風は東楡の木通りから

クリスチャンフルート吹きパスピエの愛する音楽、猫たち、薔薇の毎日

詩篇62編

2010-03-22 23:08:08 | キリスト教(行事、他)
この頃、とても心が疲れる。
自分の中にある偽善に嫌悪を感じる。本当は嫌なのに、いい人ぶっている。
居場所がない。そんな気分。自分に存在価値があるのか。
でもその悩みが本当は大したことがないのではないかとかいろいろ考えてしまう。

ただむなしくて仕方がない。私w取り巻くすべてから逃げたい。


20日土曜日、この日は大好きな宣教師、M先生とK先生による「賛美と礼拝講座」。

モーセの幕屋から賛美と礼拝を学ぶ。新鮮な驚きともに深い学びだ。この日はなんだか分からないけど、M先生に悩みをうちあけた。問題が多すぎて神の恵みがわからなくなるときがあると・・・。そうしたらM先生は詩篇62編の1節、2節、5節~8節を贈ってくれた。この聖書個所を声に出して読んでみてと言われたので読んでみた。

詩篇62編

1:私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の救いは神から来る。

2:神こそ、わが岩、わが救い。わがやぐら。私は決してゆるがされない。

5:私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の望みは神から来るからだ。

6:神こそ、わが岩。わが救い。わがやぐら。私は決してゆるがされることはない。

7:私の救いと、栄光は神にかかっている。私のちからの岩と避け所は、神のうちにある。

8:民よ。どんなときにも、神に信頼せよ。あなた方の心を神の御前に注ぎ出せ。神はわれらの避け所である。



8節を読む頃には涙声になってしまってほとんどかすれ声だった。いつもいつも注ぎだしているのに。「わかっているけど、時々待ち望むことができない!」というと「神様はすべてご存じよ。」といって手を握り祈ってださった。

とても長い祈りだった。いつのまにかK先生も来てくれてともに祈ってくださった。
優しい慈愛に満ちたほほ笑みにホッとした。

聖書の中で、また礼拝のメッセージの中で友達をかいして、いつも来る答えは「待ち望みなさい」だ。
私は十分待ったつもりでも神さまの時間とは違う。
まだその時ではないのだろうな。

今まで振り返ると必要な時、必ず助けはあたえられたんだ。

やっぱり待ち望もう。