「八女福島仏壇」
Description / 特徴・産地
八女福島仏壇とは?
八女福島仏壇(やめふくしまぶつだん)は、福岡県八女市(旧名、福島町)で作られている仏壇です。八女地方は古来より信仰心厚い土地柄であり、多くの寺院があったため仏壇の製造が発展しました。
八女福島仏壇の特徴は、荘厳で華やかな装飾と仏殿楼閣を模造した仏壇スタイルです。独自性が強く、他の仏壇産地の影響をほぼ受けていません。全体的に漆(うるし)塗りと金箔(きんぱく)が施されています。
独特の風格と品質を保持するために、江戸時代から受け継がれてきた伝統にのっとって、大半が手作りです。九州地域の仏壇製造の源流ともいわれており、この地域では仏間に地袋を設ける家屋が多いため、全体的に低めに作られています。
独自の製法や品質は、全国の仏壇の産地にも影響を及ぼしてきました。台輪の形の違いによって、福島型、八女型、八媛型、の3つに分類されます。工程は分業制をとっており、各々の優れた技術を習得するには10年以上の経験が必要です。
History / 歴史
八女福島仏壇 - 歴史
江戸時代中期が、八女福島仏壇(やめふくしまぶつだん)の起源です。ある指物大工が荘厳華美な仏閣の夢を見て仏壇製造を思い立ち、同業者に協力を求めたという創生の逸話も残されています。
福島県八女地方は、奈良時代に建立された大円寺、行基が建立したとされる光明寺などがある土地柄です。古くから信仰心の強い風土があり、江戸時代にキリシタン禁制が発令されたこともあって、仏壇製作が始まったとされています。
19世紀半ば頃には製造技術が確立し、八女福島仏壇が九州における仏壇製造の発祥となりました。江戸時代末期になると各工程の専門職人を抱えるほどに発展し、明治維新以降もますます産地は発展します。
明治維新によって久留米藩による生活や住居に関わる様々な制限がなくなったため、仏壇が産業として確立してきました。
近代に入り、核家族化、少子化の進行などライフスタイルが変わるなかで、産地では伝統の技と共に、家庭と仏壇の在り方なども発信しています。
*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/yamefukushimabutsudan/ より
九州の仏壇製造の源流、八女福島仏壇
八女地方には、仏壇や提灯、石灯ろう、手すき和紙など数多くの伝統工芸が息づいている。なかでも八女福島仏壇は「九州の創始」としてその技を誇る。代々腕をふるう職人たちに、仏壇づくりの歴史やこだわりを聞いた。
荘厳華麗な仏閣の夢
八女地方で仏壇づくりの技術が確立されたのは嘉永年間(1850年頃)で、九州の仏壇製造の始まりとされる。江戸末期には、仕上げ師18人、金具師14人、彫刻師7人、仏師7人、木地師10人を数え、明治維新後はさらに発展した。
だが、これより時代をさかのぼった、こんな逸話もある。文政4年(1821年)のこと、指物大工の遠渡三作(とおわたり・さんさく)がある夜、荘厳華麗な仏閣の夢を見た。目覚めた三作は思いたち、大工仲間の井上利久平、平井三作の2人に協力を求めて仏壇づくりを始めたという。3人は八女福島仏壇の元祖として、八女市内にある石碑にもその名がしっかり刻まれている。
信仰心厚い土地柄
筑後平野のほぼ中央に位置する八女地方は、古くから信仰心の厚い土地柄という。奈良時代に建立された大円寺や僧・行基ゆかりの光明寺などいくつもの寺があり、仏教が庶民に根付いていた。また、江戸時代には農民たちが天災や重税に苦しむなか、心の救いを信仰に求めた。こうした背景のなかから仏壇づくりが始まったとみられる。
伝統工芸の紹介に熱心な日本民芸協団八女支部長の松田久彦さんは、「家の中で供養するのを重んじる真宗東本願寺系の寺や信者が多く、立派な仏壇で先祖を祀ることは家の信用にもつながった。豊かだった農民の暮らしも、仏壇産業を支えてきた基盤のひとつではないでしょうか」と話す。
主流は家庭用、長く使えるのが自慢
中型の家庭用が主流で、土台部分が3段の「福島型」と戸棚型の「八女型」、引き出し付きの「八媛型」の3種ある。仏壇づくりの製法は80工程余りにおよび、組立方式で仕上げられる。「竹釘の何本か外せばバラバラになるとですたい」と緒方隆介さん。分解掃除や修理をし易く、長持ちするのが特長だ。井ノ口敬三さんも「客の側に立った気持ちで作るとがうちのこだわり。手入れしてもらえば100年は大丈夫」と胸を張る。
部品作りは10年以上のベテラン職人が受け持つ。手作りの部品には、ひとつひとつに個性が発揮され、八女福島仏壇仏具協同組合事務局の樋口和生さんは、「職人仲間が見れば、部品ひとつで誰の作品か分かるとです」。
現代生活にマッチした仏壇も研究
九州芸術工科大学の先生や学生が考案し、八女福島仏壇の後継者たちが試作した新しいタイプの仏壇もある。洋風のデザインで、ピラミッドや星、宇宙、砂漠の中のオアシスなどをイメージしている。小型で「部屋に溶け込む仏壇」を提案している。
八女の仏壇店を訪れる若い客が、簡素化した仏壇の祀り方を要望する場合もある。現代の生活様式から生まれる意見のため、「なるべく希望に添いたいが、宗教のしきたりをあまりに無視した提案をするのはどうか?」と店主らの思いは複雑だ。一方で、核家族化が進み、一般家庭の建築様式は洋風になる傾向が強い。「時代のニーズを見据えることも、これからは必要」との思いもある。
「日本一の仏壇」
八女福島仏壇仏具協同組合は1992年、「日本一」大きな仏壇を作った。八女伝統工芸館に展示されている。高さ6.5メートル、横幅3.8メートル、奥行き2.5メートル、重さは2トン。実物大の仏像がすっぽりと入りそうな大きさだ。組合加盟の72社がそれぞれ職人を出し合い、半年の歳月をかけて完成した。その間延べ1,300人余りが得意の技を公開。野外テントの下、日ごろ手がけない大きな部品づくりに取り組んだ。
産地間の競争や後継者難に見舞われ、停滞気味の組合がイメージアップを図ろうとしたもので、制作費は国などの補助を受けて3,500万円。今は八女市のシンボル的存在となっている。
こぼれ話
からくり人形の舞台に仏壇づくりの技
毎年9月に、八女市の福島八幡宮で国指定の重要無形民俗文化財「八女福島灯篭(とうろう)人形」の公演があります。舞台にかかる赤い橋の上を、からくり人形が左右に動きながら舞い続けるというもの。舞台は3層の組み立て式屋台で、第1層は舞台下から糸で、第2層は左右の楽屋から押し棒で人形を操り、第3層は囃子(はやし)方が人形と息を合わせます。この屋台に仏壇づくりにある漆塗りや釘を使わない組み立て方式などの技が隠されているのです。
もともと人形の燈籠(とうろう)を奉納する行事として始まったもので、やがて提灯の技術は舞台照明となりました。この民俗芸能の技が、仏壇や提灯の伝統産業を生み出したといわれています。
*https://kougeihin.jp/craft/0815/ より
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