ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

敵基地攻撃能力 - 13 ( 中国・韓国への忖度優先 岩屋元防衛相)

2020-08-14 17:56:09 | 徒然の記

 《 2. 新聞のスクラップ帖 ( 6月16日以来の、千葉日報の記事 ) 》

 7月23日の記事の説明 が終わり、残り4件となりました。

    8. 7月25日 前防衛大臣 岩屋毅インタビュー ( 上 )

    9. 7月26日 前官房副長官補 兼原信克インタビュー  ( 下 )

     10. 7月29日 自民党ミサイル防衛検討チーム座長  小野寺五典元防衛相

     11. 8月  1日   自民党国防部会

 今回は、8.番目の記事です。「インタビュー  敵基地攻撃能力」と題し上・下2回のシリーズに分かれています。誌面の4分1を占める6段組みの大きな扱いで、岩屋氏の顔写真が掲載されています。翌日の兼原氏の記事は5段組みですから、共同通信社が、岩屋氏のインタビューを重要視していることが分かります。こんなところにも、マスコミによる印象操作があるのだと、知りました。スクラップにして並べるから分かりますが、日々の記事を読むだけで済ませていたら、分からず仕舞いです。

 「攻撃装備は9条逸脱」「専守防衛の方針崩すな」・・これが大きな活字で、記事の見出しです。なるほど元防衛大臣が、共同通信社の思い通りの意見を語るのですから、扱いが大きくなる訳です。同時にこの意見は、公明党と反日野党が喜び、中国共産党政府が喜びます。

 共同通信社の質問に答えるという、形なので、そのまま転記します。

 《 質問 1   》

  「『地上イージス・アショア』計画に代わるものは ? 」

 《 回答 1      》

  「 当面は海上自衛隊イージス艦の増隻や、契約済の米国製レーダーの活用を検討すべきだ。」「ミサイル防衛は、日米共同対処が基本であり、両国が時間をかけて構想を練る必要がある。」

 岩屋氏には、日本を守る魂はありませんが、風見鶏の政治家らしく、周辺国への忖度は持っています。中国へ忖度し韓国へ忖度し、日本のことは全て後回しにして、今度は米国への忖度です。米国からイージス艦を買い増し、契約済のレーダーもそのまま活用しと、アメリカが喜ぶことを先に言います。

 「ミサイル防衛は、日米共同対処が基本であり、」という言葉の意味は、8月10日のブログで説明しましたが、再度転記します。『地上イージス・アショア』計画断念を発表した、防衛省への批判記事で、共同通信社の意見でした。

 「日本が『盾』、米国が『矛』を担う、日米同盟の役割分担が変化し、」「専守防衛の原則が、有名無実化する可能性をはらむ。」

 これに対し私は、共同通信社の意見を次のように批判しました。

 「私はこれまで、日米同盟がそんな役割分担を決めていたとは、聞いたこともありません。「専守防衛」の意味は、日本が盾で米軍が矛だと、何時、誰が決めたのでしょう。この記事を読んでいますと、日本にできるのは防ぐ一方で、敵を攻められないのだと、思い込まされます。」

 つまり岩屋氏が、「共同対処の基本」として言おうとしているのは、「日本が『盾』、米国が『矛』を担う、日米同盟の役割分担」という、共同通信社の意見に添うものです。如才ないと言えばそうですが、彼には、日本の防衛という思考が頭から抜けています。

 「両国が、時間をかけて構想を練る必要がある。」・・・彼は本当に防衛大臣だったのでしょうか。執務室の椅子で、居眠りばかりし、自衛隊の幹部から相手にされていなかったのではないでしょうか。

 じっくり時間をかけ、米国と検討する時間がなく、契約済の米国武器の修正にも時間が足りないから、こういう話が出て来ました。重要な同盟国である米国に、十分説明する時間さえなく、計画断念を発表した防衛省の苦衷には、何の理解も示していません。

 《 質問 2   》

  「 敵基地攻撃能力の保有を、どう考えるか ? 」

 《 回答 2     》

  「 『地上イージス・アショア』計画の断念を契機とした議論に、違和感を覚える。」「専守防衛の基本を崩し、攻撃主体の装備品を保有するのは、戦力不保持を定めた、」「憲法9条の趣旨を逸脱する。」

 何処かの、反日野党の議員の意見かと思いたくなるほど、驚かされる言葉です。中国と北朝鮮が、日本に照準を合わせたミサイルを、何百発も設置していると知る立場にいて、この発言です。しかも防衛省がこれから検討しようとしているのは、単なる装備品の話ではありません。

 利敵行為をする馬鹿ものとしか言いようのない、彼の言葉と並べたくありませんが、伊藤元空将の話を先日のブログから引用します。

 「戦略兵器というのは、相手にとどめを刺す、最終兵器のことを言います。」「これを所有していると分かれば、お互いが使えなくなります。」「つまり抑止力としての武器、でもあります。」

 「この戦略兵器が日本に飛んできたとき、どうするのかという議論が、」「弾道ミサイル防衛体制の、根っこにあります。」

 「ここを言わずに、当たる当たらないの議論や、」「通常ミサイルについての話を一緒にするのは、間違っています。」「敵基地攻撃能力を持つというのは、抑止論のことでもあります。」「相手に、撃たせないための、工夫なのです。」

 安倍総理も、自民党の他の議員諸氏も、岩屋氏の発言をもう一度読み、こういう人物を党内に抱えている間違いを、反省すべきです。国を思う国民が、どれほど無念の思いをしているのか、なぜ分かってもらえないのか。

 息子たちに言います。父は岩屋氏のブログをこれ以上書く気にならず、新聞記事も破り捨ててしまいたい気持ちですが、我慢して続けます。大袈裟なことと思うのかもしれませんが、これが「生きる」と言うことです。

 お前たちが、「武漢コロナ」の日々でも、満員電車で通勤しているのは、ひとえに家族のためです。自分では休みたい日があっても、親として、あるいは職場への責任感から、頑張っています。生きている以上、人は置かれた場所で、自分の務めを果たします。

 父は、年金生活者とは言え、日本国民の一人です。職場はもうありませんが、部屋の片隅で、自分の国のため、お前たちを含めた家族のため、我慢して続けます。たかがブログとは言え、世界と繋がる、大切な庶民のツールです。次回も、次回も、このくだらない人物の談話を、怒りと共に報告します。

コメント (2)
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