「飛騨春慶」
Description / 特徴・産地
飛騨春慶とは?
飛騨春慶(ひだしゅんけい)は、岐阜県高山市周辺で作られている漆器です。初期に作られた作品の色目が茶器の名品「飛春慶(ひしゅんけい)の茶入れ」に似ていたことから、「春慶」の名がつけられたと伝えられています。
飛騨春慶の特徴は、自然な木目が持つ素朴な美しさと、透漆(すきうるし)塗り特有の透きとおった深い色調とが織りなす調和です。また、使えば使うほど色つやが出てくる飛騨春慶は、実用の美を追求していると言えるでしょう。
飛騨春慶には、盆、花器、重箱、茶道具などの日用品がそろっており、実用の美を味わうことができます。
飛騨春慶を印象付ける透きとおった深い色合いを出している透漆は、塗師(ぬし)それぞれが独自の製法で作っている秘伝中の秘伝です。したがって、塗師によって微妙に色調が異なっています。
器を見たり使ったりする際に、塗師の名前を確認しておくと、飛騨春慶をさらに楽しむことができます。
History / 歴史
飛騨春慶 - 歴史
17世紀初、大工の棟梁・高橋喜左衛門が、サワラの木目の美しさに心を打たれ、その木で盆を作り、高山藩主・金森重頼の兄・宗和に献上しました。その盆を気に入った宗和が、塗師の成田三右衛門に盆を塗り上げさせたのが、飛騨春慶の始まりとされています。
その盆の色目が、鎌倉時代の陶工・加藤景正の名作「飛春慶(ひしゅんけい)の茶入」に似ていたことから「春慶塗」と名づけられ、将軍家に献上されたとのことです。
以降、自然のままの木目を活かした飛騨春慶は、まず茶道具として重用され、その後、重箱や盆などの実用品が多く作られるようになりました。明治時代や大正時代には、問屋が中心となって漆器産業の振興を図り、海外の万国博覧会に出展したり、飛騨春慶の大衆化を進めたりし、広く知られるようになります。
第二次世界大戦中は漆の入手難から衰退しましたが、高度経済成長期には贈答品として広く利用され、近年は観光土産としての需要も増えています。
*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/hidashunkei/ より
木地師と塗師の技が生み出す飛騨春慶
「春慶には飛騨の伝統工芸が集約されている」という言葉通り、飛騨春慶は「木地づくり」と「塗り」が二者一体となって完成される。異なる工法で木地をつくる木地師2名と塗師、合わせて3人の職人にお話を伺った。
板を加工してつくる「板物」師、野口茂さん
まず訪れたのは、木地師のなかでも「板物」をつくる野口茂さん。野口さんは、サワラの祝儀盆の製作中で、木目のやわらかい年輪と年輪の間を刃物で彫りおこす「批目(へぎめ)」をつくっていた。漆が塗られる前のサワラの木地は白くてやわらかそうで、完成品とはまたちがった「批目」の美しさが印象的だった。
材を見極めるのが木地師の技
「おこす材料によって、年輪の間隔もちがうし、柔らかさもちがうからね。それを飲みこむのに時間がかかるんです」と野口さん。木の性質を見分けて、その材にあった乾燥や木取りをしなければならない。長い年月の経験と磨き上げた技術が必要とされるところだ。
決まりごとを守り伝えていくのも木地師の役目
茶器に始まった飛騨春慶には、決まりごとがたくさんあるのも特徴。 曲物(まげもの)の合わせた箇所は、ニカワで接着した後、ヤマザクラの皮を使って補強する(かんばさし)。茶道では偶数を嫌うため、一つ差し、三つ差しなど奇数で差していく。隅切(すみきり)も奇数で切る。 また細工を施すのは「木表(きおもて)」のみ。いかに美しい木目を木表に持ってくるかというところにも長年の経験が必要なのだ。「最近は型にはまらないやり方をする職人もいるが、400年も受け継がれてきた伝統を守っていくことが大切」と野口さんは言う。
