上尾信也氏の「音楽のヨーロッパ史」(講談社現代新書)を読んだ。
古代エジプト、古代オリエント、ユダヤの地で、奏でられた神への祈りの歌、古代ギリシャ、ローマで現代にもつながる楽器の数々。
中世キリスト教を論じる際に必ず引用される「天使の奏楽」の絵画に、トランペット、リュート、ハープなどなじみ深い楽器を持った天使が描かれている絵からキリスト教世界の音楽を書き始めている。キリスト教音楽へのイスラム世界の音楽の影響。
この本の圧巻は宗教改革と音楽か。宗教改革はキリスト教音楽だけでなく、音楽を庶民化させたという意味でも大きいようだ。ちょうど印刷技術の発明が、ビラと音楽を普及させた。「宗教改革時代の印刷物は、16-32ページほどの安いパンフレットや、図版中心の一枚刷りのビラの形をとっていた。16世紀初めの30年間にドイツ語圏で出版されたパンフレットは約1万の版を数え、それぞれ1000部近く印刷されていたため、ほぼ1000万部も流布していた計算になる」と記している。すごい量である。
これが、説教師によって語られ、教会で歌われ、祭りで歌われ、民衆に訴えられた。ルター自身もたくさんの賛美歌を作って布教している。
逆にカトリック側からの宣伝も面白い。ルターを悪魔に見立てた「かの絵画は興味深い。
市民革命、国家と音楽を、<ラ・マルセイエーズ。から書き始めている。
たて、祖国の子ら、今こそ、光栄の日は来たぞ!
われらに向かって暴虐の血なまぐさい旗がひるがえる!
きこえるか、野に山に、あの暴兵どもの吠えるのが?
イギリス国家<ゴッド・セイヴ・ザ・キング>は、「支配者の安寧を臣民がこぞって祈願するありふれた歌詞」、1745年にロンドンの劇場で演奏され、熱狂的に迎えられたという。国王ジョージ2世への反乱への脅威に愛国心が燃えたという。
「だが、」という。<ゴッド・セイヴ・ザ・キング>は、「映画の最後にももはや演奏されず、学校での使用も自由に任されている。教育学者がイギリスの伝統ととくに国歌の起源を守ろうと学校で国歌を奨励する一方で、政府は管y壮や規定を作らないと幾度も見解を示している。」と。これはなんと日本と逆の道を歩いている。
一方、戦争に不可欠で、軍隊に進撃ラッパを鳴らした音楽は、世界大戦とともに一変したと。19世紀のヨーロッパの戦争で、あのヨハン・シュトラウス親子の行進曲、<ラデツキー行進曲>は、父ヨハンが、皇帝軍に勝利をもたらしたラデツキー将軍を讃える。息子ヨハンも、皇帝フランツ・ヨーゼフ行進曲>、同時に息子ヨハンは、革命に共感し、<自由とバリケードの歌><革命行進曲>を作曲する。
第一次世界大戦では、戦争音楽手を染めなかった人たちとして、R.シュトラウス、バルトーク、アルバン・ベルク、ブゾーニ、ラフマニノフ、エリック・サティ、シベリウス、ストラヴィンスキーをあげる。
そして、大戦後、「悲劇と哀悼が戦争音楽の重要な主題」となったと。ベンジャミン・ブリテンの<戦争レクイエム>を挙げている。
著者は最後に、「音楽によって無自覚に感情や感覚を支配されるのではなく、音楽を奏し聴く個人個人が音楽を自律的に支配することこそ、音楽の力を自らの内にしたことになる。」と結んでいる。
このように、音楽を作曲家の歴史ではなく、社会の歴史のなかで見ることで、より音楽への理解が深まりそうである。
古代エジプト、古代オリエント、ユダヤの地で、奏でられた神への祈りの歌、古代ギリシャ、ローマで現代にもつながる楽器の数々。
中世キリスト教を論じる際に必ず引用される「天使の奏楽」の絵画に、トランペット、リュート、ハープなどなじみ深い楽器を持った天使が描かれている絵からキリスト教世界の音楽を書き始めている。キリスト教音楽へのイスラム世界の音楽の影響。
この本の圧巻は宗教改革と音楽か。宗教改革はキリスト教音楽だけでなく、音楽を庶民化させたという意味でも大きいようだ。ちょうど印刷技術の発明が、ビラと音楽を普及させた。「宗教改革時代の印刷物は、16-32ページほどの安いパンフレットや、図版中心の一枚刷りのビラの形をとっていた。16世紀初めの30年間にドイツ語圏で出版されたパンフレットは約1万の版を数え、それぞれ1000部近く印刷されていたため、ほぼ1000万部も流布していた計算になる」と記している。すごい量である。
これが、説教師によって語られ、教会で歌われ、祭りで歌われ、民衆に訴えられた。ルター自身もたくさんの賛美歌を作って布教している。
逆にカトリック側からの宣伝も面白い。ルターを悪魔に見立てた「かの絵画は興味深い。
市民革命、国家と音楽を、<ラ・マルセイエーズ。から書き始めている。
たて、祖国の子ら、今こそ、光栄の日は来たぞ!
われらに向かって暴虐の血なまぐさい旗がひるがえる!
きこえるか、野に山に、あの暴兵どもの吠えるのが?
イギリス国家<ゴッド・セイヴ・ザ・キング>は、「支配者の安寧を臣民がこぞって祈願するありふれた歌詞」、1745年にロンドンの劇場で演奏され、熱狂的に迎えられたという。国王ジョージ2世への反乱への脅威に愛国心が燃えたという。
「だが、」という。<ゴッド・セイヴ・ザ・キング>は、「映画の最後にももはや演奏されず、学校での使用も自由に任されている。教育学者がイギリスの伝統ととくに国歌の起源を守ろうと学校で国歌を奨励する一方で、政府は管y壮や規定を作らないと幾度も見解を示している。」と。これはなんと日本と逆の道を歩いている。
一方、戦争に不可欠で、軍隊に進撃ラッパを鳴らした音楽は、世界大戦とともに一変したと。19世紀のヨーロッパの戦争で、あのヨハン・シュトラウス親子の行進曲、<ラデツキー行進曲>は、父ヨハンが、皇帝軍に勝利をもたらしたラデツキー将軍を讃える。息子ヨハンも、皇帝フランツ・ヨーゼフ行進曲>、同時に息子ヨハンは、革命に共感し、<自由とバリケードの歌><革命行進曲>を作曲する。
第一次世界大戦では、戦争音楽手を染めなかった人たちとして、R.シュトラウス、バルトーク、アルバン・ベルク、ブゾーニ、ラフマニノフ、エリック・サティ、シベリウス、ストラヴィンスキーをあげる。
そして、大戦後、「悲劇と哀悼が戦争音楽の重要な主題」となったと。ベンジャミン・ブリテンの<戦争レクイエム>を挙げている。
著者は最後に、「音楽によって無自覚に感情や感覚を支配されるのではなく、音楽を奏し聴く個人個人が音楽を自律的に支配することこそ、音楽の力を自らの内にしたことになる。」と結んでいる。
このように、音楽を作曲家の歴史ではなく、社会の歴史のなかで見ることで、より音楽への理解が深まりそうである。