唯のブログ。

病気の体験、療養生活や日々思いついた事などを書き留めているブログ。時々毒吐き。楽しめれば最高、無理なら受け流す。

早稲田通り心のクリニックへ、

2010-05-16 22:06:02 | インポート
 精神的に耐えられないストレスを感じると、人間は、自分と違う人格を作りその人格で受け止めて自分自身を守る。

 結果、その精神的なショックは何時までも残り、その後同じような場面に会うとその時の感情が再現され不安感、憎しみ、孤独感、などの負の感情が倍増して表れる。

 別人格であるがゆえに、何時までも過去の精神的な苦痛は残り、いつか、許容量を越えて精神的、肉体的な破綻をきたす。

 これが、表面的に表れるのが、多重性人格障害。 精神的疾患にあてはまる。

 逆に内在してりるのが、 内在的乖離障害。

 早稲田通り心のクリニックの小栗先生が、その内在性乖離の治療をしていて、今回2回目の治療に行ってきた。

タッピンングをしながら、質問され、過去の自分が受けている悲惨な状況を思いださせてもらって、その幾つもの人格を統合して治療する。

 たくさん出てくる。 母親に棒でぶたれる。 夜暗闇に出されて、家の中に入れてもらえない、 酷い言葉で罵倒される。父親の罵声、暴力。

 当時は、比べるものがないから普通だと思っていたが、今考えると異常な親子関係だった。  恐怖感、不安感、絶望感、理解してもらえない悲しさ、不満、 ありとあらゆる負の感情を背負わされていた。

 それらを出して、統合してもらうカウンセリングのようなものだった。

 別人格はたくさん出てきて、先生は統合できつつあると言っていた。

 しかし、その後、基本人格を呼び起こそうとしても出てこない。

 本人格は、別人格に負の感情を任せているので、成長できていない。

 その基本人格を、呼び起こして、統合した別人格と合致させなければいけないのだが、出てこない。

 多分、拒否しているのだと思うと先生が言っていた。

 自分の基本人格は、かなりの幼少時にショックを受けてそのまま置き去りのなっているようだ。

 そのショックの時点を思い起こさないといけないのだけれど、それは出てこなかった。

 
 
 次回、また、受ける事になったが、出てこない事には先生もどうにもならない。

 ひしぎな感覚だたが、終えると、少し明るくなったように感じた。

 
 東京まで、普通列車で往復した。 かなり疲れて、夜遅くに帰って来た。

 


足るを知る。 ?

2010-05-14 10:20:21 | インポート
 
 潰瘍性大腸炎になり、医者に言われて一番嫌だった言葉。

 「頑張りすぎちゃいけません。ほどほどにやりましょう。」

 「100パーセントを目指すのはやめて、70?80パーセントを目指しましょう。」

 全く医者は、アホだと思った。  生きることの意味が無いだろう。
何のために生きているんだ。 負ける為か?
 頑張らないように生きる位なら死んだほうがましだろう。
 

 そう思って、現状が嫌で嫌で仕方が無かった。 

 

 しかし、あれから、10数年、 治って健康になった。 
 
   今は、無意識に自分からブレーキを掛けている。 不思議だ。

 無茶をしてる人には、壊れないように祈ってしまう。 それが若い人でも。

 治って、無茶してでも頑張って頑張れるようにないたいと、思っていたのに。

 

 
 無理をするのはよく無い。 自分の能力を超えれば、確実に壊れるから。
 人間の身体は、100パーセントの力を出せないようになっているから、直ぐには壊れないが、 負担が続けば、壊れる。

 
 大切なのは、自分の能力を上げていく。 ちゃんと払うべき時間、費用をはらって。
 この作業をおろそかにして無理に動いても壊れるだけだ。

 

 要は、自分の能力を上げる努力をせずに、上を望んで無茶な事をしていたという事だった。 能力以上のことをすれば、人間は壊れる。 それだけの事だった。

 人生は長い、 しっかりと目標を決めて、 着実にそれに向かって積み上げていける人間が 成長を得る。

 
 大きな勘違いに気が付いて、 一つ勉強になった。
 

 今から、大きな目標を見つけて、スタートするしかない。
 
  多少遅れたが、気がつけて良かった。

 自分にとっては、これが一番の早道だったのだろう。
 
  
 
 

  
   

 
 


民主党 三宅雪子、痛くないから杖で転ぶのだ。

2010-05-13 23:25:40 | インポート
 衆院内閣委員会の採決時、自民ともめてこけた、民主の三宅雪子が、車椅子、松葉杖で、登院し、また松葉杖で転んだとニュースになっていた。

 衆院内閣委員会の時、
  ネットの映像で確実に確認できるが、こいつは 自分で転んだ。

 誰にも押されていない。

 しかも、下はじゅうたんだ、怪我などするはずは無い。  断言できる。

 間違いない。 サッカーで言うシュミレーション、
 悪質で情けない反則。  人間として一番恥ずかしい行為だ。

 サッカーのゲーム中にやるならまだいい、それもゲームだから。

 こいつにとっては、政治もゲームなのか?

