今日、初めて一人の生徒さんの演奏を客席で聴くことができました。
その生徒さんの本番の演奏は1回しか聴いたことがありませんでした。
しかも発表会だったので舞台袖で聴いただけでした。
それが今日は客席で聴くことができたのです。
どんな風にホールに響く音で弾いているのか、この生徒さんが持っている音は本当はどんな音なのか。
これらは響かなく狭いレッスン室では知ることができません。
どう身体を使ったらどんな音に近付けるのかはわかりますが、どのくらいできているかは客席でなければ確かめられません。
さて、聴いてみて私はホッとしました。
やはり1年半かけて直してきた奏法は間違いではなかったと。
その生徒さんの音は澄んで伸びのある純粋なピアノの音でした。
もちろん課題は多く残っています。
レッスンでも力を抜きすぎて支えが弱くなったり、ガタガタ弾いてレガートを美しく弾けなかったり。音楽が推進しなかったり・・
ただ、表現することの気持ちは持っている生徒さんなので私もあきらめたくないのです。
この音!というのが私もなかなかうまく伝えられず、力不足に自分自身嘆きながら格闘しています。
どこが良くなくて目指す音にならないのかがわからないことがあります。思いがけずこれか!と気付く事もありますが、問題がどこにあるかわからないことも少なくありません。
この生徒さん、昨年2月に他の教室から移動してきたハイフィンガーで習ってしまった生徒さんです。
良くない状態のものを録画させてほしいとは言えないのでその記録はないのですが、まさかここまであの一音一音押し付けてしっかり弾く滑らかさと響きのない音が変わるとは想像していませんでした。
まだまだ何を言われているのかわかってはいないので、暗闇でこっちだよあっちだよと手を引かれて歩かされている感覚だと思います。
今日は一人でどこまでやれるかも少し心配していましたが大丈夫でした。
レッスンでできたことは出来ていました。レッスンでどうやってもできなかったことはやはり出来ませんでした。
自分でこれだと気が付く時が来ると信じています。
このメソッドに変えて、育てるってこういうことなんだなと思っています。
自分で考え、気が付き、工夫し表現できるように。
それは私がピアノを教え始めた時から変わらないのですが、今は音を作り出すことも付け加えられています。持っていなかったものを持てるようにする。
そして、それは耳が育てば誰にでもできることで、一部の進みの早い生徒さんだけができることではないと。
その生徒さんの本番の演奏は1回しか聴いたことがありませんでした。
しかも発表会だったので舞台袖で聴いただけでした。
それが今日は客席で聴くことができたのです。
どんな風にホールに響く音で弾いているのか、この生徒さんが持っている音は本当はどんな音なのか。
これらは響かなく狭いレッスン室では知ることができません。
どう身体を使ったらどんな音に近付けるのかはわかりますが、どのくらいできているかは客席でなければ確かめられません。
さて、聴いてみて私はホッとしました。
やはり1年半かけて直してきた奏法は間違いではなかったと。
その生徒さんの音は澄んで伸びのある純粋なピアノの音でした。
もちろん課題は多く残っています。
レッスンでも力を抜きすぎて支えが弱くなったり、ガタガタ弾いてレガートを美しく弾けなかったり。音楽が推進しなかったり・・
ただ、表現することの気持ちは持っている生徒さんなので私もあきらめたくないのです。
この音!というのが私もなかなかうまく伝えられず、力不足に自分自身嘆きながら格闘しています。
どこが良くなくて目指す音にならないのかがわからないことがあります。思いがけずこれか!と気付く事もありますが、問題がどこにあるかわからないことも少なくありません。
この生徒さん、昨年2月に他の教室から移動してきたハイフィンガーで習ってしまった生徒さんです。
良くない状態のものを録画させてほしいとは言えないのでその記録はないのですが、まさかここまであの一音一音押し付けてしっかり弾く滑らかさと響きのない音が変わるとは想像していませんでした。
まだまだ何を言われているのかわかってはいないので、暗闇でこっちだよあっちだよと手を引かれて歩かされている感覚だと思います。
今日は一人でどこまでやれるかも少し心配していましたが大丈夫でした。
レッスンでできたことは出来ていました。レッスンでどうやってもできなかったことはやはり出来ませんでした。
自分でこれだと気が付く時が来ると信じています。
このメソッドに変えて、育てるってこういうことなんだなと思っています。
自分で考え、気が付き、工夫し表現できるように。
それは私がピアノを教え始めた時から変わらないのですが、今は音を作り出すことも付け加えられています。持っていなかったものを持てるようにする。
そして、それは耳が育てば誰にでもできることで、一部の進みの早い生徒さんだけができることではないと。