ダンナが久々に休みを取ったので、どこかに行こうという話しになった。
行き先は雑司が谷。
18年前、長男がおなかにいるとき安産祈願のために雑司が谷の鬼子母神にお参りにいったことがあった。(そのときはクリスチャンじゃなかったからね。)
そのときは昔からある都電荒川線でいったけど、今じゃ副都心線が開通し、雑司が谷まで乗り換えなしでいくことが出来る。真新しい駅、ホーム、だけど、やっぱり雑司が谷は都電荒川線が好きだな。そのほうが風情があるよ。私は鉄子じゃないけどね。
今回の目的は鬼子母神ではなく、反対側の雑司が谷霊園近くにある雑司が谷旧宣教師館だ。
明治40年にアメリカ人宣教師マッケーレブが建てたものだ。
そこでのマッケーレブ師の宣教活動や他の宣教師達の信仰に根ざした慈善活動に触れる事ができ、とても深い感銘を受けた。
当時は東京には3つのスラム街があったらしい。四谷、下谷、芝、今では考えられないところだが、そのスラム街で貧困に苦しむ児童達や不幸な女性達を助けていた。いつも貧困に苦しみながらも日本人のために働き、後に続く宣教師達も目覚しい働きをしていた。戦争になってからは迫害も多かっただろう。軟禁されて戦争が終わりアメリカ軍によって助けたれた時は餓死寸前だったという女性宣教師もいた。その女性宣教師の写真があり、彼女は浴衣を着てにっこりと微笑んでいた。
そんな歴史年表を見ていたら涙が出てきた。
人間は愚かだな。相手が敵国になったらすぐにでも敵意を抱けるものなのか。残酷な仕打ちをできるものなのか。
主の召しを受けた人々の信仰は深い。私達クリスチャンは一人ひとりが主の証し人となる。主の愛を知らない人に、福音を伝えるために。あたらめて今の自分に何が出来るのか考えさせられた。
また、マッケーレブ師の料理人として後に画家となった東郷青児の両親が住み込みで働いていたというから興味深い。
小さな庭にはバラのアーチがあり、マッケーレブ師が植えたブルーベリーがあった。他にもたくさんの植物が植えてある。
何かジーンとしたものを残したまま、また、雑司が谷を散策した。
雑司が谷霊園には夏目漱石、小泉八雲、永井荷風、泉鏡花、竹久夢二、ジョン万次郎、羽仁もと子などの有名人のお墓がある。宗派は問わないらしく十字架のお墓もたくさんあった。「俺達は共同墓地でいいよな。」そんな会話をしながら歩いた。
お次に行ったのは笑点でおなじみの好楽師匠のお嬢さんがやっているという「ひなの郷」。鬼子母神境内の近くにある。おなかがペコペコだったのだ。ホームページを見たら店の中でも食べられるというのでそうしようと思ったら「申し訳ございません、今日は出来ないんです。」
残念。
しかたないので名物の「子宝たい焼き」(餡子、白玉、豆乳クリーム)、「鬼っこたい焼き」(チーズとえび)、「普通のたい焼き」を子ども達のお土産にしてお店を後にした。
好楽師匠そっくりのお嬢でした。
そのまま明治通りに出て「ナンNo1」という小さなインド料理のお店でお昼。
野菜カレー、キーマカレー、チキンティッカ、大きなナンとサラダがついて980円。おいしかったぁ~。
お店の人はインドの人だったがとてもきれいな日本語を使い、「辛さ加減はいかがですか?」とさりげない気遣いがうれしい。
「おいしかったです。ご馳走様でした。」というと何度も何度も頭を下げて、店の外まで送り出してくれて「ありがとうございました。」といってくれた。それだけで心がほわっとした。このお店にはまた行きたいな。
その後同じ通りで古本屋を見つけダンナの気の済むまで本を見せてあげた。(ダンナはとても本好きである。)
