「ジンギスカン/成吉思汗」
主な伝承地域 道内全域
主な使用食材 羊肉、たまねぎ、もやし、ピーマン、とうもろこし
歴史・由来・関連行事
大正時代、第一次世界大戦の勃発により、羊毛の輸入が困難になると、国策として、綿羊飼育が奨励された。当時、北海道でも綿羊飼育が盛んとなり、このころから羊肉が食べられるようになったといわれている。第二次世界大戦後、衣料資源の不足によって、日本全国各地で羊毛需要がさらに高まるが、次第に輸入羊毛や化学繊維が国産羊毛に普及すると、北海道内では綿洋飼育から羊肉用の飼育へと変わっていった。「ジンギスカン」は当時の羊肉消費拡大のために根づいた料理といわれている。
「ジンギスカン」の発祥は諸説あるが、昭和のはじめごろ、羊肉を食べる習慣のなかった日本人向けに中国料理の「コウヤンロウ/カオヤンロウ(羊の焼肉)」を参考に考案されたなど、いわれている。
いまでは全国的にも有名となり、平成19年(2007年)には「石狩鍋」、「鮭のチャンチャン焼き」とともに、「農山漁村の郷土料理百選(農林水産省主催)」に選ばれている。
食習の機会や時季
戦後しばらくして、一般家庭まで広がったとされ、現在では、1年を通して各家庭の食卓にも並ぶことが多い。
春には花見、夏にはバーベキューなど、家族や友人などで集まる際、屋外でジンギスカンパーティーをすることもある。
飲食方法
羊肉には独特の臭みがあるため、食べ方は生のまま羊肉を焼いてタレにつけて食べる「ジンギスカン」と、あらかじめ醤油ベースなどの特製タレに付け込まれた羊肉を焼く、味付きの「ジンギスカン」の2種類がある。
北海道の家庭では、「ジンギスカン用の鍋」を持っていることが多い。ジンギスカン鍋は中央が盛り上がり、焼く部分に溝がある。その形状から、羊肉の肉汁がまわりの野菜に流れ落ちることで味が染み込み、美味しくいただける。一緒に焼く野菜は家庭によってさまざまである。
羊肉は、生後1年未満の子羊の「ラム」と生後2年以上の「マトン」のどちらも食される。「ラム」は、臭みが少ないのが特徴であり、「マトン」は多少クセはあるが、脂が乗っていてしっかりとした味が特徴である。
保存・継承の取組(伝承者の概要、保存会、SNSの活用、商品化等現代的な取組等について)
全国的に知られており、各地で食されている。また、北海道内には、有名なジンギスカン店が多数あり、観光客が多く訪れる。
平成16年(2004年)に北海道遺産の一つに選ばれる。また、北海道のジンギスカン食普及拡大促進協議会は、「4(羊/よう)・29(肉/にく)」の語呂合わせから、4月29日をジンギスカンの日(日本記念日協会登録)と制定し、ジンギスカンの理解促進と羊肉の需要拡大に向けたPRをおこなっている。
札幌市では毎年「北海道ジンギスカンフェスティバル」が開催されているほか、「ジンギスカン」をメインとしたイベントも各地でおこなわれている。スーパーマーケットなどでは、家庭でも手軽につくれるよう家庭調理用の羊肉やタレが販売されている。
*https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/jingisukan_hokkaido.html より
ジンギスカン(成吉思汗)は、主にマトン(成羊肉)やラム(仔羊肉)などの羊肉を用いた日本の焼肉料理(広義には鹿肉や豚肉などを用いたジンギスカンもあり、それらを「鹿ジンギスカン」「豚ジンギスカン」等と呼称することがある)。鍋料理に分類されることもあるが調理方法は鉄板料理の調理方法である。
一般的には北海道を代表する郷土料理とされる他、岩手県遠野市、山形県の蔵王温泉付近をはじめとする村山地方、長野県など一部地域でも盛んに食される。発祥は東京・高円寺の店という説もあり、現在では各地にジンギスカン料理を出す飲食店や、家庭調理用の肉・タレを販売する小売店がある。
中央部が凸型になっているジンギスカン鍋を熱して羊肉の薄切りと野菜を焼き、羊肉から出る肉汁を用いて野菜を調理しながら食す。北海道の地方によっては、中央が凹型のジンギスカン鍋(円板状)を使用する場合もある。
