本日、娘、無事に帰ってまいりました。
大量の洗濯物といっしょに。
「こんなにたくさんの洗濯物、日本に行ったときでも出ないね~」なんて感動していました。
って、洗濯するのは、私です。
確かに、洗濯機に仕分けして、洗剤をいれ、洗濯機をまわすまでは娘がやりました。
でもね、そのあと洗濯物干しは、母の仕事。
雨の降り出さないうちにどうやって乾かすか、そりゃあ考えて干しましたわよ。
夫に「帰ってきたよ~」って電話したら、「あれ?帰ってくるの明日じゃなかったの?」だって。
おとーさん、忘れないでくださいよ!
夫にお迎え頼まなくてよかったわ。
もしかしたら、娘の誕生日も忘れてた?!
さて、娘の誕生物語、いよいよ誕生物語を卒業しまして、娘の成長物語になります!
無事に帝王切開で生まれた娘、生まれた次の次の日には、もう家に帰ります。
ブラジルでは、帝王切開でも、3日目ぐらいに家に戻るのが普通なんです。
院内感染も心配だしね、基本的に病院には病人つきの看護師さんっていないんです。
看護師さんの数自体も少ないしね。
べったりついてお世話をして欲しい人は、自分で個人的に手配してつれてくる。
で、家に帰ってもそのまま、その看護師さんが家でいろいろ世話をしてくれると。
我が家は特にそういう看護師さんの手配もしていなかったし、ちょうどお掃除おばさんも、変わったばかりだったので、家に帰ってからはいろいろ大変でした。
お掃除おばさんのほうは、夫の同僚の奥様が、自分の家の回数を減らして、週に何回か我が家にくるように手配をしてくれました。
それから、すご~くありがたかったのが、夫の同僚の奥さんたちや、近所のお友達が、毎晩のように「ごはんよ~」って夕ご飯のおかずを届けてくれたこと。
不思議と、みんな重ならずに、毎日何かしか届けてくれたの。
で、おしゃべりもせずに、生まれたばかりの娘の顔も見ずに「疲れるから、早く横になってたほうがいいよ~」って帰っていくの。
みんな。
これは、今考えても、涙が出るほどありがたかったわ。
普通の方は、「赤ちゃん見せて~」って娘の顔を見に来てくれて、これはこれでありがたいのだけれど、結局私が起きてお相手しなくてはならなかったので、結構つらかった。
おもしろいことに、同年輩の友達や知り合いほど、いろいろ的確な気遣いをしてくれるのよね。
お子さんがいるいないにかかわらず。
本当に、今でもこのときにお世話になった方たちには、大感謝です!
まあ、この頃は、勝手もわからず、いろいろ大変でした。
日本にいても、「産後ウツ」になる人が多い、なんていうのに、言葉もわからない、ましてや赤ちゃんを扱うのも初めてという状況で、本当、ブルーだったわ。
そんなこんなで、あたふたと始まった「子育て」でしたが、娘は順調に成長!
ですが、「泣き」は半端じゃなかったわ。
抱っこしていないと泣く!
でも、不思議とベビーカーや車に乗せていると眠るの。
夜泣きする娘を車に乗せて、フラメンゴの海岸をドライブするのが、帰宅後の夫の仕事でした。
生後半年ぐらいまでは母乳オンリーでしたが、半年ぐらいから徐々に食べ物も口にするようになりました。
ほとんどが、「野菜」を軟らかく煮たものでした。
一度、夫が自分で「海苔」をどろどろに煮て、薄く味付けした「離乳食」を作りました。
娘も結構おいしそうに食べて、夫ご機嫌!
ですが、後日、このときの写真を職場で自慢げに見せたところ、「ペケパパは、赤ちゃんに得体の知れない真っ黒いものを食べさせている!」と話題になってしまいました。。
日本人からすると「健康食」でも、ブラジル人にとってはよほど気持ち悪い食べ物に見えたんでしょうね!
で、生後8ヶ月で離乳。
乳首のトラブルがあり、これ以上授乳ができなくなってしまったんです。
このころにはかなり離乳食も食べていましたから、小児科の先生もOKを出してくれました。
このときには、娘よりも半年早く生まれた男の子ちゃんを持つお友達が、昼間、ずっと娘を抱っこしてあやしてくれていて、夜は夫が一晩中泣き止まない娘を抱っこしていてくれました。
だって、「ママのおっぱい」を求めて、私の足をよじ登ってくるんですもの。
幸い一日こうしてすごしたら、つき物が落ちたようにパタッとおっぱいを欲しがらなくなりました。
はいはいが始まったのもこのころ。
ある日、台所で夕ご飯の支度をしていたら、突然足元で「やあ~!」ってご機嫌な声がして、びっくり!
足元を見ると、娘がいるじゃない?!
いやいや、肝を冷やしました。
あやうく、ふんづけるところだったわよ。
自分で動けるようになってから、「泣き」はすっかり減って、落ち着きました。
きっと、自分で思うように動けるようになって、行きたいところにいけるようになって、もどかしさがなくなったのね!
というわけで、本当に、子供は生まれてからの一年間で、ものすごくいろいろなことができるようになるのだと、いま思い出しても感心します。
来年はどのくらい大きくなれるかな?!
生後20日目の娘。
手足が細い~
生後、ほぼ2ヶ月目の娘。
ぷっくりしてきました。
フラメンゴの海岸をお散歩中にパチリ。
お約束のように眠っています。
というわけで、娘17歳になりました。
お誕生日、おめでとう!
