「美唄のとりめし」
主な伝承地域 美唄市
主な使用食材 鶏肉、米、たまねぎ
歴史・由来・関連行事
美唄市の郷土料理としていまも家庭で親しまれている「美唄のとりめし」。その発祥は北海道の開拓が本格的に推進された明治時代にあるといわれている。当時、現在の美唄市中村地区に入植した農場主の中村豊次郎が、稲作が軌道にのるまでの期間、小作人たちの家計と健康を気遣い、つがいの鶏を与え養鶏を奨励した。その後、米がとれるようになると、客をもてなすために飼っている鶏をつぶし、米と一緒に炊き込んだ「とりめし」で振る舞ったといわれている。現在も、中村地区では伝統を受け継ぎ、地元の女性たちが昔ながらの「とりめし」をつくっており、「中村のとりめし」とも呼ばれている。
食習の機会や時季
昔は、鶏も米も貴重な食材であったため、遠方から訪れる客のおもてなし料理として振る舞っていた。また、祭りや正月などのハレの日にもごちそうとして食べられていた。現在は、1年を通して食べられている。
飲食方法
使う主な食材は、米に炒めた鶏肉とモツのみ。調味料も醤油、砂糖、酒だけで味付けをして、炊き上げるシンプルな料理。シンプルな料理だからこそ鶏の出汁の旨味が広がり、香りや風味も強い。
どの家庭も使う食材はほとんど一緒だが、味付けは家庭ごとのレシピがある。地域によっては、ラーメンと一緒に食べるという風習もある。
保存・継承の取組(伝承者の概要、保存会、SNSの活用、商品化等現代的な取組等について)
美唄市内では、飲食店やドライブイン、スーパーマーケットなどでの店舗で「美唄のとりめし」が提供されている。北海道のスーパーマーケットでは、とりめし用に使える細かく切った鶏もも肉を販売していることもある。家庭でも、それぞれの味付けで食べられており、学校給食の献立にも取り入れられ広く親しまれている。
中村地区では伝統の味を広げようと地元の女性たちが「とりめし」弁当をつくり、地域の店舗で販売している。
*https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/bibainotorimeshi_hokkaido.html より
明治時代から受け継がれる美唄の味「とりめし」 旅グルメ 2022.09.15
日本各地のナビゲーターが、その土地に暮らす人たち(ふるさとLOVERS)からお聞きした「100年先に残したいもの」をご紹介するコーナー。今回は、明治時代から地域に親しまれている北海道美唄市の郷土料理「とりめし」を紹介します。
美唄は北海道有数の農業地帯
北海道美唄市は、札幌と旭川に挟まれる空知地方の中央部に位置する総人口約2万人のまちです。かつては炭鉱のまちとして栄えていましたが、現在は農業が中心で、さまざまな作物が栽培されています。おいしい食材が育つ美唄市にあるのが、JAびばい。春先の雪を貯雪室に蓄えて最適な環境で貯蔵したブランド米「雪蔵工房」や、グリーンアスパラガス「雪蔵美人」など、プライベートブランドが充実しています。
そんな美唄市で、遠方からの来客をもてなしたり、祝い事などの料理として明治時代からふるまわれていたのが「とりめし」です。岡さんが勤務するJAびばいでも、宴会などで口にする機会が多く、「約100年前から美唄で愛される郷土の味を100年後にも伝えていきたい」と語ります。「中村のとりめし」を製造する「なかむら えぷろん倶楽部」を訪れました。
もてなしの心から「とりめし」が誕生した
とりめしの歴史は、1894(明治27)年にまでさかのぼります。当時、美唄市北西部(現在の中村町)に、三重県と滋賀県の移民団が開拓に入りました。リーダーの中村豊次郎は22歳ながらアメリカ留学経験を活かし、蒸気機関車のエンジンを利用したポンプで石狩川から水をくみ上げることに成功。この地域の米作りの基盤を築きました。
