工職人たちを引き連れてきたことで、仏壇の製造技術が飛躍的に向上した。その後、1716年に敦高という僧が、京都、大阪で仏壇仏具の技術を学んで帰ってきたことで、広島仏壇の高度な技術は確立していった。明治になって、県外にも出荷されるようになると、大きさのかさばる仏壇を運搬する上において、瀬戸内海海運という交通の要所に恵まれたこともあり、その生産は大正末期には全国一となっていた。


 原爆により壊滅的な被害に
 広島という地を語る上で、やはり原爆の話は避けて通れない。仏壇職人が大勢暮らしていたところは爆心地からほど近く、多くの職人が命を落とした。戦後、出兵していた職人たちと残っていた職人が、力を合わせて広島仏壇の復興に尽力し、需要も次第に上向いていった。広島の人たちは仏壇の前で手を合わせるとき、ご先祖をおまつりするだけでなく、その先には被爆した経験があるからこその、真の世界平和というものまで願ってお参りしているのであろう。


 金仏壇ならではの壮麗な美しさ
 広島仏壇の特徴はなんといっても、金箔という最高の材料を使った壮麗さである。この金仏壇が広島仏壇の主流である。形式は大阪型と類似しているのも、特徴と言える。仏壇が出来上がるまでの各工程では、七匠と呼ばれる仏壇職人たちが腕を競い合っている。木地師、狭間師(さまし)、宮殿師(くうでんし)、須弥壇師(しゅみだんし)、かざり金具師、塗師(ぬし)、蒔絵師(まきえし)と呼ばれる人たちだ。蒔絵師の真志田(ますだ)氏はこの道54年という超ベテラン。「仏壇の蒔絵は、日常使いの漆器のような耐久性には乏しいが、豪華さが求められる」と、仕事の難しさでもありおもしろさでもある、その魅力を語る。「もっとも難しいのは漆つくり、ムラ乾きして均等に乾いてないと、次に蒔く金粉までムラになる」その金粉を蒔くタイミングなどは、まさに職人の長年のカンや腕が冴えるところである。


 確かな仕事はよい道具と材料に支えられる
 多くの用具が今では機械化されている中、広島仏壇では今でもかなりの工程が昔ながらの匠の手仕事で支えられている。「今、一番気がかりなのは、いい蒔絵筆ができなくなったこと。材料がよくないんだろう。筆はとても重要、いい筆だと仕事もはかどるから」と語るとき、温和な真志田氏の顔が一瞬、くもる。いい手仕事はまた、いい道具に支えられている。蒔絵筆の寿命は、約1カ月だそう。それを超えると毛先がだめになって、微妙な線が描けない。「思うようなものが描けたときはとてもうれしいが、よかったり悪かったりということのない、平均した仕事を常に心がけている」と話す真志田氏の表情は、本当にあたたか。仏壇の向こうで心静かに手を合わせる人たちのことを考えて、いつも描いておられるからだろうか。多くの方にこの広島仏壇の魅力をもっと知ってもらいたいと、製作工程をイベント会場で実演することもあるそうだ。しかし、この蒔絵だけは観客へのかぶれの問題もあって、なかなか難しいのが現状。漆のかわりに新しい化学塗料の開発も行われているようだが、結果が出るまでには何年もかかるもの。やはり自然の材料はやさしいし、それがベストだから昔から変わらず引き継がれているのであろう。


 職人プロフィール

 真志田沃

 伝統工芸士、真志田沃さん、昭和22年から始めてこの道54年。細かい作業に神経を集中する。

 こぼれ話

 住宅事情が反映する、仏壇のサイズと色

 仏壇の大きさの名称は各地によってさまざまですが、広島仏壇の場合は板内幅のサイズを号数(1号は約3センチ)で表しています。現在の売れ筋は、18号と呼ばれるもの。全体の出荷数の約3分の2を占めています。以前は24号と言われるサイズが主流でしたから、約20センチも小ぶりになりました。もっと小さいサイズや、最近では和室自体のないお宅も増えていることから、洋間に合うデザインといったものも開発されています。また色も今までは黒と金が中心でしたが、最近では色漆やシルバー、白といった色も使われて、インテリアに合う、モダンなイメージのものも人気を集めています。伝統を守りながらも、時代の流れを柔軟に受け入れる広島仏壇。けれど先祖をうやまう気持ちだけは、これからも変わらないことでしょう。

