パッキーの多言語日記(ヒッポファミリークラブ板橋)

多言語活動、ヒッポファミリークラブで体験する面白い話や、小ネタをきままにつづっています。

タガログ語のコネタ

2013年10月09日 | ヒッポファミリークラブ

マガンダン ガビー   タガログ語の挨拶  

 

さて、前回に続いて、タガログ語話ですが、

以前このブログにも書きましたが、

高齢の両親がデーサービスに通っており、そこで、

お風呂のお手伝いをしてくれるスタッフが

フィリピンの女性らしく・・・・・

 

で、前回は

サラマッポ 

 ありがとう を伝えたところ、

いまだに、風呂に入るときは利用者が

サラマッポといって 入るとのこと。

 

そこで、第2弾

うまく音が再現できないけど

マガリーン

みたいだったか、

マーガリンみたいだったか

とにかく Good Job の時に使うらしい。

 

早速 母親に この

マガリーンを伝えたら、

完全に

マーガリンになっており、

 

尚且つ、私が覚えていた もう一つの確かな記憶は

シブヤ  → これが 玉ねぎらしい 

ということで、今回母親への

タガログ語講座

シブヤでマーガリン

果たして上手く 伝わるかな


フィリピン話

2013年10月06日 | ヒッポファミリークラブ

マガンダン ハポン  

フィリピンのタガログ語の挨拶です。

 

韓国の話が多かったのですが、今回はフィリピンの話。

 

以前 JⅠC Aの受け入れで、板橋地域に遊びにきてくれたマークですが、

我家の次男とフェイスブックで繋がっていて、先日に続き

今回はヒッポの活動に遊びに来てくれました。

 

 

いつも 笑顔でスマイルいっぱいのマークはすぐに皆に打ち解けて

ヒッポの活動を楽しんでいました。

 

30歳の若者ですが、すでに3人の子供がいます。

英語とタガログ語でのコミュニケーションですが、

これから2年間、三鷹に住んで、国際基督教大学に通うとのことで、

折角ヒッポに来たのだから、日本語も話そうってことで、

日本語のCDを聞いて、まねっこしたりしました。

 

しばらくすると、子供たちもパワーをもてあまし、

ゲームをすることになりました。

この頃、マイブームの オオカミさん今何時?ゲーム。

やさしい、オオカミが突然、ヒョウヘンして、

「たべちゃうぞーー」

襲ってくる、くだらないけど、

結構スリル有るゲームです。

 

そして、マークが鬼になり、

何度もそのせりふ

「たべちゃうぞーー」を 

繰り返し行っているうちに、

だんだん言えるようになりました。

あっという間の2時間が終わり、

そして、マークが今日のヒッポの活動で覚えた唯一の日本語は、

 

「たべちゃうぞーー」 


 だが、この言葉、今後彼の生活に

いったい、いつ 登場するのでしょうか

林先生風に・・・・・

いつ使うの 

ないでしょ。


韓国コクリカツアー いろいろ

2013年10月05日 | ヒッポファミリークラブ

アンニョンハセヨ  ブログ書きすぎて

目が痛くなり、ちょっとお休みしました。

 

まだ、まだ韓国について書きたいことはたくさんありましたが、

時間がたつと、どんどん忘れてしまい・・・・・

 

なので、また復活

 

でも、その間に気がついたことが・・・・・

あまりに、ブログで燃焼  してしまい、

ヒッポの活動の場で写真を拡大して、

紙芝居を作り、話し出したのですが、

なんか、もう自分の中では、終わってしまい・・・・

そんなこともありましたっけーーみたいな

不思議な現象です。

 

でも、でも思い起こせば、まだまだいろいろあり 

 

幼児を含めて5人でいたのですが

全員一丸のコクリカツアー

授業では赤ちゃんの言葉のプロセスを話す場面で、

丁度、1歳10ケ月のE太が全く同じような大波の言葉を

発してくれて、説明がホント!!!らしくなり、大受け。アイドルとなりました。

 

 

現役高校の生物の先生のKKはやはり黒板の前に立つのが絵になり 

 

そして、MMのワールドワイドなネットワークで

例の事故の時は韓国夫婦が細かい通訳として

病院で大活躍。

しかも夫婦で来てくれたので、レントゲン撮るときは

女性は女性で奥さんが通訳、

男性は男性でダンナが通訳

しかも、その西日暮里在住のダンナが懇切丁寧で、

レントゲンを前にして 

 