また、小作人(地主から借りた田畑で耕作する者)一戸につき、オス1羽・メス1羽の鶏を貸し出し、翌年生まれた一番雛のうち、雄一羽・雌二羽を豊次郎に納めさせる方法で養鶏も奨励。後に、各家庭での養鶏が当たり前に。大正の頃になると、遠来からの客や集落の祝いごとなどで、貴重な鶏や米を使ってもてなしていました。そのようにして生まれた料理の一つが「とりめし」なのです。
中村産の米をたくさんの人に食べてもらいたい
「とりめし」の作り手で知られるのが、「なかむら えぷろん倶楽部」です。1982(昭和57)年頃に旧中村農協婦人部員が、市内の農業関係のイベントで中村町の家庭料理のひとつだった「とりめし」を販売したところ、「素朴な味で美味しい」と評判になりました。
平成初頭、中村町の女性たちは「故郷を遠く離れた人たちへ、『とりめし』を届けることができたなら」と模索。とりめしを定期的に製造することを思いつきます。1997(平成9)年11月に地域やJAの協力を得て試作研究を開始。翌年3月に「郷(さと)の味 なかむら えぷろん倶楽部」を結成し、4月から市内のスーパーなどで「中村のとりめし」の商品名で販売しました。今では美唄を代表する味覚の一つに数えられています。
「中村のとりめし」の製造は、朝7時から始まります。メンバーのほとんどが農業従事者です。通常は5~7名で調理していますが、イベントなどがあるときは、大勢のパートスタッフに手伝ってもらい、いくつもある大釜がフル稼働するそう。「中村の米をもっとたくさんの人に食べてもらいたい」と、早朝から働く姿に頭が下がります。
北海道産鶏と中村産米にこだわる
もともと、とりめしを作るときには「最後まで鶏の命を大切にいただく」という思いを込め、濃厚な出汁が出る「廃鶏」と言われる卵が産めなくなった鶏を使っていました。その流れから、現在も濃厚な出汁が出る北海道産の親鶏を使用しています。米はもちろん、地元・中村産。時代とともに銘柄は変わり、現在は、冷めてもおいしさが長持ちする「ななつぼし」が使われています。
家庭料理のため、商品化に伴い標準的な味を決めるまでに試行錯誤したそうです。開拓当時の濃厚なインパクトを踏襲しつつ、誰もが食べ飽きない味を求めて、シンプルに味付けられています。モツや皮などと一緒に、ガス釜で約60分かけて炊き上げることで、お米の粒に鶏の旨味が染み込むとともに、つやつやに仕上がります。
厨房に香りがよい湯気が立ち込める
炊きあがったとりめしは桶に移されます。香ばしいおこげは「とりめしこげおにぎり」として販売。数が限られているので購入できれば幸運です。一緒に炊きこまれた鶏モツは好き嫌いが分かれるため、取り除かれて別売りされています。こちらも根強いファンが多く、売り切れ必至の人気商品です。
「中村のとりめし」は、お弁当や手軽に食べられるおにぎりとして美唄市内や近郊のスーパーなどで販売されているほか、宴会や親戚の集まり用に「釜の宅配」を一升(約10人前)から承っています。また、お米ととりめしの素がセットになった「ご家庭用炊き込みセット」を全国発送しているので、遠方の方もその味を楽しむことができます。直接、なかむら えぷろん倶楽部に買いにくるお客さまがいるそうですが、ここでは販売していないのでご注意ください。
100年先にも伝わる素朴な味
「中村のとりめし」は、皮の脂とモツのうまみがお米に染みわたり、アッサリしていながら親鳥の濃厚なパンチも感じます。紅ショウガを加えればピリリと味が変わり、いくらでも食べられるおいしさ。今でこそ「素朴な味」と表現していますが、食料が少なかった時代では、夢のようなご馳走だったのでしょうね。
推薦者の岡さんは、もてなしの心が込められてきた背景も後世に伝えていきたいと思ったそうです。愛情と情熱を混ぜ込んで炊き上げた故郷の味は、100年後の人たちにも愛されていることでしょう。
*https://tabi.furu-po.com/article/351 より
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます