第74回 2014年11月4日 「使うほどに艶(つや)が深まる器~岩手 浄法寺塗~」リサーチャー: 前田亜季
番組内容
日本一の漆の産地、岩手県二戸市で作られる浄法寺塗(じょうぼうじぬり)。シンプルで上品だが、普段使いできると根強い人気を誇る。しかも使うほどに艶が増すという魅力の器。その秘密は、地元で採れる漆が良質であることと、その良さを生かした「重ね塗り」という技法にある。女優・前田亜季が、浄法寺塗りの第一人者の工房とスゴ腕の漆かき職人の現場を訪ね、古来日本人が大切に育んできた漆の文化の奥深さに触れる。
*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201411041930001301000 より
《参考》浄法寺塗の歴史
「浄法寺塗」が生まれた岩手県二戸市浄法寺町は、日本一の漆の産地で、国産漆の7割を占めます。
「日光東照宮」で現在行われている大修理に用いられているのも全て「浄法寺漆」です。
「浄法寺塗」には1000年の歴史があります。
浄法寺歴史民俗資料館には、国指定重要文化財の漆関連資料3,280点を所蔵されており、職人の道具や古い時代の漆器が展示されています。
奈良時代に行基がこの地に開山した「天台寺」の僧侶達が日々の生活のために自作した漆器「御山御器おやまごき」と「鉄鉢御器てっぱつ(別名:テッパチ椀)」も展示されていて、これが「浄法寺塗」のルーツと言われています。
「御山御器おやまごき」とは通常の椀よりやや小ぶりで、「飯椀」「汁椀」「皿」の三つの椀を入れ子に出来る携帯用のお椀セットです。
野外での作業の際に、片手で三つの椀を持って手早く食事したことから、「野良御器」「人足椀」とも呼ばれたという話が伝わっています。
「鉄鉢御器てっぱつごき(別名:テッパチ椀)」の「鉄鉢てっぱつ」とは、僧が托鉢(たくはつ)の時などに、食物を受けるのに用いる鉄の容器鉄製の鉢のことです。
僧侶が自作し使っていたこれらの漆器は時代を下るうちに、庶民に広まったと伝わっています。
江戸時代、南部藩は漆掻奉行を置き、漆を他領へ持ち出すことを禁じた他、藩主への献上品として金箔を施した雅やかな漆器「箔椀」(はくわん)を作りました。
明治になると「箔椀」は廃れますが、大正・昭和にかけて庶民の漆器の需要は高まり、国内はもとより海外にも販路が広がりました。
しかし昭和30年代以降は合成樹脂の普及により一度は途絶えてしまっていました。
浄法寺歴史民俗資料館 岩手県二戸市浄法寺町御山久保35
1.浄法寺塗(塗師・岩舘隆さん)
「自分のところで採れた漆を使っていきたい」という思いから「浄法寺塗」を復活させたのが、塗り職人の岩舘 隆さんです。
岩舘さんは現代の生活に合うように、使いやすい普段使いの漆器を作り、広めるために尽力しました。
昭和60(1985)年、「浄法寺塗」は国の「伝統的工芸品」に指定され、見事に蘇りました。
その岩舘さんに、制作した漆器を紹介していただき、「浄法寺塗」に使われている「浄法寺漆」や道具などについて
解説していただきました。
「浄法寺塗」の特徴は何といっても頑丈なこと。
その理由は「下地」にあります。
漆器の産地の多くは、「蒔地」(まきじ)といって、木地に漆を直接塗り、その漆が乾かないうちに「地の粉」などを蒔いて付着させ下地としています。
一方「浄法寺塗」では漆以外の原料を一切混ぜず、「重ね塗り」といって「塗り」→「研磨」の工程を7~8回繰り返して、生漆を何度も塗り重ねて強度を出しています。
塗りに使う道具は、昔から女性の髪の毛で作られた「刷毛」一本。
椀を回しながら刷毛を逆の方に滑らせるようにして一気に塗り上げていきます。
大事なのは均等な厚さで塗ること。
均等に塗ることで、丈夫さ、耐久性が生まれます。
器は一度塗る毎に「風呂」と呼ばれる湿度の高い場所に入れ、一晩置いて乾燥させます。
漆は温度20〜25℃、湿度70〜75%の状態で硬化します。
そうして一晩置いて硬くなった漆を砥石とサンドペーパーで「研磨」していきます。
傷をつけるのは、漆の塗膜の密着性が良くないので、傷をつけて漆と漆の密着性を高めるためです。
「浄法寺塗」の美しさを決定付ける「上塗り」作業には、精製した最高品質の「浄法寺漆」を使います。
漆を塗って乾燥させた後、敢えて磨きを施さないのが岩館さんの流儀。
「花塗」(はなぬり)という技法で仕上げます。
その方が、漆本来の輝きが出るのだそうです。
そして使っているうちに艶が出て輝きが増してくるようにすることで、使い手に仕上げを託しているのだそうです。