「買う立場に立って品物をつくろうもう一研ぎ、もう一鉋、気をつけよう」
これは野口さんの信念。「手をかければそれだけのものができあがる、儲けよりもそっちを大事にしろと自分を戒めとるんです」。塗師やお客さんとの信頼関係を第一に考える木地師の心意気が、終始変わらぬ穏やかな表情に表れていた。
ロクロで木をくりぬいて作る「挽物」師、川上憲一さん
木地づくりは、「板物」とロクロで木をくりぬいて作る「挽物(ひきもの)」にわかれる。続いては組合に所属する挽物師7名のなかでもっとも若い川上憲一さんを訪問した。
挽物師の仕事は道具をつくるところから
作業場には「かんな」や「しゃか」を中心に約50種類の道具が並んでいる。「道具づくりに3年以上、材料を見極めるのに5~7年。一通り仕事ができるようになるには10年。私はそれを目安にしてきました。だけど新しい品物の注文が入れば、また一から勉強しなおさないといけないし、これで終わりということはないな」と川上さんは言う。
ごまかしのきかない木地づくり
苦労するのはふしの部分が使えないこと。ふしには木地の他の部分にくらべて、油分が多くふくまれているため、漆をはじいてしまうのだ。30年のキャリアを持つ川上さんでも、50枚つくれば5枚から10枚はそういうものが出てくるという。 また、透明な漆を塗る飛騨春慶は、中の木地の善し悪しがすべてわかってしまう。ほんの小さな刃こぼれ一つあっても木地として塗師には回せない。「木地師の手腕が問われるだましのきかない仕事ですね。うその効かない良さがあります」川上さんはこう語ってくれた。
創始者の流れを次ぐ塗師、鈴木年文義賢(よしかた)さん
木地師によって仕上げられた木地は、塗師のもとへと回される。「いい木地はがんばって塗らなという気になりますね」そう語るのは、成田流宗家15代、鈴木年文義賢さん。 塗りの仕事は、始めてから仕上げるまでに3~4カ月かかる。何度も漆を重ねて摺(す)りこみ、最後に仕上げ塗りをし、美しく丈夫な漆器に仕上げられる。
塗師それぞれが自分に合った漆をつくる
上塗りに使う漆は、塗師自身がブレンドしてつくる秘伝のもの。「自分にとって最高の漆を他の人に持っていくと、ひどい漆やと言われるというようなこともあるんです」と鈴木さん。その家の風向きや日当たり、気温、湿度などが大きく影響するので、それぞれ自分の家に合う漆を精製するのだ。黒められ(水分を抜く)精製された漆は5~6年寝かされる。じっくり寝かすと、きめが細かくなり、塗り肌がより一層美しくなるという。
生きている漆を生かして使う
そうして精製された漆を季節やその日の湿度によって使いわける。「漆と向き合っていると、漆が助けてくれる、カバーをしてくれることがある」と鈴木さんは言う。そういう時、漆は生きものだということを実感するそうだ。
木目の美しさを引き立てる塗り
木地師によって醸し出された木目の美しさが、塗師に手に渡ってさらに引き立てられる。「1つ1つ全部ちがう木の表情を最大限生かして、お客さんに伝えたい。そういう塗ができればいいと常に思っています」と語る鈴木さん。 3人の職人さんを訪問して強く感じたのはお互いへの信頼感と仲の良さ。繊細な木目と独特の光沢に近寄りがたい雰囲気を感じていた飛騨春慶が、いつのまにか温かみのある身近なものになっていた。
職人プロフィール
野口茂
1930年生まれ。 2000年には秋の叙勲を受賞された。
「漆器もかしこまらず、柔軟に使いこなしてもらいたい」「飛騨春慶を使った食事は、味も全然ちがいます」
*https://kougeihin.jp/craft/0516/ より
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