*https://kougeihin.jp/craft/0814/ より

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<言 葉> 秋の言葉 秋霖

2021-08-21 14:47:43 | 言葉

 「秋霖-しゅうりん」

 秋の初めに降りつづく雨。秋の長雨。秋雨 (あきさめ) 。

 

 「霖」

 音読み-リン
 訓読み-ながあめ

 意味-長々と降り続く雨。ながあめ。

*goo辞書 より

 「秋の季語」でもある。

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<桃> 長田白鳳

2021-08-21 11:19:54 | 食品

 「長田白鳳」

●長田白鳳とは
◆長田白鳳の来歴
 「長田白鳳」は平成5年頃に和歌山県紀の川市の長田地区において発見された「白鳳」の枝変わりとされ、当地で6月中下旬に収穫される早生種です。

 あら川の桃の産地として知られる和歌山県紀の川市で生まれた桃の品種は「長田白鳳」の他、「竜門早生」と「桃山白鳳」があります。いずれも早生種で、桃シーズンのスタートを彩ります。

◆長田白鳳の特徴
 「長田白鳳」の特徴は早生種であるという事と、大玉で果汁が多く、腰高な形になる傾向があるという事です。

長田白鳳(ながたはくほう),桃
 果実は300g前後で縫合線は比較的浅く、果頂部の縫合線も特に浅めで、果頂部または縫合線を挟んだ左右がツンと突き出し気味になる傾向があります。

 果皮色は乳白色の地色に着色は果頂部側から始まり、全面に及びます。

長田白鳳(ながたはくほう),桃
 果肉は乳白色に、斑に赤色が差す傾向がありますが、種の周りに着色は観られません。果肉は繊維が少なく、柔らかくジューシーであっさりした味わいとなっています。

◆実際に食べてみた長田白鳳の食味
 今回撮影試食したものは産地である紀の川市の直売所で6月28日に購入したものです。

 時期的に長田白鳳のシーズン終盤だったこともあり果実は全体にしっかりと色づいていました。

長田白鳳(ながたはくほう),桃
 果形はいずれも果頂部がやや尖ったような形の縦長で左右のバランスがいい感じでした。

 縫合線に沿って包丁を入れ、種に刃先を当てた状態でぐるりと一周切り込みを入れ、その左右を優しく掌で持ちながら軽くひねると、果肉から種を簡単に外すことが出来ました。

 串切りにしてから手で皮をむきます。するするっと簡単に剥けました。果肉は一見しっかりしているように見えますが、食べてみるととてもジューシーで、優しく口の中でほぐれていき、甘味もしっかりとありました。糖度を計ると12.1~12.6度でした。

●長田白鳳の主な産地と旬
◆主な産地と生産量
 「長田白鳳」は発見された和歌山県紀の川市でしか栽培出荷されていません。農林水産省がまとめた2018年産の特産果樹生産動態調査で見ると、和歌山県出の栽培面積は27haとなっています。

 また、H25年度の生産量は136トンとなっています。

◆長田白鳳の収穫時期と旬
 「長田白鳳」は早生種で、6月の中下旬に収穫されます。その年の紀行にもよりますが、おおむね15日前後から1週間から10日間続きます。

 「長田白鳳」は他の産地では作られていないため、上記の和歌山での短い収穫時期が旬となります。

*https://foodslink.jp/syokuzaihyakka/syun/fruit/momo-Nagata.htm より

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<日本酒> 福小町 大吟醸

2021-08-21 10:03:57 | 日本酒

 SAKE COMPETITION 2019

 【吟醸部門】GOLD 第8位 「福小町 大吟醸」

山田錦を40%に精米。華やかな吟醸香で数々の受賞歴を誇る、木村酒造の代表的な「作品」です。口に含んだ瞬間の鮮烈なインパクト。華やかでありながら、シャープなキレ味が冴えわたります。磨きあげられた酒だけが持つ透明感。本当に親しい人と、本気で酒と向き合いたいときに。
おすすめの飲用温度は花冷え(約10℃)、涼冷え(約15℃)ですが、日向燗(約30℃)もいけます。
特定名称種別 大吟醸酒
詳細 原料米 山田錦
精米歩合 40%
アルコール分 16.5度
日本酒度 +2.5

