アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

江戸時代のカンヅメは大きかった

2017年05月08日 | Weblog
 5月4日付の地方誌のコラム…

 江戸時代というものの正体を司馬遼太郎さんが短編「おお、大砲」に書いている。天誅(てんちゅう)組の変で決起軍に攻められた奈良の高取藩。大坂の陣以来の大砲を6門引き出したが、火を噴かない
 250年の間に、いつしか口伝に誤りが生じた。火薬の調合がうまくいかない。ひび割れた砲もあった。それを守ってきた大砲方。結果として、使いものにならない砲で家禄(かろく)を得、子々孫々食ってきたのである・・・

 ビックリしました!私が、4月27日、28日に書いたもののパクリかと思いました。で、「どっちがパクッタか?」となったとき、「新聞VSアンティークマン」では、私に勝ち目がない。ただ、一縷の希望は、「私のほうが先に書いている」ということ。「先に書いた人が、あとから書かれたものをパクル…?」これはないでしょう!

 コラムを読んでいくうちに、「私が書いたもののパクリじゃないな」と気づきました。当たり前だけどね。
 文章のまとめ方が、「真面目臭い」のです。私の場合は、「オチをどうつけるか?」「どうボケるか?」そんなことに汲汲としているのですがね。なぬ?真面目臭いのを読ませろって?
 
  ・・・(結果として、使いものにならない砲で家禄を得、子々孫々食ってきたのである)それが、封建制というものだった。この制度は、人間や身分を数百年間、制度のカンヅメに入れてきただけでなく、大砲までをカンヅメにしてきたのである・・・
 どうですか?真面目臭いでしょう。それにしても、「大砲のカンヅメ」とは!江戸時代には、大きなカンヅメがあったんですねえ!(うむ、うまくボケたな)