心配した雨も降らなかったし、今日は近場だけど楽しい一日だった。
行き先は雑司が谷。
18年前、長男がおなかにいるとき安産祈願のために雑司が谷の鬼子母神にお参りにいったことがあった。(そのときはクリスチャンじゃなかったからね。)
そのときは昔からある都電荒川線でいったけど、今じゃ副都心線が開通し、雑司が谷まで乗り換えなしでいくことが出来る。真新しい駅、ホーム、だけど、やっぱり雑司が谷は都電荒川線が好きだな。そのほうが風情があるよ。私は鉄子じゃないけどね。
今回の目的は鬼子母神ではなく、反対側の雑司が谷霊園近くにある雑司が谷旧宣教師館だ。
明治40年にアメリカ人宣教師マッケーレブが建てたものだ。
そこでのマッケーレブ師の宣教活動や他の宣教師達の信仰に根ざした慈善活動に触れる事ができ、とても深い感銘を受けた。
当時は東京には3つのスラム街があったらしい。四谷、下谷、芝、今では考えられないところだが、そのスラム街で貧困に苦しむ児童達や不幸な女性達を助けていた。いつも貧困に苦しみながらも日本人のために働き、後に続く宣教師達も目覚しい働きをしていた。戦争になってからは迫害も多かっただろう。軟禁されて戦争が終わりアメリカ軍によって助けたれた時は餓死寸前だったという女性宣教師もいた。その女性宣教師の写真があり、彼女は浴衣を着てにっこりと微笑んでいた。
そんな歴史年表を見ていたら涙が出てきた。
人間は愚かだな。相手が敵国になったらすぐにでも敵意を抱けるものなのか。残酷な仕打ちをできるものなのか。
主の召しを受けた人々の信仰は深い。私達クリスチャンは一人ひとりが主の証し人となる。主の愛を知らない人に、福音を伝えるために。あたらめて今の自分に何が出来るのか考えさせられた。
また、マッケーレブ師の料理人として後に画家となった東郷青児の両親が住み込みで働いていたというから興味深い。
小さな庭にはバラのアーチがあり、マッケーレブ師が植えたブルーベリーがあった。他にもたくさんの植物が植えてある。
何かジーンとしたものを残したまま、また、雑司が谷を散策した。
雑司が谷霊園には夏目漱石、小泉八雲、永井荷風、泉鏡花、竹久夢二、ジョン万次郎、羽仁もと子などの有名人のお墓がある。宗派は問わないらしく十字架のお墓もたくさんあった。「俺達は共同墓地でいいよな。」そんな会話をしながら歩いた。
お次に行ったのは笑点でおなじみの好楽師匠のお嬢さんがやっているという「ひなの郷」。鬼子母神境内の近くにある。おなかがペコペコだったのだ。ホームページを見たら店の中でも食べられるというのでそうしようと思ったら「申し訳ございません、今日は出来ないんです。」
残念。
しかたないので名物の「子宝たい焼き」(餡子、白玉、豆乳クリーム)、「鬼っこたい焼き」(チーズとえび)、「普通のたい焼き」を子ども達のお土産にしてお店を後にした。
好楽師匠そっくりのお嬢でした。
そのまま明治通りに出て「ナンNo1」という小さなインド料理のお店でお昼。
野菜カレー、キーマカレー、チキンティッカ、大きなナンとサラダがついて980円。おいしかったぁ~。
お店の人はインドの人だったがとてもきれいな日本語を使い、「辛さ加減はいかがですか?」とさりげない気遣いがうれしい。
「おいしかったです。ご馳走様でした。」というと何度も何度も頭を下げて、店の外まで送り出してくれて「ありがとうございました。」といってくれた。それだけで心がほわっとした。このお店にはまた行きたいな。
その後同じ通りで古本屋を見つけダンナの気の済むまで本を見せてあげた。(ダンナはとても本好きである。)
心配した雨も降らなかったし、今日は近場だけど楽しい一日だった。