ここではパンツをぬがないでください

 

 までしっかり訳してくれたとのこと どこ撮るわけ 

 

そして今回、最大 大活躍の場があったのが、

Sさん、こちらは現役の保険代理店 

なので、事故対応はプロそのもの

っていうか、プロだし。 

その対応の早いこと、早いこと

警察や救急車よりも 早く

保険会社が来て、現場検証。

その後の処理もテキパキと 見てて、任せて 安心対応。

チャンチャラチャーーン というテレビの保険会社のCMを見ているかのごとく。

 

そんなわけで、珍道中ではありましたが、

全員一丸となった、コクリカツアーでありました。

 


事件第2弾

2013年10月01日 | ヒッポファミリークラブ

韓国報告の続きです。

 

そして、私達は、忙しいところを時間を割いてくれたヨンチョル先生が最後まで責任を持って見届けてくれて、

蓮根西日暮里夫婦も見送りのもと、

帰国の途に着くべく、豪華リムジンボスで、インチョン空港に向かいました、

いや、向かおうとしました。

 だが・・・・・・

 

バスのチケットはまとめてSさんが買ったので、バスの中で配りました。

なんだか、ホットしたような、どっと疲れたような、不思議な安堵間が広がり、

私達は一番後ろの席に陣取り、お勧めの棒餃子と、マントウを食べようかなって

思っていたとき、前の席から車掌さんが

やってきました。

四角い顔の、いかつい感じ、ちょっと下駄・・・・的なおじさん。

チケットの半券をもぎりにやってきました。

 

端から1人づつ出し、私も出し、そして、そして、一緒に行ったメンバーの KK ?あれ?

ないの

ほぼ数分前に渡したよね、チケット?

なのに、ないのーーー

ええーー、だって、たった 今でしょ。渡したの 

 

ってことで、カバンから、ポケットから、胸ポケットから、

探してもじぇんじぇんごじゃいません。

 

まあ、結局私達の中にはまだプチ動揺があったのかもです。

 

ということで、

困ったなと思ってたら、下駄の車掌ずっと見ていて、

なにやら、またしても、なぜ私ですか!!

なんだ、かんだと言って来ました。

 

そこで、また落ち着いて

言葉を聞くんじゃない、何を言いたいかを聞くんだ!作戦にでました。

 

すると、あっけなくフツーにわかり、

結局は半券がないと、自分があとで事務所に報告するのに困る的なことを

言ってまして、そこで、KK あわてて再度、カバンの中、ポケットの中、

手持ちの財産をすべて椅子に並べるぐらいの勢いでしたが、

全部さがしたけど出てこなくて、とうとう出発の時間。

下駄は諦めたとみたか、苦い顔をしつつ、バスを出発させました。

 

まあ、団体だし、皆持ってるんだから許してくれるでしょって

暗黙の了解を皆でして、棒餃子をくらいつていました。

 

走りだしたバスはしばらくすると、バス会社の事務所前みたいなところに止まり、

すると、なんと、なんと、また下駄がやってきました。

再度、探せとのこと、  まさに、「じぇじぇ!」

 

そうだ、そうだ、ヒッポのCDで、写真をもう一枚撮る時に

タシハンボニダーーって言ってたたなと思い、

恐る恐る 

「タシ?」と聞いたら、

「ねー」と当たり前のように、下駄は答え、

もう一度支払うように言って来ました。

こんな時にもすぐに、通じて、しまい、幸か不幸か

本当はわからないふりしてればと思いつつも・・・・

 

ーーー、30000円、ひゃーー高いって思うけど、

ウオンだから、ゼロをとって、

3000円ぐらい。

しょうがない、KK タシ 払いましたよ。30000ウオン 

「OK--」と勝ち誇ったような笑顔で下駄は退場。

 

で、まあ、とりあえず、一件落着とし・・・・  KKは常備薬を飲もうと

カバンの一番手前の、ポケットからおもむろに薬を出した、

出した 出したら

なんと

ヒラヒラとボスチケットが出てきたではありませんか。

 

支払ってから、1分後。何故、いま??

