この本、本当に面白いです。
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音符ではなく、音楽を! 現代の世界的ピアニストたちとの対話 単行本 – 2015/4/15 焦 元溥 (著), 森岡 葉 (翻訳) amazon
ピアニストたちの思想を語るような本ではなく、子供の頃の話や学生時代の話、関わりのあった音楽家の話などを通して音楽について自然に語っています。
ポーランド、ハンガリー、ロシア、ルーマニア、フランスのピアニストたちが登場します。それぞれどんな音楽教育を受けたのかも知ることができます。
国によってロシアの影響が強かったり、ロシア、ドイツ、フランスとバランスよく学べる環境にあったり。
なんだかその土地に生まれた運命を感じたりします。
さて、フランスのルヴィエ。
唐突ですがあのルヴィエです。この本に載っています。
パリコンセルヴァトワールでバレンツェン、ペルルミュテール、サンカンに師事したそうですが、第1希望のサンカンのクラスに入れず、第2希望のペルルミュテールのクラスにも入れず、入試の時にお世話になった先生のクラスのも入れなかったそうです。(クラスの定員のため)
結局バレンツェンに5年学び、博士課程が創設されたので(1期生がパスカル・ロジェ、ベロフ、カトリーヌ・コラール、アンヌ・ケフェレック、ルヴィエ)、サンカンのクラスを希望するもまたもや入れず、バレンツェンに1年習った後ペルルミュテールのクラスに入り、2年学んだあと彼が退職したのでやっとサンカンのクラスに入れたのだそうです。
ペルルミュテールとサンカンの教えは全く違かったそうです。(詳しくは本を。奏法ではなく伝え方が全く違かったということです。)
演奏活動を始めた頃、ロンティボー国際コンクールで知り合ったソ連のフェルツマンがフリエールの助手を務めていてフリエールに学びたいと準備を始めたら、パリの窓口でソ連に行くには2年待たなくてはならないと言われ断念。
そのころファシナが素晴らしい教師だと聞き、彼に師事することに。(ポーランドでネイガウスの弟子に師事していた人物)
ファシナはピアノ演奏のあらゆる面に渡り細かく分析し、これまで学んできたものを整理してくれたそうです。一音弾いただけでどこに問題があるのか分かったそうです。
ルヴィエは32歳の若さでパリコンセルヴァトワールの教授に就任。
教授になる人のほとんどが50歳を過ぎていたそうで、もの凄いプレッシャーだったそうです。
彼が指導者の道を選んだのは自分でも不思議なのだそうです。
もともと母校でソルフェージュの代講をしたりしていて、ピアノ科に欠員が出て声がかかったそうです。
16歳の時に隣家の子供を初めて教えた時から教えることが好きになったそうです。
様々な教師の下で多くのことを学び、経験を積んだことを学生たちと分かち合うことが楽しいのだそうです。
お目当ての先生にすぐに師事できなかったのも運命という気がします。
この本を読んでいるとその道に進む運命ってあるんだなと感じます。
ちなみにルヴィエは、何が「フランス・ピアニズム」なのかわからない、と言っています。
2つの異なるピアニズムが存在する話はしています。
ルヴィエはヴァイオリンのジャン=ジャック・カントロフ、チェロのフィリップ・ミュレと40年以上(このインタビューが2006年なので50年以上)トリオの活動をしているそうです。
キャー、カントロフパパ!(アレクサンドルのパパ)
室内楽をジャン・ユボーに師事したそうで、私はユボーが誰かも知らずシューマンの室内楽曲の演奏を気に入ってよく聴いていました。
一生これしか聴かなくてもよいと思っていたくらいです。
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ポーランド、ハンガリー、ロシア、ルーマニア、フランスのピアニストたちが登場します。それぞれどんな音楽教育を受けたのかも知ることができます。
国によってロシアの影響が強かったり、ロシア、ドイツ、フランスとバランスよく学べる環境にあったり。
なんだかその土地に生まれた運命を感じたりします。
さて、フランスのルヴィエ。
唐突ですがあのルヴィエです。この本に載っています。
パリコンセルヴァトワールでバレンツェン、ペルルミュテール、サンカンに師事したそうですが、第1希望のサンカンのクラスに入れず、第2希望のペルルミュテールのクラスにも入れず、入試の時にお世話になった先生のクラスのも入れなかったそうです。(クラスの定員のため)
結局バレンツェンに5年学び、博士課程が創設されたので(1期生がパスカル・ロジェ、ベロフ、カトリーヌ・コラール、アンヌ・ケフェレック、ルヴィエ)、サンカンのクラスを希望するもまたもや入れず、バレンツェンに1年習った後ペルルミュテールのクラスに入り、2年学んだあと彼が退職したのでやっとサンカンのクラスに入れたのだそうです。
ペルルミュテールとサンカンの教えは全く違かったそうです。(詳しくは本を。奏法ではなく伝え方が全く違かったということです。)
演奏活動を始めた頃、ロンティボー国際コンクールで知り合ったソ連のフェルツマンがフリエールの助手を務めていてフリエールに学びたいと準備を始めたら、パリの窓口でソ連に行くには2年待たなくてはならないと言われ断念。
そのころファシナが素晴らしい教師だと聞き、彼に師事することに。(ポーランドでネイガウスの弟子に師事していた人物)
ファシナはピアノ演奏のあらゆる面に渡り細かく分析し、これまで学んできたものを整理してくれたそうです。一音弾いただけでどこに問題があるのか分かったそうです。
ルヴィエは32歳の若さでパリコンセルヴァトワールの教授に就任。
教授になる人のほとんどが50歳を過ぎていたそうで、もの凄いプレッシャーだったそうです。
彼が指導者の道を選んだのは自分でも不思議なのだそうです。
もともと母校でソルフェージュの代講をしたりしていて、ピアノ科に欠員が出て声がかかったそうです。
16歳の時に隣家の子供を初めて教えた時から教えることが好きになったそうです。
様々な教師の下で多くのことを学び、経験を積んだことを学生たちと分かち合うことが楽しいのだそうです。
お目当ての先生にすぐに師事できなかったのも運命という気がします。
この本を読んでいるとその道に進む運命ってあるんだなと感じます。
ちなみにルヴィエは、何が「フランス・ピアニズム」なのかわからない、と言っています。
2つの異なるピアニズムが存在する話はしています。
ルヴィエはヴァイオリンのジャン=ジャック・カントロフ、チェロのフィリップ・ミュレと40年以上(このインタビューが2006年なので50年以上)トリオの活動をしているそうです。
キャー、カントロフパパ!(アレクサンドルのパパ)
室内楽をジャン・ユボーに師事したそうで、私はユボーが誰かも知らずシューマンの室内楽曲の演奏を気に入ってよく聴いていました。
一生これしか聴かなくてもよいと思っていたくらいです。