~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

雨のお話

2010年06月19日 11時18分48秒 | 見る・読む
本日6月19日「桜桃忌」でございます。
太宰治(1909.6.19~1948.6.13)の命日ということになってますけど、玉川上水に飛び込み心中したのは6月13日らしいので、正確には遺体の見つかった日ということです。
と同時にこれは太宰の誕生日でもあり・・・・・なんというか最期まで因果な男。
写真で見る限り、現場は大人二人が飛び込んで溺れるようなところには見えないのですけど、そこは梅雨の増水とかいろいろ事情があったのでしょう。

そして梅雨時の心中といえば、有島武郎(1878~1923)。
6月9日、軽井沢の別荘で人妻と縊死心中を遂げ、7月7日に発見されました。
梅雨のこの時期に一ヶ月間放置された状況については・・・・もはや考えますまい(泣)。

この二つの心中を持ち出すまでないのですけど、この時期、陰々とした男女のなにか・・・どうかすると淫靡とも言える気配が濃厚。


「気配が濃厚」と言えば、夏目漱石の『それから』のあるシーンを思い出します。
『それから』はかつて映画にもなりましたが、故松田優作の名演が忘れられません。あの時代のセリフをそのまま口に出しても不自然さはなく、ミョーな同時代感がありました。ほんとに不思議な俳優さんでした。
藤谷美和子演じる三千代がある日代助(松田優作)を訪ねてきます。(今では細かいところは忘れてしまったので、ここからは原作を参考にします)。
「蟻の座敷へ上がる時候」のある日、代助は大きな鉢に水をはって、そのなかに鈴蘭を茎ごといけておりました。そこへ三千代が百合の花束を抱えて代助のもとにきます。
息をきらしてきたので、代助は「今、水を」と水を汲みに行くのですが、その隙に三千代は鈴蘭の鉢の水をそのあたりのコップに入れて飲んでしまう。
代助はびっくりして「なぜ、あんなものを飲んだんですか」ときくのですが、三千代は「だって毒じゃないでしょう」とケロっとしている。

このシーン、わざわざ鈴蘭に百合というダブル白、ダブル芳香の設定もすごいんですが、活けてある鉢の水を飲むという、三千代の突拍子もない行動に目がテンです。
そのうちに雨が降り始め、「雨滴が樋に集まって、流れる音がざあ」と聞こえてきます。
「雨はますます深くなった。家を包んで遠い音がきこえた。門野(注:書生クンです)が出てきて、少し寒いようですな、ガラス戸をしめましょうかと聞いた。ガラス戸を引く間、二人は顔をそろえて庭の方を見ていた。青い木の葉がことごとくぬれて、静かな湿り気が、ガラス越しに代助の頭に吹き込んできた。世の中の浮いているものは残らず大地の上に落ちついたように見えた。代助は久しぶりにわれに返った心持ちがした。」

『それから』全体を通して言うと「代助は久しぶりにわれに返った心持ちがした」のような時間は少なく、だいたい代助の頭は調子が悪いのだけれど、こうした落ち着いたひとときがあったのは雨効果なのか?・・・・
『それから』は漱石42歳の時の新聞連載なのですけど、こうしてチラ読みしてみても、面白い。「面白い」というのは単純すぎる表現だけれども、私にはそうとしか言いようがないです(笑)。


・・・・・以上、つゆのつれづれに・・・