~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

ここぞのタイミング

2010年06月03日 23時57分31秒 | 雑感
ここのところ、サックス、チェロと合わせが続いております。
チェロは毎度おなじみ(?)なんですけど、管楽器とは初めて。
弦とはまた間合いが違いますし、しかもクラシックではないので、これで良いんだか悪いだかがよくわからない。う~ん・・・・・

いろんな曲を抱えてはいるのですが、練習過程でそれぞれに「ここは手を抜けない」というタイミングがあります。そこへきたときには他を後回しにしてでも、どーっと集中するわけなんですけど、そこを通りぬけると気分的にも技術的にも多少余裕ができて、音がだいぶ聴けるようになるような気がします。
練習って決して同じペースでは進んでいかないし、自分自身の取り組みのクセみたいなものもあるので、これはもう誰それがやっていたからといって自分もそれでいけるわけではないですよね。取り組んでいる曲の音源を聴く人もいれば、絶対に聴かない人もいる。聴く人でも聴くタイミング(譜読みの前に聴くとか、仕上げの前に聴くとか)もいろいろだろうし、
取り入れ方もそれぞれだと思います。
勉強でもなんでも同じことですね、きっと。


自分のことはまあいいとしてなんですが・・・・・
子どもに目を転ずれば、娘、漢字がヘン(汗)。
読むほうはかなり読むのですけど、書かせると書き順メチャクチャ、形もヲイヲイ。
これではいけないでしょう、とここのところ毎日漢字チェック中です。ここで集中して百マス的スパルタを施すかどうか迷うところ。
ピアノやバイオリンもぬるいことやってまして、コンクールなぞに出る気もなし、出す気もなし。「鉄は熱いうちに打て」といいますけど、温度あがってもこないので打ちようもなし(笑)。
息子の時は、それでもあまり難易度の高くないコンクールに、お友達と「せーの」で出してみたりもしましたが、私、わが子のことになると、カラキシ意気地なしでありまして、コンクールなんか心臓バクバクで、会場内で聴ける状態ではない(殴)。もちろん送り出すときは親のメンツでしゃんとしてますけど、そのあとは生きた気がしない。
こんな思いをするくらいなら自分が出るほうがナンボかまし・・・ということなのでございます。
毎年毎年お子さんをエントリーさせているお母さま方なんかどれだけ大変でいらっしゃることかと思うのですけど、練習過程は別として、本番を聴くのは「そうツラくはない」とおっしゃる方も多いのですよね。うらやましい・・・。


子どもとの関わりも「ここは手を抜けない」というところはたしかにあるのであって、タイミングによっては関わることそのものがよくない方向に行ってしまったりもします。難しいものです。
仕事そのほかで忙しいと、関わる時間が短くなるという問題よりも、「タイミング」を感知するセンサーが鈍ってしまう問題のほうが大きいような気がします。
だからといってべったり張り付いていればいいかというと、それはそれで近視眼的になってしまったり、「いつもこんなもん」と変化を見逃したり、もあり。

・・・・自分のことも家族のことも、ほんとまだまだですが、自分が消耗しては元も子もないので、エネルギーの補給に努めながら、ボチボチいきます。