落合信彦氏著『1994年 世界は、』( 平成5年刊 (株)小学館 ) を、読んでいます。氏の著作を読んだことがあったのか覚えていませんが、著名なジャーナリストとして、世間に知られているということは知っています。
今回氏の著書を読み、失望しました。氏は慰安婦問題について、全面的に日本軍の関与を認め、政府の対応の不誠実さをドイツとの比較で糾弾しています。慰安婦たち6人が暮らす韓国の家を訪問し、限りない同情と敬意を払い、「この問題について問われているのは、日本民族の良心と正義の心だ。」とまで、言い切っています。
本が出版されたのが平成5年で、朝日新聞が慰安婦報道の誤報を認め、社長が辞任したのが平成26年ですから、致し方なしという面もありますが、ここまで政府と日本人を攻撃しているとは予想外でした。
机の上に、二冊の本がありました。
・『1994年世界はこう動く』 ( 日高義樹氏著 平成5年刊 株・学習研究社 )
・『1994年 世界は、』 ( 落合信彦氏著 平成5年刊 株・小学館 )
米国はクリントン大統領で、日本の首相が細川氏の時です。ソ連が崩壊し、冷戦が終わりましたが、アメリカもEU諸国も経済が振るわず、停滞していました。同じ年に出版され、いずれの著者も、翌年の1994年( 平成6年 )という年に注目しています。
落合氏の著書と日高氏の著書の違いを、一言で表現すると、「真面目な論文」と「三流雑誌の煽動記事」となるのでしょうか。読んで面白いのは落合氏の文章ですが、思い込みの強さがどこか私に似ていて、読んでいると恥ずかしくなりました。
ということで、まず落合氏の略歴紹介します。
「昭和17年、東京都葛飾区生まれ、現在78才」「ジャーナリスト、小説家、翻訳家」「昭和36年、米国オルブライト大学留学、卒業後テンプル大学院進学。」
「オルブライト大学在学中、柔道と空手の教室を開く。」「門下生たちが、のちにCIAや政府高官となり、貴重なニュースソースとなった。」
「帰国後、文芸春秋、週刊文春、集英社、月刊プレイボーイ、小学館を活動の場とし、ノンフィクション作品、連載記事、小説などを多数発表。」
「平成9年、オルブライト大学から名誉博士号授与される。」「平成14年、中国・山東省観光大使に就任。」
ニュースソースが元の教え子で、CIAや政府の高官と言うのには驚かされます。腕っ節が強く、度胸もある、まるで映画の主人公のような格好の良さです。こう言う経歴で文才があれば、出版社も氏の記事を欲しがるはずです。
先日、坂口安吾氏の書評を書いた時、文才があるけれど中身がないと言いました。落合氏には文才と、読者を納得させる中身があります。55ページの慰安婦問題の意見にに出会うまでは、うなづきながら読みました。例に、7ページの「まえがき」の文章を紹介します。
「1991 ( 平成3 )の暮、ソ連邦が正式に消滅した時、」「世界はホッと一息ついた。」「気の早い人々は、西側民主主義が勝利したと結論づけて、」「 〈歴史の終わり 〉とまで、言い切った者もいた。」
「しかし、旧ソ連邦を覆っていた秘密のベールが剥がされ、」「その実情を目の当たりにした時、われわれは、」「西側民主主義が勝ったのではなく、共産主義が勝手にこけたのだ、と言う事実を知らされた。」
レーガン大統領が仕掛けた軍拡競争に、ソ連経済は耐えきれなくなり、崩壊しました。この事実をどう捉えるかは、人それぞれです。氏のように、「勝手にこけた」と言う解釈も生まれますし、「民主主義の勝利」と考える者もいます。理由が何であれ、私から見れば、共産主義の崩壊であることに変わりはありません。
科学的社会主義の絶対優位を主張し、計画経済の素晴らしさを語り、人類のユートピアを作る思想だと、左翼学者や政治家たちが散々吹聴してきました。それが現実には実態のない空論で、ソ連が「張子の虎」でしかなかったと言うのなら、「勝手にこけた」のでなく、「民主主義の勝利」です。
しかし氏にかかると、そうではなくなります。分かりやすい言葉であるだけでなく、事実の一面なのでうなづかされます。
「そして今、われわれの前には、新たな現実が横たわっている。」「何事も米ソの話し合いで片がついた、冷戦時代に比べて、」「今日の世界は遥かに複雑で、かつ予測し難い要素に満ちている。」「歴史は終わったどころか、新たに始まったのである。」
落合氏と日高氏は、同じジャーナリストとして「1993 ( 平成5 ) 年」と言う年を解説しています。日高氏は、米国の学者たちの論文を編集することで読者に訴え、落合氏は、自分のインタビュー記事で本を書き上げ世間に問うています。積極的で、エネルギッシュな文章に、落合氏の才能を見せられました。
当然敬意を払いますが、けれども私には不変の物差しがあります。
1. 自分の生まれた国の、歴史や文化を大切にし、愛しているか。
2. ご先祖への感謝の気持ちを持っているか。
才能と実力に恵まれた人物は、誰の世話にもならず自分の力で生きていると、自信過剰になります。青年時代にはそんな自信も必要ですが、いつまでも「強気の自己主張」だけでは、あの竹中平蔵氏と同じになります。
うなづいたり、反発したりしながら、私は氏の著書を読んでいます。