  だまして何ぼの世界なのだと思っているのだろう。本当に最低の人間だ。

 元、フジTV社員、初登庁の時4時前に並んで、一番乗りをしていた。
 それだけでも、十分に人間性を疑える。  最低な生きかたをしてきたようだ。

 最近の政治家に多いタイプだな。

 

 何で、今日、また松葉杖で転んだか?

 簡単、

 本当に痛くないから、どちらの足が痛かったのか頭で考えるから身体が混乱して転ぶ。

その辺の経験は、多いから直ぐにわかる。

 
 全く、どうしようもない、 女だ。 

  しかし、自分たち国民が選んだ。

 

 


駄目だこいつら、と思った瞬間。

2010-05-13 02:58:52 | インポート
 潰瘍性大腸炎になり、会社を辞めて、どうしようもなく困っていた頃、ある、自己啓発のセミナーのようなものに勧誘を受けた。

 この手のもは、怪しいと判っていても、当時は自分に自信があったので、何でも突っ込んでいった。

 関係無い話だが、大学に入学すると、原理研と言う、訳の判らない宗教団体がアパートに勧誘に来た。
 普通の人は、玄関で門前払いにするだろうが、自分は、中に入れて話を聞いた。ご丁寧にお茶まで出して。

 話を聞いて、こりゃ駄目だ、と思ったので、出て行ってもらった。
   もう迷惑だから来るなと。

 そんな感じだったので、話を聞きに行った。サイエントロジーとか言う団体だったと思う。

 何回かセミナーを受けて、駄目だと思ったが、決定的だったのは、

 体内の悪いものを体内から出す、デトックスのセミナーに出ている奴ら。

 数十万円のセミナーに出ているそうだが、そいつら、昼休みにコンビニの弁当を食っている。

 アホだと持った。 数十万かけて出して、何でまた採るの?

 全く判っていない。 お金をせびり取られているだけだと思った。

 せびりとる方もお構い無し。  金が入ってくればいいんだろう。

 世の中面白いと持った。  こんな馬鹿でもまともに生きていけるんだ、
日本は幸せな国だ。 

 こんな国に生まれた自分はありがたい。
 
 

 そこに、親友のお兄さんが、居たのには、びっくりした。

 旧帝大を出て、三菱系の大企業に入社したエリートだと聞いていた。

 親友の実家の家風からは全く考えられない事だった。
 後から聞いたが、縁を切られてる状態だそうだ。

 受験勉強ばかりじゃ、どうしようもない。 どうにも出来ない。
 

 
人生は、面白い。

 

 
 

 


来るべき時が来たか?

2010-05-10 23:02:23 | インポート
 大学時代に大変お世話になった師範が、一時心停止状態になった。

 会にいたのは、随分と昔の事で、今、支部との接点はほとんど無い。

 師範が十数年前に倒れられたから、尚更連絡はしていない。

 しかし、不思議な事に、つい最近、大学のOB会を地元でやろうという事で、先輩方が計画し、自分が支部や、大学への連絡をしていたので接点が出来ていた。

 そんな中、もしや、師範、危篤なのではとの確認の電話が来た。 そして、支部に確認ができた。

 連絡をくれたのは昔の先輩で、今は、館の支部長。

 骨折して入院中に心筋梗塞をおこし、急遽 心臓の専門病院へ移送されたという。

 一旦は落ち着いたが、数日後、再度心筋梗塞。

  心停止状態で、電気ショックと、心臓マッサージで、やっと一命を取り留めたという。

 師範の内縁の奥さん、名前も知らないが、事務局長と呼んでいる。

その方から、状況を聞いているうちに全身が萎縮してきた。

 精神的な、ショックが肉体にも出てしまうのだ。

潰瘍性大腸炎になってから、胃が痛む事があるようになったが、 今回も胃が痛んできた。

 

 自分を可愛がってくれ、 大学二年時、緑帯、3級で全日本に出せてもらい、その後も全日本ウエイト制、全日本は全て代表にしてもらった。

 卒業し、引退して稽古をしてなかったが、 北海道でアジア大会があると、師範が代表権を勝手に持ってきて、予選も開かずに、自分をエントリーした。

 招待試合で、金はかからないから、旅行だと思っていけば良い。 そう言われた。 

 流石に断ったが、すでにエントリー済みだった。

 学生時代に一生懸命頑張った褒美だよ。  そういって自分に代表権を与えてくれた。

 夜中に急に呼び出されたり、 東京のやくざの事務所に付いて行かされたり、 かなり無茶な事もあったが、それ以上にお世話になった。

 夏休みなどほとんど自宅でお世話になっていた。

 
 卒業後、8年経った時に学内戦があり、オープンで出て優勝した時は、
倒れられて、半身が不自由な状態だったが、  自分に「岩崎は俺の宝だよ。」と、言ってくれた。

 転勤で離れる事になり挨拶に行った時は、 涙が止まらなかった。

 師範の事を考えると気持ちが重い。

 もう一度戻ってほしい。