「あったーーー、でたーーー」と言いながらも、

現金はすでに、下駄が没収済み

 

もうだめかな、どうしよう、と皆が思っていたとき、

すかさず、行動力抜群のSさんがそのチケットをもって、

下駄の方に駆け出しました。

 

そして、交渉すること 数秒

輝く3枚のお札を持って凱旋帰席??(なんて言葉ないかな)

 

いやあーー よかった、よかった。

もしかして、

私達って、持ってるかも??

いや、ついてるの?

いや、憑いてるかも?

そして順番に行くと次は私かな 

不安がよぎりながらも、何とか

無事 飛行機搭乗。

機内で韓国のビール  カスを飲みながら、無事帰国の途に着きましたとさ。

 

 

 


その4 ことばについて

2013年10月01日 | ヒッポファミリークラブ

もう、ずっと あいかわらず韓国ネタです。その4 

慌てた時の言葉についての体験。

 

病院についた時に、救急隊の兄さんが受け付けをしてくれました。

そして、受診するSさんとMMと息子のEちゃんが書き込み票を書いていたのですが、

突然、その救急隊の兄さんが  韓国語でぶわーーーと

なぜか、私に話しかけて来ました。

 

そっかー、さっき車の中で、カバジン引用の創作韓国語で通じていたので

すっかり、韓国語話せる人に昇格していた私 

 

しかし、そうは言ってもそんな救急病院韓国語なんて、無理って

思った瞬間、耳が閉じてしまいました。 

でも、容赦なく、そのにーさん、私に韓国語を浴びせかけてきて・・・・・

 

うっつ、ククク  

 

だが、あれ、待てよ、ここで閉じていても、らちがあかず、

落ち着け私。 

 

まずは、韓国語を聞くんじゃなくて、

何を聞いてきているのか それを聞くんじゃーーって

天の声が下りてきました。

 

そっかーー 今何を聞いているのか、

耳も、目も開けて、良く聞いてみると

 

なーんだ、これかい!!って

あまりに簡単にわかりました。

 

だって、書き込み票に漢字で書いてあったんです。

そこを指さしてたんですから。

焦りは禁物 ですね。

 そして書いてあったのは・・・

 

住 民 番 号 

 

住民番号なんて、ないっつーの 私達日本人だし、旅行だし。

 

そこで、上記日本語を韓国語にして、

救急にーさんに言ってみました。

すると、怪訝な顔つき、

なので、もう一度、ありません。を強調して

オプソヨーーって言っても

まだ怪訝な顔で、どんどん韓国語でまくしたてられて 

と、そんな時に救世主到来。

 

以前、蓮根に住んでいたという、MMのお友達が

ピザより早い30分以内に駆けつけてくれたではありませんか、

すごいこのワールドワイドなネットワーク!

そして、現在西日暮里単身赴任中のダンナの奇跡的な

一時帰国にタイミングも合い、ばっちり夫婦で登場。

 

そして、すかさず私達の問答の中に通訳をかって出てくれた西日暮里の貴公子のダンナが

一言、救急にーさんに言ってくれました。

「住民番号、オプソヨ」

すると 救急にーさん

「ねー」

と瞬時に納得。

えっつ、それって、さんざん、私達が言ってたせりふ なんですけどー

どこがちがうんじゃい って言いたくなったけど、

安心感が無かったのかも。

 

というわけで、いろんな人の手助けと

スピーディーな対応で、無事 事を乗り切れ 

レントゲンも経過観察でということで、一安心。

飛行機もぎりぎり間に合いそうで、

よかったーー

 

想定外の、忘れがたい思い出と

韓国の人たちの、温かみを感じた出来事でした。

 

結局 ビビンバは食べられませんでしたが、

お勧めの、棒餃子を屋台で買って

リムジンボスで食べる事になり、

インチョン空港まで

帰国の途に着く・・・・・

はずでしたが、またしても・・・・

事件が・・・今回はプチ事件ですが、

続きは次回。

 

 

 

 

 

 


その3 病院到着

2013年10月01日 | ヒッポファミリークラブ

その後、病院到着の件です。

韓国で、初めて入った病院はとっても綺麗でした。

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そうそう、

なんか、いつも思ってたんだけど、町に高齢者があまりいないって感じがしました。

病院といえば、日本では、おじいちゃん、おばあちゃんって感じなんですがね、ここでは、皆無。

韓国 では、なんか若い人がいっぱいで、町に活気がある感じでした。

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そして、尚且つ、病院の先生が若くて、かっこいい!!っぽく見えたのは私だけ??

