心が折れるとき、一気に全てが崩壊する。 だから心が折れないようにするのが一番大事。
劇症心筋炎で、「これから人口心肺を付けて麻酔で眠ってもらいます。 何時起きられるかは解りません、」と、言われた時、先生に必死に抵抗した、 手遅れになって心臓止まってしまうかも知れないんですよ。。などと必死に説得されても。
その後、結局、苦しくなって自分から処置をお願いした。
その後回復したが心臓にはダメージが残り稼動範囲40%を切った状態になっている。
もし、もっと早く処置していたら、ダメージが残らなかったかもしれないが、心のダメージは確実に残っていたと思う。
自分で納得してから処置してもらってなかったら、 心臓がノーダメージでも、未だにステロイドが抜けない状況を嘆いたりしてたかも知れない。
納得しての処置だったから、全てが受け入れられている。 厄介な自分の性格を知っているからそれで仕方ないし、それしか道は無い。
他の人は知らないが、自分の場合は心を納得させてやらないと、何が良くても結果オウライとは行かない。
何事も心のありようが大切で、自分が納得できるか否かで、幸せかどうかは決まる。
そんな俺に、なにも解らないで、色々と治療をしろと口出しする人がいる。
そのなかの一つに、 ICD、(埋め込み式除細動装置)がある。
埋め込めば、身障者1級。 障害者年金が出るだろう。 生活保護も降りるだろう。
もちろんそんなものに頼ろうとはしないが、人間弱い、いつ、タガが外れるか自分でも怖いのだ。
潰瘍性大腸炎で、退社後、税金、社会保険料の支払いが多額すぎて市役所の窓口に相談に行ったことがあった。
その際、こちらの提案は飲めない、一部の免除はないので生活保護の申請をして下さい。 と安易に提案された。
(家賃補助、水道、光熱費ただ、NHKただ、税金、年金掛け金、国民健康保険料、全て免除。)
速攻で断った。あまりに優遇されすぎていて、こんなものもらったら 抜けられないと思ったから。 怒りさえ沸いて来た。
元々、厚すぎる社会保障制度が大嫌いだったし、批判的に見ていた。 状況が変わって自分が該当するとしても考え方を変えるつもりは無かった。
しかし、誘惑に何時負けるかわからない。 そちらに一歩踏み出せばしゃぶ浸けのようにならないとも限らない。
これは、道徳心とか倫理観でいっているのではない。 必ず自分に帰ってくると知っているからだ。
天に借金するようなもので、いつか、どんな形かで 返済を迫られる。
自分の中では、装置を埋め込む時はあきらめた時になり、それを境に一気に緩み、身体も心もどうなってしまうのかわからない。 そう言う状況を作らないでぴんとしている為にも、自然のままでいるのがいい。
そう言うことが他人に解るわけはない。
生きるか、死ぬか。 結果は天が決める事。 しかし、生き方は自分で決める。
劇症心筋炎で、「これから人口心肺を付けて麻酔で眠ってもらいます。 何時起きられるかは解りません、」と、言われた時、先生に必死に抵抗した、 手遅れになって心臓止まってしまうかも知れないんですよ。。などと必死に説得されても。
その後、結局、苦しくなって自分から処置をお願いした。
その後回復したが心臓にはダメージが残り稼動範囲40%を切った状態になっている。
もし、もっと早く処置していたら、ダメージが残らなかったかもしれないが、心のダメージは確実に残っていたと思う。
自分で納得してから処置してもらってなかったら、 心臓がノーダメージでも、未だにステロイドが抜けない状況を嘆いたりしてたかも知れない。
納得しての処置だったから、全てが受け入れられている。 厄介な自分の性格を知っているからそれで仕方ないし、それしか道は無い。
他の人は知らないが、自分の場合は心を納得させてやらないと、何が良くても結果オウライとは行かない。
何事も心のありようが大切で、自分が納得できるか否かで、幸せかどうかは決まる。
そんな俺に、なにも解らないで、色々と治療をしろと口出しする人がいる。
そのなかの一つに、 ICD、(埋め込み式除細動装置)がある。
埋め込めば、身障者1級。 障害者年金が出るだろう。 生活保護も降りるだろう。
もちろんそんなものに頼ろうとはしないが、人間弱い、いつ、タガが外れるか自分でも怖いのだ。
潰瘍性大腸炎で、退社後、税金、社会保険料の支払いが多額すぎて市役所の窓口に相談に行ったことがあった。
その際、こちらの提案は飲めない、一部の免除はないので生活保護の申請をして下さい。 と安易に提案された。
(家賃補助、水道、光熱費ただ、NHKただ、税金、年金掛け金、国民健康保険料、全て免除。)
速攻で断った。あまりに優遇されすぎていて、こんなものもらったら 抜けられないと思ったから。 怒りさえ沸いて来た。
元々、厚すぎる社会保障制度が大嫌いだったし、批判的に見ていた。 状況が変わって自分が該当するとしても考え方を変えるつもりは無かった。
しかし、誘惑に何時負けるかわからない。 そちらに一歩踏み出せばしゃぶ浸けのようにならないとも限らない。
これは、道徳心とか倫理観でいっているのではない。 必ず自分に帰ってくると知っているからだ。
天に借金するようなもので、いつか、どんな形かで 返済を迫られる。
自分の中では、装置を埋め込む時はあきらめた時になり、それを境に一気に緩み、身体も心もどうなってしまうのかわからない。 そう言う状況を作らないでぴんとしている為にも、自然のままでいるのがいい。
そう言うことが他人に解るわけはない。
生きるか、死ぬか。 結果は天が決める事。 しかし、生き方は自分で決める。