大量の洗濯物といっしょに。
「こんなにたくさんの洗濯物、日本に行ったときでも出ないね~」なんて感動していました。
って、洗濯するのは、私です。
確かに、洗濯機に仕分けして、洗剤をいれ、洗濯機をまわすまでは娘がやりました。
でもね、そのあと洗濯物干しは、母の仕事。
雨の降り出さないうちにどうやって乾かすか、そりゃあ考えて干しましたわよ。
夫に「帰ってきたよ~」って電話したら、「あれ?帰ってくるの明日じゃなかったの?」だって。
おとーさん、忘れないでくださいよ!
夫にお迎え頼まなくてよかったわ。
もしかしたら、娘の誕生日も忘れてた?!
さて、娘の誕生物語、いよいよ誕生物語を卒業しまして、娘の成長物語になります!
無事に帝王切開で生まれた娘、生まれた次の次の日には、もう家に帰ります。
ブラジルでは、帝王切開でも、3日目ぐらいに家に戻るのが普通なんです。
院内感染も心配だしね、基本的に病院には病人つきの看護師さんっていないんです。
看護師さんの数自体も少ないしね。
べったりついてお世話をして欲しい人は、自分で個人的に手配してつれてくる。
で、家に帰ってもそのまま、その看護師さんが家でいろいろ世話をしてくれると。
我が家は特にそういう看護師さんの手配もしていなかったし、ちょうどお掃除おばさんも、変わったばかりだったので、家に帰ってからはいろいろ大変でした。
お掃除おばさんのほうは、夫の同僚の奥様が、自分の家の回数を減らして、週に何回か我が家にくるように手配をしてくれました。
それから、すご~くありがたかったのが、夫の同僚の奥さんたちや、近所のお友達が、毎晩のように「ごはんよ~」って夕ご飯のおかずを届けてくれたこと。
不思議と、みんな重ならずに、毎日何かしか届けてくれたの。
で、おしゃべりもせずに、生まれたばかりの娘の顔も見ずに「疲れるから、早く横になってたほうがいいよ~」って帰っていくの。
みんな。
これは、今考えても、涙が出るほどありがたかったわ。
普通の方は、「赤ちゃん見せて~」って娘の顔を見に来てくれて、これはこれでありがたいのだけれど、結局私が起きてお相手しなくてはならなかったので、結構つらかった。
おもしろいことに、同年輩の友達や知り合いほど、いろいろ的確な気遣いをしてくれるのよね。
お子さんがいるいないにかかわらず。
本当に、今でもこのときにお世話になった方たちには、大感謝です!
まあ、この頃は、勝手もわからず、いろいろ大変でした。
日本にいても、「産後ウツ」になる人が多い、なんていうのに、言葉もわからない、ましてや赤ちゃんを扱うのも初めてという状況で、本当、ブルーだったわ。
そんなこんなで、あたふたと始まった「子育て」でしたが、娘は順調に成長!
ですが、「泣き」は半端じゃなかったわ。
抱っこしていないと泣く!
でも、不思議とベビーカーや車に乗せていると眠るの。
夜泣きする娘を車に乗せて、フラメンゴの海岸をドライブするのが、帰宅後の夫の仕事でした。
生後半年ぐらいまでは母乳オンリーでしたが、半年ぐらいから徐々に食べ物も口にするようになりました。
ほとんどが、「野菜」を軟らかく煮たものでした。
一度、夫が自分で「海苔」をどろどろに煮て、薄く味付けした「離乳食」を作りました。
娘も結構おいしそうに食べて、夫ご機嫌!
ですが、後日、このときの写真を職場で自慢げに見せたところ、「ペケパパは、赤ちゃんに得体の知れない真っ黒いものを食べさせている!」と話題になってしまいました。。
日本人からすると「健康食」でも、ブラジル人にとってはよほど気持ち悪い食べ物に見えたんでしょうね!
で、生後8ヶ月で離乳。
乳首のトラブルがあり、これ以上授乳ができなくなってしまったんです。
このころにはかなり離乳食も食べていましたから、小児科の先生もOKを出してくれました。
このときには、娘よりも半年早く生まれた男の子ちゃんを持つお友達が、昼間、ずっと娘を抱っこしてあやしてくれていて、夜は夫が一晩中泣き止まない娘を抱っこしていてくれました。
だって、「ママのおっぱい」を求めて、私の足をよじ登ってくるんですもの。
幸い一日こうしてすごしたら、つき物が落ちたようにパタッとおっぱいを欲しがらなくなりました。
はいはいが始まったのもこのころ。
ある日、台所で夕ご飯の支度をしていたら、突然足元で「やあ~!」ってご機嫌な声がして、びっくり!
足元を見ると、娘がいるじゃない?!
いやいや、肝を冷やしました。
あやうく、ふんづけるところだったわよ。
自分で動けるようになってから、「泣き」はすっかり減って、落ち着きました。
きっと、自分で思うように動けるようになって、行きたいところにいけるようになって、もどかしさがなくなったのね!
というわけで、本当に、子供は生まれてからの一年間で、ものすごくいろいろなことができるようになるのだと、いま思い出しても感心します。
来年はどのくらい大きくなれるかな?!
生後20日目の娘。
手足が細い~
生後、ほぼ2ヶ月目の娘。
ぷっくりしてきました。
フラメンゴの海岸をお散歩中にパチリ。
お約束のように眠っています。
というわけで、娘17歳になりました。
お誕生日、おめでとう!