東京・春・音楽祭の実行委員長である鈴木幸一氏とムーティの対談の記事を読みました。
こちらを読んだだけでも学ぶことばかり。
「美しい調和」は厳しい緊張感があって初めて成り立つもので、だらしなくやっていても美しくはないですよね、と鈴木氏。
厳しい緊張感は、アカデミーの様子を無料配信された時に拝見した時から「ドキリ」としましたので、鈴木氏が仰ることが理解できるように思います。
昨年の聴講時にも「うわっ」と凍りつく想いがしましたので、あのようなことだろうと思います。
ムーティ氏、厳密なものがベースにあって、調和は生まれるのだと思いますと。
対談には、ムーティ「私たち音楽家は、職業として演奏しているわけではないのですね。ミッション、つまり使命としてやらなくてはいけないことだと思っています」と。
さらに、「劇場にやって来るお客様はただ美しい音を聴くためじゃない、魂のこもった音を求めているのだと。だから、習慣として演奏するということは、音楽をやるうえで最も大きな敵だと思います」と。
安易に出した音は決して見逃さないムーティでした。
「どんな音がほしいのか、全て考えて出して」と。考えずに出した音には「私にも我慢の限界がある」と幾度となく仰っていました。
ムーティが静かに言うと本当に怖い・・
対談の最後の方で、ヨーロッパから来る素晴らしい音楽家はたくさんいるとしながらも、日本に演奏旅行に来るのを楽しんでいる人たちだっています。「ヨーロッパの偽物を信じたりすることはやめた方が良いですよ」と。
「誰もかれも信じてはいけませんよ。大事なことは、本当に良い人を選ぶということです」と。
日本人はテレビで取り上げられると「あの人は良い演奏家だ、実力がある」とすぐに思ってしまう傾向がある気がします。
わからないと言いながら、それに流されて付いて行ってしまう。
どれが正解ではなく、自分はどう思うかだと思います。