~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

譜ん囲気を読む

2007年11月24日 00時04分03秒 | ピアノ
先日は、連弾の練習に友人が来るといっていたのが、人が人をよび(笑)、
結局5人のピアノ仲間が集まる人妻会になった。

ほんとにみんな、忙しい中遊びにきてくれたのだが、そろそろクリスマス会の練習もあるし、ピアノ指数上昇中
先生についている人、今はお休み中の人、いろいろなのだが、私もたくさん聴かせていただいた。

これまでもずっと聴いてきているメンメンなのだが、熱心だし、勉強してるし、先生にもよく教わっている。意見を求められればなにか言うし、ところどころ弾かせてもらったりもするけど、それは逆に私に何の責任も義務もないからやることであって、もし先生だったりしたら、そう簡単にものは言わないと思う。
・・・・・なので、何か私が言っても話半分にきいてください(笑)。


ここのところ「言うことをきかない」というのが私のなかで何かとテーマになっている。
先日バイオリンの神尾真由子さんのドキュメンタリーを見ていたら、あのブロン先生の指導でも「なぜそうなのか納得できない」からといって、チャイコフスキーコンクール本番でも言われたようには弾かなかったところがある・・といっていた。
また私の知る、若く才能あふれるピアニストさんにもそういう方いらっしゃる。
もちろん、ただの反発とか「人になにか言われるのがイヤ」がゆえの抵抗ならあまり意味のないことだと思うのだが、自分で感じたり分析したことと折り合わないので、すぐには受け入れ難い、というのなら当然だし、またそうでなくてはならないと思う。

アマチュアのなかにも、そういう人はいる。
先生の言われるがままに弾きたくないから、ある時期から先生のもとを離れ自分自身で勉強し始め、結果としてアマチュアの道を選んだという人もいる。
それがいいのか悪いのか、独善に陥ってないかどうかは別として、そういう人は知識もあるし、楽譜も細部にわたって読み込んでいたり、またいろいろな演奏も聴いていたりで、自分の演奏の根拠を築いているケースも結構多い。


私は今は基本的に先生についてないし、みていただくとしても仕上げ近くなってから伺うのでなんとも言えないけれど、言われたことは比較的受け入れる方だと思う。もちろん納得いかなければ根拠を言って「こうとも考えられませんか?」というような提示はするのだけれど。

私がたまにじっくり聴かせていただく方々(子ども大人とも)の中にも、「こういう音で、こういう風に歌いたい・・・・でも、それが技術やいろんな問題でできないでいる」というタイプと、「この曲はどういう音でどんな風に弾けばいいのかイメージがわかない」というタイプがある。もちろんそれは同じ人でも曲によっても違ってくることだし、ひとつの曲のなかでも部分的に違ってくることではある。

ほとんどの場合(時代が新しくなればなるほど)、「どんな風にどんな音で」ということは楽譜に書いてあることなのだと思う。それを「どう読み取るか」は個人個人で違うし、個人でも学習する時期によって違うことかもしれない。
でも、ある指揮者がおっしゃっていた「自分の中では<こうであろう>というより、<これでしかない>というところまで限定されていく」という言葉どおり、楽譜やその他の情報から表現はかなりしぼられていくはず・・だと私は思う。

しかしながら、それがみな同じには絶対ならないのは、世の中にたくさんの演奏会や録音があふれ、それがそれぞれ受け入れられていることでもわかることだ。

自分なりの根拠があれば「ひとの言うことをきかない」のは当たり前のことであり、またそういう根拠をともなった演奏の前には、「それはそうではなくて」という言い方ができるものでもないし、するべきでもない。


音楽をやるのに耳の良し悪しはもちろん大事だけれど、目の良し悪し・・これは近眼とか老眼とかいうことではなくて・・・も大変大切なことだと思う。
もちろん「楽譜を見る目」ということであり、こちらの<視力>はある程度日々意識しないと、漫然と上がるものでもないような気がする。

ヘンな話なのだが、(視)神経を使うことで、楽譜の「空気をよめる」ようになれるような気がするのだ。
昨日、ろうあの打楽器奏者のドキュメンタリーを見ていたら、彼女が「楽譜は人間社会と同じです。いろんな音符があって、いろんな音色や強弱があります。人間も同じ」と言っていて、それが妙に印象に残った。
人間関係と同じなら、やはり楽譜にも「空気」があるだろし、それを読むということもあるんじゃなかろうか・・・。