~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

ハンガリー舞曲

2009年01月29日 20時35分02秒 | 室内楽
マジメな記事を長々と書いて疲れたので(殴)、もう一発。

今日は某所でレッスンをしたあと、移動して連弾の練習、そしてさらに某企画の初打ち合わせに同席させていただくという、「いったいあなたは何屋さんですか?」な一日。

連弾はブラームスのハンガリーの4番。
相手が相手なのと(おろなみんさん)、曲が曲だけに(?)、比喩がR指定。・・・・ここではとても詳細をお知らせできません。
おろなみんさんからも「仮装さん、いったい何の先生なんですかっ!」とあきれられました(←本人、相当喜んでいたんですけど)。
いちおうお断りしておきますけど、1.2.4.5.6番とやる中で、4番がこんなんなだけで、あとはそれぞれの曲のイメージがありますし、相手も違いますから、どうかご安心を。中学生とはそれなりにさわやかに闊達にやりたいと思っています。
中学生たちは、それぞれの先生もご心配でしょうから、ヘンな影響は与えられませんし(笑)。
大人の3人とは、これまでもさんざんいろんな曲をやってますから、楽しんでいきたいと思います。

ハンガリーは、聴くより弾くほうが絶対楽しいと思う。
特に4番はふたりの手が上下で交差するし、メロディーも交差するし、あんなこともこんなこともするので、興奮度高いです。曲想も大人っぽいですしね。

・・これ以上語ると検閲にひっかかりそうなのでやめときます(逃)。





習う・教える・弾く

2009年01月29日 16時31分29秒 | 私のピアノ歴
私を含め、子どもが生まれて以降、ピアノを再開したという人は結構多いです。
私の年代はバブル期に勤め人をやっていた人間が多く、自分に投資することに迷いのない、ある意味ぜいたくなタイプが存在します。
この年代(40+ウン歳)の女性の場合、化粧品や洋服にしても「若々しく見えます」というすすめ方はあまり効果がないそうで、「その年齢なりのよさが最大限発揮できる」という自然な表現のほうが好まれるらしい。
・・・・なるほど。私はもともとあまり若く見られたくないし、若く見られたこともないけれど(特に20代のころは軽く10歳くらい上に見られていました・・汗)、女性でも「年齢なりの責任みたいなものが容貌にも漂っている」というのが理想ではあります。

ちょっと脱線。そういう、容姿と年齢がどうのこうのという話をしたかったわけではないです。で、言いたかったことは何かというと・・・

ピアノ再開時における、表現したいことと、表現可能なことのギャップ。
30~40歳となるといい大人ですから、CDで聴くような名曲を弾きたい。それもたどたどしくではなく、ちゃんと弾きたい。ちゃんと弾いてほめてもらいたいのは子どもでも同じですけど、大人で困るのは耳が肥え、知識が蓄積されていること。
過去の数々の名演奏を聴いては、「こういう音を出したい」「ここは自分ならこう表現する」と表現意欲はあふれているのだけれど、哀しいかなそれを表現するテクニックというのは、子どものころから弾き続け弾き続けてもモノに出来るかどうかわからない、というほど高度なこと。

大人の再開組で、せっかくある程度指が動くようになったというのに、辞めてしまう人が結構いるというのは、こういうギャップに妥協点を見出せなかった、というのが理由のひとつに上がると思います。
一口に再開組といっても人それぞれ。子どものころのトレーニングの程度や中断の時期によっては、再開2~3年でプロ並の腕前になることもありますし、頑張り方を間違うと2度と弾けないくらいの故障を手にきたすこともあります。
小さい子どももそれぞれ個性や理解度の違いがあって、各人に合わせたトレーニングが必要なのはいうまでもありませんけど、
大人の場合はさらに、現在における器用度、動きの悪い指のチェック(過去のなんらかの怪我が原因となっている場合もある)、楽曲をどれだけ聴いてきたか、音楽関係の知識、さらに過去のレッスンにおける心身のキズ(・・・そういうこともなきにしもあらず)、などなどを考慮したうえでのレッスンメニューになるので、なかなか難しいと思います。
なによりも本人が「どういう演奏をしたいのか」ということ。
・・・たとえば簡単な曲でも自分なりの音色・表現を追求し、その完成度で満足を得るのか、
・・・細かいことはいいから、「弾いた気になった」くらいのレベルで弾きたい曲を弾くのか、
・・・すべてをリセットして一からやり直すつもりで、専門的演奏を目指すのか、
そのほかいろいろあると思いますし、途中で志が変わることもおおいにあり得ます。

これらのことに付き合っていくのは、ピアノの先生にしてもかなり辛抱のいることで、「趣味なんだから難儀なことはしなくても」「音大に行くわけではないから、そこまで追求すると、時間もお金もかかりすぎる」と、ある意味安易な道を勧める方もいると思います。
また教え子が自分より年上だったりすると、やっぱり言いにくいこともあるでしょうし、子どもだと「発表会でドレス着てかわいい」とか、「よく言うことをきいて頑張って練習してコンクールに入賞。先生もうれしいわ」とかいうこともあるでしょうけど、大人だとそういうダイレクトな喜びはあまりないだろうし(爆)、逆に変に世間を知ってるから、「自分が上達しないのは先生のこういう点の指導がまずいからだ」とか「結婚や上司と同じで相性とかもあるよね」とか音楽以外の点で逆批評されることもありうるだろうし(泣)、昨今増えた大人の学習者というのもなかなか一筋縄ではいかないと思います。

ただ子どもと違って、理解力や洞察力にたけているので、話は通じやすいと思うし、うまくいけばお互いいい影響があって、単なる先生と生徒以上の関係が築けるはず。
習うほうも、自分の目指す方向とか時間的経済的状態、また迷いなどをきちんと話したうえで真摯な気持ちで臨めば、多くが得られるはず、と私は思います。

私は再開組であり、たまたま現在はどちらの立場でもありますし、たまには演奏もしているわけですれど、「習う」「教える」「弾く」どれも同じくらいのウエイトでもって「タメになっている」と思っています。
同時にどの立場も結局は同じことなのだ、とも思っています。「音楽をやっている」ということにおいてはまったく変わりがありません。そして、私の先生方も、生徒も、共演者もみな「音楽をやっている」ということで同じです。

幸せなことだと、あらためて思います。