使用する肉には、調味液漬け込み肉の「味付け肉」、冷蔵(チルド)肉の「生肉」、冷凍肉の「ロール肉」があり、一般的に「生」とは1度も冷凍されていない肉を示し、調味液に漬けたかどうかは問わない。国産の生ラムなどは、近年高級肉として扱われる場合もある。
歴史
起源については、俗説で「かつてモンゴル帝国を率いたジンギスカン(チンギス・カン)が遠征の陣中で兵士のために作らせた」と説明される場合もあるが、実際にはモンゴルの料理とはかけ離れている。また羊肉を用いる中国料理としては清真料理の烤羊肉(こうようにく、kǎoyángròu)という羊肉料理があるが、これも日本で食べられているジンギスカンとは程遠い。ジンギスカン料理の起源自体は中国大陸にあると言われ、日本陸軍の旧満州(現中国東北部)への進出などを機に、前述の烤羊肉から着想を得たものが日本人向けにアレンジされ、現在のような形式となったものとみられる。
料理の命名には諸説あり、源義経が北海道を経由してモンゴルに渡ってジンギスカンとなったという都市伝説(義経=ジンギスカン説)から想起したものであるとも言われている。命名した人物として、東北帝国大学農科大学(北海道大学の前身)出身で、1932年の満州国建国に深くかかわった駒井徳三が、1912年(大正元年)から9年間の南満州鉄道社員時代に命名したものであるとする説がある。この説は全日本司厨士協会北海道本部相談役の日吉良一が北海道開拓経営課の塩谷正作の談話(冗談)を元に『L'art Culinaire Moderne』に1961年に投稿した「蝦夷便り 成吉斯汗料理の名付け親」や、駒井徳三の娘の満洲野(ますの)が1963年(昭和38年)に発表したエッセイ「父とジンギスカン鍋」が根拠となっているが、いずれも後の伝聞によっている。なお、偉大な英雄であるチンギス・カンの名を料理名に使うことに対し、モンゴル人の中には嫌悪感を覚える人もいる。
日本では明治時代から北海道で肉用を含めた綿羊の飼育が行われており、1918年(大正7年)に軍隊、警察、鉄道員用制服の素材となる羊毛自給を目指す「緬羊百万頭計画」が立案され、滝川や札幌の月寒など全国5カ所に種羊場が開設された。このため北海道は1924年(大正14年)の時点で全国の42.7%が飼育される最大の飼育地となっていた。計画の早期実現のために羊毛のみならず羊肉をも消費させることで、農家の収入増加と、飼育頭数増加が企図され、その流れの中からジンギスカンが出現したものと考えられている。しかし、当時の日本人には羊肉を食べる習慣がほとんどなく、日本で受け入れられる羊肉料理を開発する必要に迫られ、農商務省は東京女子高等師範学校(お茶の水女子大学の前身)に料理研究を委託している。
それらを裏付けるものとして、北海道の空知郡北村(現・岩見沢市北村)で1920年(大正9年)に北海道初の羊食会が北村飼羊組合員の間で実施されていた事、その後1924年(大正13年)に北村緬羊組合によって『羊肉料理法』のパンフレットが発行されていた事、その中に記載された「羊肉の網焼」のレシピが後の1928年(昭和2年)に糧友會の『羊肉料理講習会』で紹介される「鍋羊肉(成吉思汗鍋)」のレシピと類似していた事などが記録されている。
「成吉斯汗鍋」(じんぎすかんなべ)という言葉が初めて掲載されたのは1926年(大正15年)の『素人に出来る支那料理』で、支那(中国)在住の日本人が命名したもので「本当の名前は羊烤肉と云う回々料理」とあり、当時のものは屋外で箱火鉢や鍋に薪の火をおこし、上に金網や鉄の棒を渡して羊肉をあぶり、現地の醤油をつけて食べた「原始的な料理」としている。この説明通りであれば、当初、「鍋」は食品を加熱するためではなく、火鉢代わりに使われたことになる。1931年に満田百二が雑誌『糧友』に書いた「羊肉料理」という記事でも、羊肉網焼の別名の「成吉斯汗鍋」は、本名式には烤羊肉というと書かれていて、鍋料理ではなかったことがわかる。
かつて宮内庁下総御料牧場があり、皇室などに羊肉を出荷していた千葉県成田市三里塚が発祥地とする説もある。他にも、山形県蔵王温泉や岩手県遠野市等がそれぞれ、上記の東京や北海道のものとは発祥を異にする、独自のものとしてのジンギスカン鍋の起源を主張している。長野県長野市信州新町での普及は、綿羊の飼育が1930年(昭和5年)に始まった後の1937年(昭和11年)に開催された「料理講習会」から始まる。羊の臭みを減らして食べやすくするために、地元名産の信州リンゴを使用した特別なタレに羊肉を漬け込む。
