このてのものはあまり興味が無かったが、いつかTVで偶然見たら結構面白かったので気になっっていた。
ネットの動画で、そのエヴァンゲリオンが無料で提供されていた。
全六話のみ無料だったが、全部一気に見た。
主人公のいやいやながらやる気持ち。
しかし、逃げられない自分との葛藤、そして周りの人間の理解。
こういう感じを作者は良く感じられたなと思ってびっくりしてしまう。
この主人公の感情をもう少しマイナス面を強くして、ひねくれた感情になったのが、自分の持っていた感情だ。
しかし、今まで生きてきて、こういう類の感情を理解できていると感じた人に会った事は無い。
自分の持っている感情は特別なもので、一般の人には理解され無いのだろうと思っていた。
もちろん、随分と親切にしてもらった人や、自分の気持ちを大切にしてくれて、押し付けではなく諭してくれた人など、多くの暖かい方に助けてもらってきた。
しかし、この複雑な感情を理解されていると感じたことは無かった。
作者がこれを書き、 この作品が受けているというのは、 この独特の感情が理解されているという事なのだろうか?
そういうことであれば、今までの自分の感覚は、何だったのだろう。
ただ単に、表現するのが下手でまわりに伝わらなかったという事なのか?
表現べただから、十分ありえる。
または、見ている人間がそんな事は考えず、ただ単に未来的な、戦闘ものに興味を持っているだけなのだろうか?
判らないが、こういう感情を感じられる人がいてくれたことにすごく希望を感じた。
結構繊細。
繊細に感じる事は忘れてはいけない、しかし、繊細ショックが大きく動けなくては使い物にならない。
空手の先生、羽賀氏が、イスラエルで軍人に教えていた当時、死体の搬送をする事もあったという。
ほとんどの人は初めはショックで動けない。
しかし、 時間が経つと 平然と運ぶ。 鈍感で感じなくなるから。
でも、これでは、何にもならない。
繊細に感じる気持ちを残して、平然と運べるようにならなくてはならない。
こんな感じの事を言っていたのを思い出した。