こんな時不謹慎にとも思いつつも、

なんかマスクで半分隠れてはいますが、

みんな、ちょっといい感じでした。

で、ピンクのナースたちもなんか、若い人が多くて・・・・

 

で、で、 レントゲン室の前で待っていると、

向こうから綺麗なナースがやってきました。

 

そしてレントゲン室のドアをノックすると中から

これまたハンサム先生が出てきて・・・・・

 

すると、なんと、そのピンクナースがイケメン若者ドクターに

CDを渡しているではありませんか!!

しかも私ははっきり聞きましたよ、こんな時に、何故か すぐに、解った韓国語。

 

「チョナ チュセヨーー」

 

笑顔で、「電話ちょうだいねーー」って言い残して行ったんです!

 

あらまーー この二人付き合ってんのかしら。

しかも、昼間から、職場で堂々と!!CDの貸し借りなんて。

なんだろう、KーPOP かな、

そんなに、いい曲が入ってるのかな??

もう、すっかりおばちゃん状態で、妄想が暴走。

 

 

しかし、この妄想の結末はその後、すぐにやってきました。

 

私達が、診療を終わり病院を出ようとしたら、

受け付けの人が慌てて、さっきと同じCDを持ってきてくれたんです。

えっつ、私達にも貸してくれるの??いや、貰えるの??

って、すごいサービス

 

と思いきや、日本に行って医者にかかる時は

これを見せてねって・・・・

なんだ これ診療のデータが入っているんじゃない

もう、オバサンの想像はどうして、週刊誌のようになってしまうのか 反省

 

それにしてもすぐにこうやってデーターを持たせてくれるなんて、

今時なんですか、日本はどうなのか、知らないけど、至れりつくせりの韓国病院体験でした。

 


その2 救急車

2013年10月01日 | ヒッポファミリークラブ

アンニョンハセヨ

前回の続きです。

初めて乗る、救急車。私は付き添いでしたが、

みなの中に、走る緊張感・・・・・と思いきや

さすがヒッポメンバー

これも貴重な体験、写真撮らないとってことで、車内撮影。

やっぱり、帰ってから、聞いてくれる仲間がいると思うと、とにかく なんだか、励みになります。

 

実は、全く偶然ですが、

メンバーMMの友人で、以前板橋区蓮根に住んでいた、韓国夫婦が

このチョンジュの近くに住んでいるというので、丁度電話をしていた時に、事故にあってしまったので、

先方で慌てて、びっくり、今から病院に駆けつけるとの流れになり、救急隊にどこの病院に行くか

聞くことになりました。

 

実は、出発前にヒッポメンバーの幼稚園ママ友に韓国の人がいるので、

準備会をしました。

その時に、美容院と病院はすごく音がにていて、間違えやすいって話をしていて・・・・

 

そうそう、病院は ビョウオン 見たいな音だったことを思い出し。

ヒッポではカバが自分が本当は何なのか、旅に出て

結局カバだったってことが分かる、カバの冒険の話を聞いていますが、

旅に出るとき、オデカノー と言っていたと思い出し。

 

オディ ビョウオン エヨ?

 

的な創作韓国語を作って、救急隊員に恐る恐る話しかけてみました。

するとちゃんと答えてくれて、

名前を聞こうと思い、

カバジンの ぼくは なあに?  ナヌンモーヤ?が思い出され。

イルミ モーヤ? と聞いたら、

なんと、 00ビョウオン と答えてくれるではありまえせんか。

 

うわ 通じてるよ。しかも外見はすごい 普通に話してる感満載。

だが、頭の中は、カバが冒険にでながら、病院と美容院を間違えなに

などなど、秒速でいろんな思いが駆け巡っていました。

 

でも、この話せてる感のオーラが あだとなり、

その後、嵐のような救急隊員の韓国語が私1人に集中して、浴びせられるのでありました。

 

だが、しかし、そこに なんと 救世主が現れ・・・・・

 

第2話 完了

 

そして、次回はいよいよ 「病院到着の巻」 って単なる報告がついつい

大げさになってしまいました。

でも、大変なことにならなくて、ホント良かった!

そして、先生を初め韓国の人たちの対応の早さにはびっくり、有り難かったです。