 株式会社 木村酒造 秋田県湯沢市田町2丁目1番11号

https://blog.goo.ne.jp/admin/editentry/?eid=3305a7d628d758ee7dd542c0e42607b5&sc=c2VhcmNoX3R5cGU9MCZsaW1pdD0xMDAmc29ydD1kZXNjJmNhdGVnb3J5X2lkPTVjNTU5Y2RmYzVhNjk5MjZhNDFjZjBkNWM1YTMzNzc0JnltZD0mcD0x

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<伝統野菜> 山形 エゴマ

2021-08-21 09:59:37 | 伝統野菜

 「エゴマ」
 【産地】最上地域>戸沢村

 【特徴】取れる油は乾性油であり、昔から盛んに利用されてきた。 別名「白あぶら」とも呼ばれる。

 【食味】葉:お茶、キムチ漬け 種子:精油

 【来歴】日本では古くから食用または油を採取するために栽培されてきたシソ科作物。

 【時期】葉:7月下旬、種子:10月下旬

*https://tradveggie.or.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%BC%9D%E7%B5%B1%E9%87%8E%E8%8F%9C%E2%80%9506-%E5%B1%B1%E5%BD%A2/#i-47 より

 

 地域の宝を再発見し、無添加食用油を開発

 戸沢村エゴマの会 事務局 田中誠一さん
 「これからも無添加の商品を増やしていきたい」と語る事務局・田中誠一さん。


 安全安心な油が欲しい、純粋な想いからスタート
 ガタン、ゴトン―香ばしい香りともに流れてくる軽快なリズム。戸沢村エゴマの会の作業場で搾油機がエゴマ油を搾り始める音です。
 エゴマ収穫後の焙煎から搾油の一連の作業は、平成15年の会発足当時から事務局を務める田中誠一さんが担当しています。
 「最初の頃は品物にばらつきがありましたが、ここ最近は質が良くなっている」と10年来戸沢村のエゴマを見つめ続けてきた田中さんは目を細めます。
 一度衰えていたエゴマ栽培が、戸沢村で復興したのは、韓国から嫁いできた女性たちがキムチの材料として育て始めたのがきっかけ。家庭用につくられていたエゴマが、「安全・安心な食用油を自給したい」という農家の有志たちの目に留まり、試験栽培がスタート。
 ついにはエゴマ油や加工品を販売する “戸沢村エゴマの会”として本格的な活動が始まったのです。

 

 環境に優しい植物から生まれる、無添加食用油
 シソ科に属するエゴマは、ほとんど農薬を使わなくて済み、肥料も米づくりの半分位で充分という優秀選手。さらに、山間部や休耕田を活用した転作にも向いていることから栽培面積が広がり、生産量が伸びました。作る量が増えても、良質なエゴマをつくるためには、「8月中旬のお盆周辺に、実に栄養分を行き渡らせために芽を摘む“摘芯”を手作業で行ったり、収穫後には洗浄を繰り返し、乾燥させるなどの手間が必要」と田中さん。
特に収穫後からの作業がキーポイントとなり、乾燥が足りないとカビ臭さや油があまり絞れないなどの原因につながるといいます。
 ちょうど収穫の時期に長雨が降る最上地域では、しっかりと自然乾燥させるのはなかなか大変。加工前にじっくりと焙煎を行い、水分を飛ばしてから搾油機にかけることで、黄金色に輝く無添加のエゴマ油ができあがります。

 

