私たちが若いころのことですが、
歌謡番組が非常にさかんで、なかでも「ベストテン」なるランキング番組は大人気。
毎週、ランキングが発表されて、それぞれの歌手が出てくるわけで、
友人たちは必死で見てました(私自身の家庭はあまりテレビをみなかったので、私は見てませんでしたけど)。
その時期、いやもう少し前の時代というのは、
ある種のタレントさんは「アイドル」と呼ばれていて、私生活はベールに包まれ、
ほんとにあの人たちはご飯食べたり、お風呂入ったり、するんだろうか・・・・・的な存在でもありました。
今どうなっているのかよくわからないのですが、今はわりに親しみ易さやその人の人間性そのもので売っている部分も大きいのかなあ・・・と思ったりもします。
それはタレントさんにとってもある意味楽なのかな、隠したり、作ったりしなくて済む部分もあるのだろうし・・・と思います。
そういう開けた方が増えれば増えるほど、一方で、謎めいた方々がいっそう気になったりもするもので(笑)、
たとえば、いっさい顔や職業を明かさないミュージシャンだとか、
私生活をいっさい出さない(床屋にすら外にはいかない)俳優さんだとか、
いろいろご事情はあるにしても、イメージ保持のためのある種の努力をされている感じがあって、
私にはたまらなかったりします。
人間、「見える部分」よりも「見えない部分」にイマジネーションが掻き立てられるものであるし、
舞台人は舞台以外のことはチラとも漏らす必要はない・・・・という姿勢もまた潔いかと。
さて、クラシックの演奏会も最近わりに親しみやすいものが増えてまいりました。
さすがにマナー面では、客席で飲食したり、しゃべったりはあり得ないですけど、
たとえばトーク付のコンサートなどは以前はこれほど多くなかったような気もします。
私見によると(あくまでも独断と偏見にみちた私見によると・・・・)ですけど、
これも効果的な場合とそうでない場合があるように思います。(もちろんその演奏会の趣旨、プログラム内容、会場の雰囲気などによりますが・・・)
というのは、演奏者の声が入るというのは、素の部分というか、練り上げられてない部分が混入する感じがあって、
聴いている方にも一種のゆるみが生じる場合があるわけです。
演奏とトークの両方がなんなくバランスよくできる方と、とってつけたような感じの方とあるようにも思いますけど、
緊張度の高いプログラムであればあるほど、トークは、やはりそのタイミング、声の調子、言葉遣いなどなど、
練り上げてきた自分自身の演奏の邪魔を自分でしてしまわないような慎重さが要求されるかもしれません。
ずっとしゃべらずに最後に一言ごあいさつをされる場合もよくあります。
最後に「あんな声で、あんな語りかたをされるんだ~」と一気に引きつけられることもありますが、
得も言われぬすばらしい音の余韻が、素の地声(なかには声楽家なみに声の良い方もおられますけど)で、上書きされてしまう場合もあり、
これまた難しいもんです。
このあたり、世界的な巨匠となると、たとえ服がいまいちだったり、髪がバサバサだったりしたとしても、
カーテンコールで頭を下げられるだけで、一種絵になるので、これが巨匠の巨匠たる部分なのかな、と思ったりもします。
プロのステージというのはトータルで魅せていただきたいなあ・・・というのが私の願いであります。
別に俳優さんみたいに一挙手一投足を美しくなどということではなくて、
変人なら変人で大いにけっこうなので(殴)、あまりお客さんに気をつかいすぎず(存在はもちろん感じていただきたいですけど)、
やっていただければなあ~と思っております。
・・・・・あくまでも私の願いですので(汗)。なかには、「今日の人はニコリともせんかった」とか「ひとこともしゃべらんかった」と怒ったりされるむきもありますので、もしかすると少数意見かもしれません。・・・・・・・・