「他人の褌で相撲をとる」ということわざがあるが、私の豆本はそれであって、自身の創作したもので豆本を作っている人からすれば顰蹙ものであろう。
このことわざの真意は「自己の利益のために、最も肝心大事なもの自分の懐を痛めず楽をして他人のもので代用する」というずるさ、要領のよさにあると思う。
そこであえて弁解をするなら、私の豆本は、「自分の手で豆本を作ること、そして豆本にになった【名作・名画】をコレクションすること」にあるので、販売・営利を目的にしているわけではない。もともとは豆本製作が第一目的だったが、数多く作っているうちに、名画・名作がコレクション的に溜まってきて、いつのまにか第二の目的になったというわけである。
「自分の利益」という内容がどこまでを意味するか難しいが、自分だけの趣味楽しみのようなものまでをもいうなら人間はすべて「自分の利益」のために生きているようなものだから「他人の褌」的なことは当たり前で、インターネツトの世界を眺めてみればそれは顕著であろう。
へ理屈はともかく、そういったことを承知の上で自ら「他人の褌」を標榜しているわけだから、かくいわれることに痛痒は感じないし、「汝らのうちの罪なき者、この者に石を投げよ」ということである。
このことわざの真意は「自己の利益のために、最も肝心大事なもの自分の懐を痛めず楽をして他人のもので代用する」というずるさ、要領のよさにあると思う。
そこであえて弁解をするなら、私の豆本は、「自分の手で豆本を作ること、そして豆本にになった【名作・名画】をコレクションすること」にあるので、販売・営利を目的にしているわけではない。もともとは豆本製作が第一目的だったが、数多く作っているうちに、名画・名作がコレクション的に溜まってきて、いつのまにか第二の目的になったというわけである。
「自分の利益」という内容がどこまでを意味するか難しいが、自分だけの趣味楽しみのようなものまでをもいうなら人間はすべて「自分の利益」のために生きているようなものだから「他人の褌」的なことは当たり前で、インターネツトの世界を眺めてみればそれは顕著であろう。
へ理屈はともかく、そういったことを承知の上で自ら「他人の褌」を標榜しているわけだから、かくいわれることに痛痒は感じないし、「汝らのうちの罪なき者、この者に石を投げよ」ということである。