 味良し、香り良し、健康に良しの万能食品
 現在、戸沢村エゴマの会では、食用油をはじめ炒りエゴマやドレッシングなど、食指をそそるエゴマ特有の香ばしさを活かした商品が開発されています。それらは、現代人が不足しがちなα-リノレン酸を豊富に含むことから、生活習慣病やアレルギーの改善に期待できるなど注目され、県外からの注文も多いといいます。さらに、商品販売だけに留まらず、よりエゴマに関心を持ってもらえるようにと、数年前から“エゴマオーナー制度”を実施。エゴマのオーナーに申し込んだ方が、摘芯や収穫などの作業に参加し、生産現場に触れることで、生産者と消費者の距離が縮まってきています。
 「エゴマの生産者は60歳以上が多い。これから生産量を増やしていくためにも、一緒に油を搾って、将来につなげてくれる若い人が出てきてくれるとうれしいですね」と田中さん。戸沢村エゴマの会の挑戦はまだまだ続きます。

 

 戸沢村エゴマの会
 所在地/〒999-6401 山形県最上郡戸沢村古口2932-1

*https://oishii-yamagata.jp/maker/1152 より

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<慣用句・諺> 明日は我が身 など

2021-08-21 09:54:07 | 慣用句・諺

 「明日は我が身」

 よくないことが、いつ自分自身にふりかかってくるかわからないということ。

 

 「与って力がある-あずかってちからがある」

 あることの実現に、多大な貢献をする。

 

 「梓に鏤める-あずさにちりばめる」

 版木に刻む、すなわち出版する。上梓 (じょうし) する。梓に刻む。梓 (し) に上 (のぼ) す。

 

 「東男に京女」

 男は男らしくいきな江戸の男がよく、女は優しく美しい京の女がよい。

 

 「汗になる」

 1 働いたり動き回ったりして汗を流す。

 2 汗の出るほど、恥ずかしさ、恐ろしさを感じる。

 

*goo辞書 より

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<五輪公式ライセンス 伝統工芸品コレクション> 島根 石州和紙×千葉 房州うちわ

2021-08-21 09:41:19 | 五輪公式ライセンス 伝統工芸品コレクション

 「房州うちわ-千葉県×石州和紙-島根県 うちわ」 <経産大臣指定伝統的工芸品>

 島根県の伝統的工芸品の石州和紙を使用した、千葉県の伝統的工芸品の房州うちわ。
 石州和紙は、地元産楮100%で、一枚一枚手すき職人が紙すきをしています。また、房州うちわは、地元の竹を使い、一本一本手づくりでつくられています。
 ※商品の色、質感等は実際の色と異なって見える場合があります。予めご了承ください。
 ※写真の手ぬぐいは、商品に含まれおりません。
 素材:竹・手漉き和紙
 サイズ:W25×H42×D1cm
 製造国:日本

 

 「経産大臣指定伝統的工芸品」のコラボ。

 「石州和紙」

https://blog.goo.ne.jp/admin/editentry/?eid=24c870cf543b229c5d07d197b51c4f8c&sc=c2VhcmNoX3R5cGU9MCZsaW1pdD0xMDAmc29ydD1kZXNjJmNhdGVnb3J5X2lkPTkzNTM1NWRlOTQyMmE2NzY2YjJiN2Q4NGUyMmEzYjI2JmVudHJ5X2RyYWZ0PTAmeW1kPSZwPTE=

 「房州うちわ」

https://blog.goo.ne.jp/admin/editentry/?eid=691db96857c89982a29a26f9e8e28ae9&sc=c2VhcmNoX3R5cGU9MCZsaW1pdD0xMDAmc29ydD1kZXNjJmNhdGVnb3J5X2lkPTkzNTM1NWRlOTQyMmE2NzY2YjJiN2Q4NGUyMmEzYjI2JmVudHJ5X2RyYWZ0PTAmeW1kPSZwPTI=