「私達は8割仕上げて、残りの2割は使う人が仕上げる」と岩舘さんはおっしゃっていました。
2.こぶくら(小田島勇さん)
平成26(2014)年10月、米NYにある「NIPPON CLUB」で、二戸市の「浄法寺漆」を紹介する「浄法寺塗り展覧会」が
開催されました。
職人が実演を行ったところ、「うっとりする」「すぐにでも実演の手伝いをしたい。本当に素敵」と大好評。
二戸市役所漆産業課の職員であり、滴生舎の塗師である小田島勇さんは「いろんな人に伝わってくれれば最高」とコメントしていました。
小田島さんは、これまで一貫して「浄法寺漆」の生産体制を整えようと奔走してきました。
そして、岩舘隆さんが築いた基盤を途絶えさせないために、自らが塗師になり、「滴生舎」で職人を雇い、漆器の作家志望者が修行を兼ねて働けるしくみを作りました。
「滴生舎」は市役所の出先機関でしたが、令和3(2021)年春に民間化されました。
小田島さんは「こぶくら」というこの地方で使われていた「どぶろく」を呑むための酒器を復活させました。
「こぶくら」は、汁椀より二回り程小さく、手にすっぽりと収まるくらいの大きさで、ふっくら丸みを帯びた椀です。
「どぶろく」とは米と米麹、水などを発酵させ、もろみを漉さずに造った白く濁った酒です。
現在は、「酒税法」により個人的な「どぶろく」造りは全国的に禁止されていますが、明治31(1898)年までは、浄法寺町では盛んにどぶろくが造られていて、冠婚葬祭は勿論、田植えや稲刈りの時など、人が集まる場には「どぶろく」と
それを楽しむための「こぶくら」は欠かせないものでした。
因みに、岩手県安代町、岩手県浄法寺町、岩手県遠野市は平成15(2003)年11月の構造改革特区第3回認定において「どぶろく特区」に認定され、「どぶろく造り」が認可されています。
小田島さんはまず、「浄法寺歴史民俗資料館」に保存されていた旧家で使われていた昔ながらの「こぶくら」の形やサイズを測り、昔と同じものを作ってみました。
それを基に、手にしっくり馴染むように2割程縮小して現代風にアレンジした「こぶくら」を自ら漆を塗り重ねて作りました。
他にも、下の方が広がった形をしていて、コロンと倒しても起き上がる「すえひろ」という酒器、フリーカップとして使える「ねそり」も作っていらっしゃいます。
滴生舎 岩手県二戸市浄法寺町御山中前田23-6
3.「URUSHITOグラス」(浄法寺塗・萩ガラス)
現在、若い職人がつくる新しいデザインの「浄法寺塗」が多く生まれています。
勿論、どの漆器も地元で採れる最高品質の「浄法寺漆」を使い、実用性を重視することを忘れてはいません。
「URUSHITO(ウルシト)グラス」は、本州最東端の岩手県浄法寺の漆と最西端の山口萩のガラスがコラボレーションして生まれた美しい翠のガラスと浄法寺漆の落ち着いた風合いがマッチした、これまでになかった器です。
「2013年度グッドデザイン賞」を受賞しました。
4.漆掻き職人「掻き子」の鈴木健司さん
「浄法寺塗」を支える、二戸市に点在するの漆の森の面積は150haあります。
漆掻き職人「掻き子」の鈴木健司さんに漆の採り方を伺いました。
鈴木さんは福島県会津美里町で生まれ、会津で漆を学びました。
本物の国産漆を使いたいという思いで、初めは地元・福島で漆を掻いていましたが、漆を採ることが面白く、更に極めるたくなって、「日本うるし掻き技術保存会」の研修を受けるために浄法寺にやって来ました。
研修後は「滴生舎」の臨時職員として塗師として働き、その後は独立して、夏の間はひたすら漆を掻き、冬になると塗師としても活躍しています。
漆掻きは、初夏、芽吹きが落ち着いた頃から始まります。
漆掻き職人「掻き子」はカンナと呼ばれる専用の刃物で、ウルシの幹にわずか数㎝の「辺」(へん)と呼ばれる切り傷を付けます。
これが「目立て」と呼ばれるもので、「これから辺を付けていくぞ」という職人からウルシの木へのメッセージになります。
その後、約4日から1週間という間隔で、2辺、3辺と徐々に長い「辺」を付けていき、滲み出てくる漆を専用のヘラで掻き採っていきます。
「掻き子」が一日に掻く漆の木は約100本。
この日採れた漆の量は木100本から約2㎏でした。
質の高い「浄法寺塗」は漆の木を知り尽くした職人の技によって生み出されていました。
*https://omotedana.hatenablog.com/entry/Ippin/Iwate/JobojiUrushi より
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