ジンギスカン鍋が一般にまで普及したのは、第二次世界大戦後のことと言われている。最初のジンギスカン専門店は、1936年(昭和11年)に東京都杉並区に開かれた「成吉思(じんぎす)荘」とされる。北海道での営業としての最初の店は、1946年に札幌にできた精養軒である。
2004年10月22日には北海道遺産の一つに、2007年12月18日には農林水産省の主催で選定された農山漁村の郷土料理百選で北海道の郷土料理の一つに選出されている。2005年頃から2006年頃にはBSE問題による牛肉離れの影響に加え、牛肉と比べ脂肪分が少ないイメージからジンギスカンはブームとなった。しかし、ブームが下火となった2010年頃にはオーストラリアやニュージーランドからの羊肉の輸入も大きく減少し、牛肉や豚肉の価格が下がった。羊肉は相対的に割高になり、特に国産の羊肉を使ったものは高価となったことから、北海道でもジンギスカン離れが指摘されるようになった。また2020年代には中国など他国での需要増加による更なる羊肉価格の高騰や後継者不足もあり経営環境の悪化も指摘されている。
一方、中国の北京には1686年に開業した烤肉苑飯荘や1848年に開業した烤肉季飯荘などが、薄切りの羊肉と野菜を鉄鍋で焼いて作る、現在のジンギスカンに類似した満族料理、清真料理の「烤羊肉」を提供している。後にこの方式が日本に取り入れられるようになったのか、偶然似たのかは定かでない。
*Wikipedia より
ジンギスカンの歴史
北海道を代表する郷土料理のひとつ「ジンギスカン」はルーツに諸説ありますが、タレ漬けの味付けジンギスカンについては「ルーツは滝川種羊場、普及は松尾ジンギスカン」といった認識は誰もが否定できない事実であるとされています。
羊毛が軍服の大切な素材となっていた頃、第一次世界大戦時に輸入が途絶え、大正7年に政府が羊毛の国内自給をめざした「綿羊百万頭計画」を打ち出し、滝川や札幌の月寒など全国5カ所に種羊場が開設されました。その際、羊毛だけでなく、羊肉の様々な活用方策が研究されるようになり、試行錯誤の末、現代のジンギスカンが誕生しました。
もっとも、庶民の料理として広まったのは戦後のことで、値段が安いわりに美味しかったことが理由とされています。
「羊肉料理・成吉思汗」のレシピは、山田喜平(元滝川種羊場長)が昭和6年に発行した「緬羊と其飼ひ方」に記載されているものが最初といわれています。また、「ジンギスカン」の名付け親は、当時、南満州鉄道株式会社の調査部長であった「駒井徳三」であるという説が一番有力とされています。
ジンギスカンの食べ方は、焼いた肉にタレを付けて食べる「札幌式」と、タレに漬け込んだ肉を焼いて食べる「滝川式」があり、北海道内でも地域によって食べ方が異なります。
滝川市ではじめてジンギスカンが市民に提供されたのは昭和30年、滝川会館とされていますが、そのジンギスカンは札幌式(タレが別皿で用意される)だったそうです。
滝川式(タレ漬け)のジンギスカンは種羊場による各種講習会や綿羊実習生などによって、各地に広められて行き、次第に食味として定着していったとされております。その流れの中で昭和31年、松尾羊肉店はジンギスカンによる企業化をしたことをきっかけに滝川式のジンギスカンが普及しはじめたとされております。
現在ジンギスカンは、北海道をはじめ多くの国民に親しまれる料理となり、平成16年3月には『4月29日を「羊肉(ヨーニク)の日」』として日本記念日協会に認められたほか、同年10月には「北海道遺産」に選定されています。
最新更新日時:2021年8月10日
*https://www.city.takikawa.hokkaido.jp/230keizai/03kankourenkei/10menu/zingisukan_rekishi.html より
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