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<経産大臣指定伝統的工芸品> 広島 宮島細工

2021-08-21 09:38:59 | 経済産業大臣指定伝統的工芸品

 「宮島細工」

 Description / 特徴・産地

 宮島細工とは?
 宮島細工(みやじまざいく)は、広島県廿日市市宮島町で作られている木工品です。
 日本三景のひとつである宮島は、古くから「神の島」と伝えられています。廿日市市は木材の集積地でもあることから材料の入手がしやすく、木工細工の発展する好立地となっています。
 宮島細工の特徴は、水に濡らしてわざと木目を立たせて磨く丁寧な仕上げ工程が施されていることです。ご飯に木のにおいが移らず米粒がつきにくいという使いやすさで知られており、生産量は日本一を誇ります。
 他にもろくろを使って丸盆や茶托など丸型のものを作る「挽き物」、四角の角盆を手作りの刃物で作る「刳り物」(くりもの)があります。「宮島彫り」とは、盆の表面や衝立、柱などに手彫りされる写実的な模様の装飾彫刻です。塗りは必要最小限に抑え、材質本来の木目模様の美しさや手触りを存分に生かした木のぬくもりを伝えてくれます。

 History / 歴史
 宮島細工 - 歴史

 宮島細工の始まりは江戸時代末期、1人の僧によります。1800年頃(江戸時代、年号は寛政の頃)宮島の僧・誓真(せいしん)は、宮島で信仰している弁財天が手にしている琵琶の形から杓子(しゃくし)を考案しました。そして島民にその作り方を教え、土産品として販売したのです。その品質の高さはたちまち評判となって飛ぶように売れ、おかげで貧しかった島民の生活は徐々に改善されました。杓子は島の経済を立て直す助けとなったのです。
 1850年頃(嘉永の頃)にろくろ技術が宮島に導入されてからは宮島の木工技術は更に発展し、ろくろを使った丸盆や茶托などの木製品が作られるようになりました。また、甲州(山梨県)の彫刻師・波木井昇斎(はきい しょうさい)によって彫刻技術が伝えられ、木製品の表面に装飾として彫られるようになりました。その写実的な美しさは評判となり、宮島彫りと呼ばれるようになりました。
 宮島で発展した木工技術は1910年前後(明治末期頃)に隆盛を極め、優れたろくろ技術を学ぶために全国から300人近い職人が宮島に集結し、技を磨いたと伝えられています。

*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/miyajimazaiku/ より

 景勝地、安芸の宮島で培われた宮島細工
 高校野球の応援風景で、広島出身の高校がアルプススタンドでおしゃもじをカチカチ鳴らして応援するのはもうおなじみの光景。めし(飯)とる、と縁起をかついだもの。このおしゃもじ=杓子の産地が安芸の宮島であり、宮島細工のひとつ。

 
 神の島、宮島に根付いた木工細工の技
 日本三景のひとつ、宮島は有史以前から海上の守護神をまつり、島そのものが御神体として信仰されていた伝説の島。推古天皇が即位して、この地に社殿を造営。以来千数百年、この厳島神社とともに宮島は歩んできた。古い歴史を持つ宮島に育まれた宮島細工の起源は、五色箸、色楊枝に始まると言われる。これらは、神社の儀式にちなんだ縁起物であった。
 もともと神の島ということで、宮島では農耕や機織りが禁じられていた。その代わりに、租税は免除されていた。島民たちは薪作りなど山仕事に関わる者が多かったようだ。厳島神社の神事や祭礼にあたり、市が立ち、多勢の来島者に対するお土産物として、島でとれる豊富な木を材料とした宮島細工が生み出されてくることになった。


 安芸の宮島「紺碧の海に朱色が美しく映える、厳島神社」

 宮島で出家し僧となった誓真は、寛政の頃(1789~1800)弁天さまの持つ琵琶の型から杓子を考案し、その技を島民に伝授した。誓真は日常に使う杓子に、弁天さまの物語性を与え、縁起物としてこの宮島杓子を新たな土産物として生み出したのである。これを機に木工細工が盛んにおこなわれるようになり、ロクロや彫刻、彫りの技術が伝えられていった。時代は移り、明治になると鉄道が開通したこともあって、観光客も増加し、販路も拡張されていった。日清・日露戦争時には、全国から広島の宇品に集まった兵士たちが大勢宮島を訪れ、無事の祈願とともにこの縁起物の杓子や宮島細工をお土産に買い求め、宮島細工の名はこうして全国各地へ知られるようになっていったのである。国内はもとより、海外へも輸出されるようになり、宮島細工は広く愛用されることになっていった。


