「日本人学校」と言うタイトルで、綿貫真理子氏が本名で意見を述べています。氏はこの本の出版当時は、群馬県内の公立中学で体育を教えている39才の教師でした。平成4年から平成7年まで、3年間シンガポールで教えてきた経験を語っています。
匿名の人物が多い中で、実名も珍しいのですが、海外での経験談も珍しいので、貴重な意見として取り上げました。昨年の12月に、石井光信氏の著書『ジャカルタ日本人学校の日々』を紹介しましたが、あれはインドネシアで、今回はシンガポールです。石井氏の著書が平成7年の出版ですから、綿貫氏の談話も同じ頃の話になります。
同じ文科省からの派遣教師でも、石井氏は校長として赴任し、綿貫氏は一般教師です。石井氏は使命感を持って現地へ行きますが、綿貫氏は落胆の中での赴任です。氏のおかげで、派遣教師という仕組みの意外な実態を知り、さらにインドネシアとシンガポールを比較しながら読むと、別の新しい発見もありました。
海外派遣教師を希望するには、校長推薦が必要なのですが、氏の勤務する学校の校長は、やめた方がいいと反対します。
「私の娘だったら、絶対に行かせない。」「貴方の親御さんも、きっと同じだと思う。」「三日間待つから、ご両親を説得してから来なさい、」「と、校長先生に言われました。」「両親はもちろん反対。」「この手の話は、正式に決まるまでマル秘で動きますから、」「親しい同僚や友人にも相談できなくて、あの時はちょっと、」「辛かったですね。」
校長が反対した理由は、次の通りです。
1. 派遣教師は、蓋を開けてみるまで、どこの国に行かされるかわからない。
2. 希望地の選択は用意されているが、「どこでも可能」という者でないと面接で通りにくい。
3. 採用され、派遣先が治安の悪い地域、例えば内戦状態にあっても行かされる可能性がある。
「それでも希望を押し通したのは、海外に出るのが長年の夢だったから。」「中学、高校時代にも、ホームステイなんかに憧れていたクチでした。」「でも当時は、親に負担をかけるわけにもいかず、」「いつか自力で行くんだと、胸に秘めていた。」
教師となり、氏は海外派遣教師の制度を知り、これを利用しない手はないと、虎視眈々と機会を狙っていたと言います。
「でも実際に、文部省試験に合格して、」「シンガポールに決まったという通知を受けた時は、頭の中が真っ白になっちゃった。」「欧米を希望していて、アジアの国は全く視野に入れていなかったものですから、」「え、シンガポールってどんな国 ? 、みたいな感じ。」
つまり氏は、生徒の教育のためというより、長年の夢を叶えるため、海外の「日本人学校」を希望したのです。私もそうでしたが、氏もまた、自己実現を第一とする、個人尊重の「戦後教育」で育った人間の一人です。
「シンガポールの日本人学校は、全土に一校だけで、」「小・中学校合わせて二千人という、マンモス校。」「私はそこの中学校で、体育を教えていました。」「海外でも、日本の教育を受けさせるというステムですから、」「授業は一日6時間、各教科の時間割も、」「ほとんど日本と同じ。」
ジャカルタの日本人学校は、生徒数が約千人でしたから、2倍の人数です。シンガポールに一校だけと氏は言いますが、インドネシアの国の大きさと比較しますと、二千人の生徒数は驚くべき数字です。インドネシアには、日本人学校がジャカルタの他に、バンドン、スラバヤ、メダンと3校ありましたが、3校を合わせてやっと二千人くらいだったような気がします。
シンガポールという国の広さは、日本の淡路島、あるいは東京23区と同じくらいだと言われています。この際、子供たちのため、正確を期してネットで調べてみました。
1. シンガポール 広さ : 719 Km2 人口 : 550万人
2. 東京23区 広さ : 627 Km2 人口 : 967万人
3. 淡路島 広さ : 593 Km2 人口 : 13万人
4. インドネシア 広さ : 1,919,440 Km2 人口 : 2億6千4百万人
かって私たち日本人は、経済活動のためなら世界中へ出かけ、エコノミックアニマルと言われていましたが、それを証明するような数字です。シンガポールがどんな小国であろうと、金儲けに繋がるのなら進出する・・ということなのだろうと思います。
海外でも、日本の教育を受けさせるというステムなので、各教科の時間割も、ほとんど日本と同じという説明を読みますと、ジャカルタ校の石井校長の言葉を思い出しました。
「以前の新聞記事で、海外に住む邦人の生活態様を、」「『テフロン現象』という言葉で、批判的に語られていたのを、目にしたことがある。」「テフロン加工したフライパンには、物がつかないことに似て」「現地と接触を持たない、持ちたがらない邦人の生活姿勢は、」「現地社会の問題にもなっている、という指摘でした。」
シンガポールの日本人学校も、日本と同じ教育システムだとすれば、生徒は学校と自宅の往復のみで、現地との接触がないはずです。石井氏はこれを、『テフロン現象』と呼んでいましたが、綿貫氏はあまり意識していません。
次回は、氏と石井氏を比較しながら、『テフロン現象』について述べようと思います。