 木の特徴を生かした宮島細工
 宮島細工には、この杓子のほかに「宮島彫」と言われる、盆や菓子器にほどこされる木彫り彫刻や、ロクロをまわして盆や菓子器、茶托などを作る「ロクロ細工」、ロクロではできない角盆などを手作りする「刳物(くりもの)細工」、シカの背にちょこんと乗ったサルがなんとも愛らしい「鹿猿人形」や、素朴な「宮島焼」といったものがある。木工細工においてはどれも、木本来の木肌や木目などの持ち味を生かしているのが特徴である。特にロクロ細工の挽き物や刳物では、木目を生かすことが何にもまして最優先されることだ。また生活様式の変化にともない、常に新しいデザインにも挑戦している。宮島細工の伝統や特色を生かしながら、技術の向上や新製品の開発などにも積極的に取り組み、展示会も開催している。


 もっとも大切なのが刃物づくり
 ロクロ細工師の高橋さんは、15歳のときから始めてこの道55年。もっとも気を配るのは刃物づくりと言う。「刃物の扱いが熟練の差。切れんのをむりやりやると、ちぎれるようになってしまう。刃物は自分で作らんと。ひとつのものを作るのに、大体10種類くらいの刃を使う」始めたばかりの頃は、先代に作ってもらったそうだが、そのうち自分のくせに合わせて使いやすい刃物を作るようになっていった。生前、先代から直接ほめられたことはついに一度もなかったそうだが、お母様にはこっそりと息子の自慢をなさっていたようだと、亡きお父様をしのんで目を細める高橋さんからは、あたたかい人柄がにじみ出てくるよう。


 作品づくりに一役、趣味の登山
 「その刃物を作るのも、挽きものを作るのも集中力が必要。イライラしとってはいいものはできん。」そんなときは、気分転換に趣味の登山をする。ふるさとの自然が残る宮島の山を歩くと、自然と気持ちもゆったりしてくる。「気持ちがゆったりしていると、いいものができる。木というものは安らぎ、ぬくもりのあるもの。それを作っている自分にもそういうものがないと、使ってもらう人にも伝わってしまう。」以前、ある方から「高橋さんの作品にはぬくもりがある。」とほめられたのは、とてもうれしかったと話す高橋さんから笑顔がこぼれる。「山に登ると、自然の美しさにいつも感動する。それが作品づくりに生かせる。」山の魅力を語る瞳は、まさに少年のように輝いている。この柔軟で鋭敏な感性が、美しいロクロ細工を作り続ける原点なのであろう。


 職人プロフィール

 高橋百太郎

 伝統工芸士、高橋百太郎さん。15歳の頃から父について挽き物を習い始めた。この道55年の大ベテラン

 こぼれ話

 日常使いに影響する原材料選び

 宮島細工によく使われる原材料の木には、桑(くわ)、ケヤキ、エンジュ、栃(とち)、桜などがあります。いずれも木目が美しく、木質が堅く、狂いがなく、耐久性にすぐれている、といった特質を兼ね備えています。宮島細工の木工製品はどれもふだんの生活で使ってもらって、その良さが実感できるものばかり。このため、原材料の善し悪しが使い心地に大きく影響してくるのです。原料となる木を吟味する職人の目は、真剣に。かつては、地元の宮島に生えている木を加工していたが、今では全国各地から、あるいは海をわたってくる木も珍しくありません。ただ、材料はあちらこちらと変遷しようとも、細工職人に流れるクラフトマンシップは変わることはありません。

*https://kougeihin.jp/craft/0629/ より

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